仏の顔
死人の顔にお化粧をする。
腕の良い方にやって貰うと、まるで眠っているだけの様になる。
これは誰の為だろう、と思うのです。
さて、私ももういい歳で、来年の早春には念願の赤ちゃんを産む。
七年。七年も不妊治療を重ね、ようやく。
そんな歳になると、自分の周りのお年寄りたちがパタパタ忙しく天国へ旅立って逝くのが世の常で、私は喪服の着こなしや葬儀の作法なんてのも一通り浮つかずにこなせる様になっていました。
私の結婚式で酒樽の蓋を元気よく打ち抜いてくれた主人方の大叔父様や、毎年一緒にカニを食べに旅行へ行った母方の祖母。毎年畑で採れる旬の物をおすそ分け下さった二つ隣のお婆さん。優しかった小学校の恩師……。
暖かい愉快な思い出を抱えて、私は眠りについた彼らに会いに行く。
不思議な事に、お喋りをしに行く様な、そんな頑固な気分で。
だって大好きだから。いなくなったなんて、そんな、まさかって。
私は非現実的な気分で、棺桶の中の仏様を覗く。
彼らは、私を見返す代わりに、死に顔で自分の人生を語る。
そうして、確証を私に持たせないまま、たくさんのモノを内に秘め、焼却炉で骨になる。
骨の一部は参列者の持つ大きな箸で両側から摘ままれて、骨壺へポソッと落ちる。
小さな壺に到底入り切れるものじゃないから、最後はポンポンと箸で突かれたりして。最後には粉の部分をサラサラ壺に流し込み、蓋をする。……そして全てが終わる。
さ、さ、前置きは整いました。
では、不思議な話をしましょう。大丈夫。怖い話じゃありませんから。
私の祖父の話です。
祖父はそれは面白味のある人間でした。
舞踊、三味線、水墨画。そういうものを愛し、人当たりも良い。
気に喰わない役者がギターを弾くというのを聞いて、「自分もテケテケ(※エレキギターの事)をやった事がある」とテレビへ身を乗り出す、変に負けず嫌いな所もありました。
口癖は「ありがとう、ありがとう」と二回繰り返す事。
そうそう、少し天然ボケでもありました。
愛すべき方でした。しかし、彼の顔にはいつも、暗みが付きまとっていました。
微笑んでいる時も、趣味に夢中になっている時も、何故かしら彼の顔には暗みがあるのでした。
楽しい事をし、何かに夢中になり、指でなにやら音頭を取っていても、それでも内にしまい込めない、そんな暗み。
今思えば、それを隠す為に?
そうだとしたら、私は「嗚呼」としか鳴けません。
真夏でした。
続く晴天の、真昼の明るみの下、彼は永遠へ旅立ちました。
風情を好む彼らしくない、真夏にしてはカラッとした暑い日でした。
しとしとと小雨が降る、そんな日を選ぶと思っていたのに。
明日の葬儀もきっと、こんな風に晴れ渡る事でしょう。
真っ青な空に、真っ白でもくもくとした入道雲。太陽の光は真っ直ぐに地上に突き刺さり、この世のありとあらゆるものの影を、濃く、濃く、熱く熱するのでしょう。
……まぁ、雨の日の葬式というのはありがたい物ではありません。
最後まで、気配りを欠かさない方だ、と私は思いましたが、まぁ、やはり暑くはありました。女達は雨傘ではなく、日傘を、きっと。
どこか抜けているのも、彼らしい事です。
私は、待ち切れずに通夜へ彼に会いに行きました。
いつもの様に死を認めたくないという気持ちで挑む気概でしたが、何故だか彼の死だけはすとんと私の胸に降りて来て、私を納得させるのです。
さぁ、私は納得してしまったのだから、仏の顔を拝む前に、以前に拝んだ仏達の顔をくるくると脳裏に浮かばせていました。
そうして、少し厭な気持ちになりました。
祖父は、内にどれだけの秘密を持っているのでしょうか。
ふと垣間見た暗み以上のモノを見てしまうのではないか、と私は恐れました。
そうして、結局白い布に手をかける事が出来ないでいると、祖父の妹であるお節介な大叔母さんが「明里ちゃんが来たよ」なんて言って、サッと布を取ってしまったのです。
私は目を閉じ、顔を背けました。
でも、人間の好奇心というものは、なんて意地汚いものでしょうか。
厭です。おじいちゃん。
貴方が大好きですので、そんな顔で逝かないで下さい。




