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42話と-13話 『火事と感謝のワンコ神』

「むむぬぬぬ! この沢庵たくワン!」


 八女(やめ)茶菓子(チャカこ)はぎこちない箸づかいで沢庵を口に入れ、そう唸った。


 彼女は今、真奥家の台所にて、テルミから夜食をご馳走されている。

 夕食の残りであるビーフシチューと唐揚げ。レンジで温め直した冷や飯。沢庵。手作りパンケーキ。

 全てテルミが作った物だ。


「沢庵は、お口に合いませんでしたか?」

「いんえ、その逆。薄味でウチの好みにベストマッチでありんすワン!」

「それなら良かったです。水にさらして塩気を抜いたのは正解でしたね」


 チャカ子は妖怪と言えども犬。ならば塩分や油分は抑えないといけないだろう。

 テルミはそう考え、漬物をかなり薄く切った上で完全に塩を抜き、シチューをお湯で薄め、唐揚げの衣を剥がしていた。


「それにこのこうの物は、お花ちゃんがウチにくれたのと似た味でありんすワン」

「なるほど、ひいお婆さん……お花ちゃんも、同じように沢庵を水にさらしてチャカ子さんにあげていたのでしょうね。漬け方も同じはずです」


 テルミは漬物のレシピを今は亡き祖母から学んだ。

 そしてその祖母は、真奥家へ嫁いだ後にしゅうと――テルミの曾祖母、お花ちゃんこと花実はなみから学んだと言っていた。

 大根は品種改良や育成法進歩のため昔と同じとはいかないだろうが、漬けるテクニックは真奥家に伝わる方法。なので、お花ちゃんの沢庵と似ているのであろう。


「漬け方が同じでありんすか……!」


 チャカ子は米飯を口へかきこみながら、目を輝かせてテルミを見た。


「やっぱりあにさんは、お花ちゃんだったのでありワンすね!」

「えっ?」


 チャカ子の飛躍した言葉に、テルミは苦笑いする。

 また人違いを蒸し返してしまったようだ。


「いえ、だから僕はお花ちゃんのひ孫ですよ。本人ではありません」

「ワンと!? うむー、そうでありんしたワン……もぐもぐ」


 チャカ子は己の勘違いを思い出し、少々寂しそうな表情で鶏肉を口に入れた。

 そんなクラスメイトの隣に座っている莉羅が、


「……チャカ子ちゃんは……お花ちゃんと、どうやって、出会った……の?」


 と尋ねた。


 莉羅は超魔王ライアクの記憶を有すため、次元時空宇宙を越えたあらゆる世界を知っている。が、地球特有の情報は持ち合わせていない。この星はライアクの死後に誕生したからだ。


 自分が知らない先祖の過去。

 そして、新しく出来た友の過去。

 莉羅はその二つに興味が沸いた。


「そうでありんすワンなあ……話が少々長くなりんすが、聞いておくんなんしワン……もぐもぐむぐもぐ」


 チャカ子はしっかりと箸を動かし続けながら、懐かしむように語り始めた。


「ウチは数えの一歳でおかかさまと死に別れ、野良犬となり、たまさか入った町で一人目の飼い主さんらに出会ったのでありんすワン。そん頃ニンゲン達は、『御一新から四十しじゅーうん年』とか言っておりんしたなあ」

「明治四十年代ですか」

「ああそのメイジでありワンした、さすがあにさん。そんでその一人目の飼い主さん……一人と言うか、たくさんおりんしたんでワンすが……なか――ええと、今で言う台東区浅草にあった吉原(ヨシワラ)遊郭(ユーカク)ってトコで、ニンゲンらにご飯(エサ)貰って暮らしてたんでありんすワン」




 ◇




「ちゃーこ。食べなんし」

「ワォンッ!」


 遊女達に与えられた白米を、半野良である白い子犬が尾を振りながら食べる。


「このわんこ、ちっとも大きくなりんせんなあ」

「さいざんす。わっちが最初にちゃーこを見て、もう三年になりんすが」


 その白い子犬は、『ちゃーこ』と呼ばれていた。

 茶色い子、という意味。最初この町に来た時、白い毛が薄汚れて茶色になっていたからだ。他には『わんこ』だの『ワン公』だの『いぬ』だのとも。


 猫を飼う遊女は多かったが、犬は少々珍しい。

 しかし小さな体が幸いし、多くの人に可愛がられていた。


「若旦那が、柴犬と紀州犬の雑種だろうとおっしゃっておりんしたが……この小ささは、舶来の血も混じっておるのやも」


 そうでは無い。

 妖怪なので、成長が遅いだけである。


「あい。何にせよ可愛らしいでありんす」

「ずっとちいこいままなのを見て、ものだのと噂する者もおりんすわ」

「化猫遊女ならぬ、化犬遊女でありんすか。うふふ」


 物の怪、という言葉にちゃーこはビクリと体を震わせた。


 昔、下町で餌をくれた人間の子に「あんがとう」と言った事がある。

 次の瞬間大騒ぎ。

 物の怪だの、妖怪だの、あやかしだの、鬼だのと言われ、散々に追い回された。


 それからちゃーこは、人の言葉を喋らないようにしている。


「おっワン公。これ食いな」


 遊女や禿かむろだけでなく、遊郭で働く男達からも餌を貰っていた。


 いつも満腹。

 野良犬として食うや食わずで彷徨っていた頃からは考えられぬ。

 ここはまさに天国だ。



 しかしその天国が、ある日突然消えてしまった。



 遊郭、いや浅草の町が大火事に見舞われたのだ。


 炎により巻き起こる旋風。

 耳の良いちゃーこには不快な半鐘の音。

 猛火は半日続き、その間ちゃーこは禿かむろに抱えられ、火の手が無い場所へ避難していた。


 そんな中、初めて見る蒸気式のポンプ車に、ちゃーこは呑気にも興奮した。

 放水の音に呼応するように吠え、


「凄いでありんすワン!」


 つい、人の言葉を喋ってしまった。

 ちゃーこを抱いていた禿かむろは、驚き手を離した。



 火事はなんとか切りぬけたが、後が大変であった。

 焼失した町や見世みせを立て直すのには、当然金が必要。

 必然的に、半野良であるちゃーこに餌をあげる人間が激減。


 それに、禿かむろを初めとする子供達からは、はっきりと避けられるようになった。

 以前に増して、妖怪と噂される。

 まあ実際妖怪であるのだが。


 吉原はまもなく復旧する。

 それに噂もいつかは消えるだろう。


 だが、ちゃーこに『まもなく』『いつか』を待つ余裕は無かった。



 ちゃーこは食べ物を求め、旅に出る事にした。


 長く旅をする中、一度か二度餌をくれる人間はいた。

 が、定期的に餌をくれるような『飼い主』とは中々出会えなかった。

 小動物を自分で狩りながら、第二の天国を探す。


 旅する間に明治が終わり、大正が終わり、昭和の世になった。

 人間の言葉も急激に変化し、ちゃーこも色々とこんがらがった日本語を覚えていく。




 野犬駆除も盛んになり、ちゃーこは飼い主を探すどころか人間から逃げ回る事態に陥る。

 もう何年も餌を貰えていない。

 しかし昔の天国がどうしても忘れられず、人里の中で隠れるような生活を続けていた。


 そんなある日、昼寝とあわよくば鼠でも獲ろうと思い潜り込んだ軒下で、その家の住人に見つかってしまった。


「まあ可愛いワンちゃん。お名前は? って、名前言えるワケ無いかあー」

「ウチはチャーコでありんすワン……あっ」


 空腹と眠気で朦朧としていたちゃーこは、つい人の言葉で返事をした。


「えーっ、ワンちゃん喋れるの? 何で廓詞くるわことばなの? ええと、ちゃ……チャカ子ちゃん?」

「ち、違うでありんす、ウチは……」


 その時、ぐぐうと大きな音が鳴った。ちゃーこの腹の虫である。


「まあ、チャカ子ちゃんお腹減ってるの? ちょうど良かった。道場の門下生達へあげるお弁当、余分に作り過ぎちゃったの」


 女性は背に抱えていた風呂敷包みを降ろし、竹の皮で包んだ弁当を取り出した。

 竹の皮を開くと、中には白い握り飯が三つと沢庵二切れ。

 それを全て、ちゃーこに差し出した。


 目の前に置かれた握り飯を見て、ちゃーこは喉を鳴らす。


「……くれるのでありんすワン?」

「うん。遠慮せずお食べなさい」

「でもどうして……喋るウチが、怖くはないのでありんすワン?」

「んーん。喋る犬くらい別に怖くもないし、驚きもしないわよ。もう何百年も生きてるお爺さんを知ってるし。自称だけどね、あはは」


 女性は、あっけらかんと笑った。

 その顔と握り飯を、ちゃーこは交互に見つめる。


「それより早く食べなさいよ。あ、でもワンちゃんにしょっぱい物はいけないのよね。お塩を抜くから、先におにぎりだけ食べててね」


 女性はアルミ製水筒を開け、中の水を蓋に注いだ。

 その中に沢庵を放り込み、軽くかき回す。


 ちゃーこはその様子を見ながら、おずおずと握り飯に口を近づけた。

 言おうかどうかしばらく迷ったが……意を決して言葉を発す。


「……あんがと……ありんすワン」


 そして、かぶりついた。

 数年ぶりに食べる人間のご飯(えさ)。体に力がみなぎって来る。

 目頭が熱くなってきた。


「あんがとありんす……」


 再度礼を言い、飯をむさぼる。

 その子犬の姿を、女性は微笑んで眺めていた。



 が、急に目を丸くする。



「あんがとありんす……あんがとありんす……」


 ちゃーこはなおも感謝を続けながら、白米と漏れ出す涙を口に入れている。

 唇に付いた米を右手の()()の指で取り、しゃぶる。

 涙が頬から首筋へ伝い、裸の胸を濡らしていた。


「……さ、さすがにこれは驚いたわ」


 女性は小さく呟いた。



 小さな白犬が、小さな少女の姿に変わっていた。


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