54話 『弟と教師と生徒会の夏』
「真奥くんは、オバケを信じるかい……?」
放課後の清掃部活動中。
顧問教師の九蘭百合が、青ざめた顔で言った。
ちなみに今日は、使われていない空き教室を掃除している。
「オバケ、ですか?」
「ああ。その、例えば……喋る犬とか……」
そんな百合の台詞に、テルミは思い当たる節があった。
喋る犬。まさに最近そんな妖怪が、妹の友達になったばかりである。
「もしかして先生は、その喋る犬を見たのですか?」
「むうっ、鋭いね真奥くん」
百合は冷や汗を流し、頷いた。
「うん……じゃなかった、ああ。実はそうでね……ある晩に出会った白い子犬が、急に『触んなでありんす』と何故か廓詞で私を罵倒して……」
ありんす。これは確実にチャカ子だ。
「いや、勿論見間違いだとは思うよ! 私も疲れてたし。でもさ、ほら。オバケは……いるかも……」
小さな教師が怯えているのを見て、テルミは考えた。
きっと百合は、どこかであの犬神チャカ子と出会ってしまったのだろう。あの娘なら、犬の姿で人語を喋りながらその辺を適当に散歩していそうである。
「真奥くんはどう思う? オバケを見た事あるかい?」
上目遣いで――背が小さいのでいつもそうだが――テルミを見上げ、おずおずと尋ねる百合。
「そうですね。鉄の怪獣や、霧になる人間なら見ましたが」
「ええっ、それってオバケの範疇にゃの!? ……あっ」
百合はつい子供っぽいリアクションを取ってしまった事に気付き、慌てて、
「は、範疇に入るのかい?」
と言い直した。
鉄の怪獣とは、多くの目撃動画がインターネットに投稿されている、通称『磁力怪獣テツノドン』である。
そして霧になる人間とは、これまたインターネットの動画で有名になった毒霧忍者。テルミは知らないのだが、何を隠そう九蘭百合その人である。
「だって、怪獣は怪獣じゃないか。それに霧の人は……えっと、超人とか? とにかく、オバケと怪獣は違うんだよ、真奥くん!」
ジェスチャーを交えた説明をしようとしたが上手く出来ず、もどかしそうに手をばたばたと振る九蘭百合。
そんな元気良い子供……に見える先生の姿に、テルミは頬を緩める。
「しかし先生。鉄が動いて怪獣になっていたのに比べれば、犬が喋るくらい大きな問題では無い気もします」
「うっ……そ、そうかな……そうかも……?」
「ええ。そうです」
そんなテルミの言葉を聞き、百合は顎に手を当てしばらく考え込んだ。
テツノドンの事だけではない。そもそも九蘭一族の人間が霧になったり、一族に伝わる木彫りの赤ちゃん像から声が聞こえたりするのは、犬が喋るよりもよっぽどホラーかもしれない。
特にあの赤ちゃん像から大量の「グロリオサ」という声が聞こえた日は、夜中おしっこに行けなかったし……
「確かにそうだね真奥くん。いやあ、犬が喋ったってどうって事ないよね。全然怖くない。私はオトナだからね!」
と教師が元気になった所で、二人は清掃活動を再開した。
◇
オバケ話から数十分後。
本日は掃除を早めに切り上げ、部員全員で夏休み中の部活動計画を立てた。全員と言っても、部長であるテルミと、顧問である九蘭百合の二人しかいないのだが。
「では先生。毎日の課外授業後に、一、二時間程度の清掃活動をします」
テルミが通っている高校では、長期連休中も課外という名目で午前中だけ授業がある。あまり夏休みという感じはしない。
そんな夏休みになっていない夏休みでも、建前上は休日扱い。部の休日活動申請を出しておく必要があるのだ。
ちなみに本当に休みになるのは盆前後の数日間のみ。その辺りはさすがに清掃部の活動も休止となる。
「うん、分かったよ真奥くん。では私がこの紙に印鑑を……うにゃっ」
申請書を受け取ろうとし、落としてしまった九蘭百合。
慌ててしゃがみ込んだが、
「わああん、風がぁ……」
窓を開けていたせいで書類が舞って、中々掴めない。
その小さな体でアタフタとする動作は、子供もしくはハムスター等小動物のようにも見える。テルミはつい頭を撫でたくなったが、なんとか我慢し、申請書を拾い上げ百合に手渡した。
「どうぞ先生」
「う……うむ。ありがとう」
そして百合は醜態を誤魔化すように軽く咳払いし、腕を組み胸を反らした。
彼女は自分自身では『クールでカッコイイ女教師』像を築き上げているつもりである。生徒達は誰もそう思っていないのだが、本人はそう思っているのだ。
だが先程の「わああん」のように、ちょくちょくボロを出してしまう。そんな後は決まって小さな胸を出来るだけ大きく張り、余裕のある笑みを作り、なんとか大人っぽく見せようと頑張るのである。
ただ悲しいかな、その頑張りは逆効果であった。
小さな子供が腕を組み、胸を張り、笑っている姿。それはどうやっても『ドヤ顔で褒めて欲しそうに立っている子供』にしか見えないのだ。
だが子供先生本人はそれに気付く事も無く、なんとか体裁は保てたと考えている。
「そうだ真奥くん。夏休み中は食堂が開いていないので、毎日弁当を用意して来るんだよ」
百合は腕組みを解き、申請書をプラスチック製のファイルケースに仕舞いながら、思い出したようにそう言った。
「はい。元々毎日作っていますので、そこは抜かりありません」
「作ってるって……もしかして真奥くんはいつも、自分自身で弁当を用意しているのかい?」
「ええ。僕と姉さんと、それに家にいる祖父の昼食分も」
「そうなのか……偉いなあ」
百合はファイルケースを閉じる手を止め、
「……お母さんみたい」
と、テルミには聞こえない程の小さな声で呟いた。
「先生も夏休み中は、お弁当を持ってくるのですか?」
「えっ? わ、私はその。そうだね、うん、弁当だよ……コンビニとかの……」
百合はほとんど料理経験が無い。自作弁当など、作ろうという考えさえ持ち合わせていなかった。
一方テルミは、コンビニという単語に反応する。
「駄目ですよ。そ……」
――育ち盛りの子供が、そんな食生活ではいけません。
と言いかけたテルミ。
危なかった。つい、妹やその友達へ接する時と同じように、子供扱いしてしまう所であった。
目の前の先生は、自分より十も年上の女性なのだ。
「そ?」
「……そ、それより。僕が先生の分まで作って来ますよ」
「ええ!?」
突然の提案に驚き、百合はファイルケースを床に落とす。
「ま、真奥くんが作ってくれるの? ……じゃなかった、作ってくれるのかい?」
「先生が良ければですが。三人前を作るのも四人前を作るのも同じですので」
夏休み中は妹の昼食分も作るので、正確には五人前である。
口に出かけた言葉をうやむやにするため、弁当作りを提言してしまった。だがこれはこれで中々良い案かもしれない、とテルミは考える。
何故ならこの少年は、人のお世話を焼くのが何よりも大好きなのである。
「本当に良いのかい……? すまないね。よろしく頼むよ真奥くん」
「はい。任せてください」
「……そっか、真奥くんが私に……」
百合は想像した。
夏の日光が窓から差し込む。
課外授業も終わり、誰もいない教室。教師と生徒だけ。
手作り弁当を二人きりで食べる。
「はい先生。あーんしてください」
「あーん」
「先生のために作って来ました……美味しいですか?」
「ああ。とても美味し」
「わあああああああああ駄目だああああ! 私は、私は、私は、私は教師なのにーいい!」
「せ、先生。どうしました?」
突如頭をぶんぶんと振り回し始めた教師。
テルミは心配そうに近づき、優しく肩を掴んだ。
「はっ! いや申し訳ない真奥くん。ちょっと、あの……その、ゴキブリがいて」
「ゴキブリですか? 掃除が足りなかったようですね、すみません」
「あ、ああ……ははは……」
一応落ち着きを取り戻した百合は、改めて想像した。
夏の日光が窓から差し込む。のでカーテンを閉めて紫外線対策する。
課外授業も終わり、誰もいない……わけでもない、そこそこ人がいる教室。
手作り弁当を二人で食べる。が、その周りには他の生徒や先生達もいる。
そんな感じだ。それで行こう。教師として、生徒へは節度をもった接し方をするべきだ。
百合は自分の心に釘を刺す。
でもそれはそれとして、
「……真奥くんと、毎日二人でお昼……」
不謹慎ながらも、ちょっとだけ嬉しい教師なのであった。
が、その嬉しい未来はすぐに潰える事となる。
「あー、こんな所にいたー輝実さまー」
「し、失礼しますぅ……」
「あれっ、男の友達は? 男の友達は? 男の友達は?」
「おはようございます輝実さま! もう夕方ですが、とにかくおはようございます!」
突如教室のドアが開き、複数の女生徒が入って来た。
テルミもよく知っている顔ぶれ。生徒会執行部のメンバーである。
「先輩方。どうしたのですか?」
「実はー。清掃部の活動についてですねー」
「お伝えしたい事があるんです!」
彼女達は、『生徒会が毎日清掃部の手伝いをする』という旨を伝えに来た。
それはつまり。『教師と生徒二人でお昼』の夢は消えた、という意味である。
◇
そして夏休み初日。
課外授業も終わり、部活動前のランチタイム。
「わー、いただきまーす」
「この卵焼き美味しい美味しい美味しい!」
「これは何と言う料理なのですか輝実さま! 甘じょっぱくて好きです! 大好きです!」
「牛筋の煮こごりです」
「ニコゴリ! 好きです!」
「……テルミくんの手作りお弁当……えへへぇ……」
テルミは、全員が一緒に弁当を食べられるよう、重箱に料理を詰めて持ってきた。夏場なのでクーラーバックまで持参して。
そうして先輩達と一緒に、わいわい楽しく昼食を取っている。
「あれー先生ー。元気ないけどー、どーしたのー?」
「ああ、なんでもないよ。ただちょっと……暑いからさ」
九蘭百合は少々気分が沈んでいる様子。
ただそれは決して、暑さのせいでは無かった。




