37話 『兄の顧問教師の家について』
「あら百合ちゃん。何を遊んでいるのですか?」
「お、伯母上……」
小さな女教師、九蘭百合が実家の廊下を歩いていると、百合より少しだけ年上のアラサー女性が話しかけて来た。
伯母とは言うが、血縁上は曾祖父の兄弟の孫……『族伯祖父の娘』というなんとも縁遠い七親等。そしてほぼ同年代。
だが目上の親戚であるのは間違いない。
正式な血縁上の呼名では長過ぎるので、便宜的に『伯母上』と呼んでいる。
「家元の部屋に参ろうとしているだけで……別に遊んでなどは」
嫌味たらしい物言いに対し、百合は少し強めに否定しようとした。
が、
「いない……です」
勇気が足りない。
結局尻すぼみになってしまった。
「今何と? もごもご言っててよく聞こえませんでしたが?」
「あ、遊んでなどはいな」
「え? 何と?」
この親戚は、お互いが小さい頃からいつも居丈高につっかかって来る。
百合は伯母が苦手であった。
「それよりも聞きましたけど百合ちゃん? 九蘭の別荘に、男子生徒を連れ込んだらしいですね? インモラルでふしだらな交際をしているのですか?」
「えっ!?」
伯母の言葉に、百合は顔を真っ赤にしてあわあわと腕を振る。
その様子はまるで小さな子供だ。
「ち、違うっ……います! あれはちゃんと生徒会の女子達も一緒に」
だが伯母は百合の話を聞かず、言いたい事を言い続ける。
「男と遊ぶのは構わないのですけど、カラテガールを倒すと言う使命も未だ達成出来ていないのですよね? どうしてもと頼むから仕方なくやらせてあげている教師の副業に、いつまでうつつを抜かしているのですか?」
「う、ううぅ」
「いつになったら、一人前のグロリオサになるのですか?」
「それはその……」
例のヒーロー討伐の件になると何も言い返せない。
百合は目を伏せ申し訳なさそうな顔をしつつ、少々ふてくされた。
頭の中では、うるさい伯母にラリアットや飛び蹴りをかます妄想をしている。
「まったく百合ちゃんったら、もう二十六にもなるのに、いつまでも学生気分なのですか? その全然成長しない小さな体と同じく、精神も小学生から成長していないのですか?」
「そんなことは……」
「百合ちゃんは、『もっと頑張る』べきだと思わないのですか? カラテガールなるヒーローごっこの痴女など、さっさと倒せば良いではないですか? 倒せないのですか?」
「その辺にしておきなさい」
いつまでも続く伯母の嫌味に、男の声が割り込んだ。
二人が声の方へと振り向くと、和服姿で白髪頭の老人が立っている。
「家元……」
「まあ家元様。聞いていたのですか?」
老人は九蘭一族の当主である。
彫りの深い顔に、しっかりと伸びた背筋。堂々とした佇まい。
「空手少女については、わしから百合に言っておこう」
「そうなのですか? では私は失礼しますね」
伯母はぺこりと頭を下げ、去っていった。
百合もおずおずと頭を下げる。
「家元、私は……」
「気にするな百合よ。ああ言っておるが、どうせあやつにも空手少女は倒せん」
老人はそう言って、手に持っていた小袋を百合に差し出した。
「これは?」
「焼き菓子だ。料理上手な若き友人から頂いてね。お前も一つ食べなさい」
「はあ。あっマカロンだ……頂きます…………美味しい」
菓子を口にし少女のように喜ぶ百合を見て、老人は軽く笑みを浮かべ歩き出した。
百合もそれに付いて行く。
「わしも、空手少女と磁力怪獣鉄之丼とやらの戦闘映像を観た」
「えっ。家元が直々に?」
老人は頷き、
「空手少女には、一族の誰も勝てぬよ」
と、事も無げに言った。
「だ、誰も……!?」
百合は驚き立ち止まったが、老人が歩き続けるのを見て、慌てて後を追った。
そもそも百合は、先日あのヒーローに組み敷かれてしまったのを悩み、
「もうカラテガールは私の手に負えない。無理。誰かと交代させて」
と相談するため、家元の部屋に行こうとしていたのだ。
老人は、そんな百合の心情を見抜いているかのように言葉を続ける。
「だがスポンサーには、空手少女への対抗策を打っているというポーズを見せねばならぬ。今は『情報収集中につき下っ端と戦わせている』と誤魔化してあるがね」
もちろんそれで納得しないスポンサーもいた。
だが老人が「対策は講じている。異論あるまいな?」と睨めば、納得した振りをして資金援助を続けざる得ない。
依頼する側である彼らでさえも、この殺し屋は怖いのである。
百合の姿がインターネット動画で流されている、という問題も論議になった。
だがあの毒霧を見て『九蘭』だと分かるのは、当の一族とスポンサー達だけ。
今の所は不問となっている。
「百合。お前ははっきり言って、あの空手少女に遊ばれている」
「う……そ、それは……そうかもしれないけど……」
「ならば、殺される事はあるまい」
正確には『殺されても殺されない』と言った所か。
百合以外の一族の者にも、あのヒーローを監視させている。
その者の報告によると、「カラテガールに殺された人間は、生き返る」らしい。
どのような特殊能力かは分からない。
ただ、ヒーローの手によって絶命したはずの暴力団員やチンピラ達は、警察が駆けつける頃には息を吹き返しているのだ。
特に百合の場合は、インターネットで『カラテガールの敵』として有名になってしまった。
もしこのライバルが死にでもしたら、誰もが「カラテガールが殺した」と思うだろう。
それはあのヒーローにとって好ましくないはず。
殺しても、必ず生き返らせる。
だが老人は、その『生き返る』という情報を百合には伝えなかった。
とにかく今後も戦い続けよ、とだけ命令する。
「勝たずとも良いのだ。お前の役割は、奴に対峙し続ける。それだけで充分」
「い、家元……それでは私は、まるで道化……」
「ああ、その通りだ」
老人は冷酷に言い放つ。
「孫の孫の孫の……どれほどの孫かはもう分からぬが、子孫にそのような役目を与えるのはわしも心苦しい。だが、己の任務を理解してくれ」
「う……わ、わかり……ました」
百合が気弱に返事をした時、家元の部屋前に辿り着いた。
二人は戸を開け入室する。
この部屋に入ると、いつもまず最初に目に付く物がある。
床の間に飾られている、白檀を雑に彫って作ったような木像だ。
片手で持ち上げられる程のサイズ。
人間の赤ん坊を模しており、どこか禍々しい雰囲気と存在感。
老人はその木像の前で正座をし、赤ん坊の頭部を撫でた。
「九蘭家に伝わる御神像……我が一族はこの像より力を拝借し、時の権力者達に暗殺者として召し抱えられてきた」
そう言って老人は、隣に正座している百合を見た。
「百合、お前はまだ、グロリオサの真の力を引き出してはいない」
「真の力?」
そういえば、あのヒーローにも似たような台詞を何度か言われた。
まだ不完全だとか、きちんと力を受け継いだ者を連れて来いだとか。
「お前だけでは無い。一族の皆……わしでさえも真の力は知らぬ」
「い、家元も……?」
「うむ。百合よ、お前も御神像に触ってみよ」
老人は立ち上がり、百合に場所を譲った。
「触って良いの……ですか? 私が子供の頃、グロリオサの力を貰った時に一度触って……それからは、絶対に触れるなと言われてて……」
「良い。お前も以前より多少は成長しているだろう」
成長。
特にあの女ヒーローの『力』に何度も触れた経験は重要だ。
「今のお前ならば、声が聞こえるやもしれぬ」
「えっ、声?」
百合は家元の言葉を不思議に思いながらも、とりあえず御神像の頭に触れてみた。
十数年ぶりの感触。
触った瞬間、眩暈がするような、不安な気持ちになるような、不思議な感覚が百合の体を包み込んだ。
しかし、家元が言うような『声』なるものは聞こえてこない。
「うーむ……家元、やっぱり私には何も……」
「……オーサ……グロリオサ……グロ……」
「……あれ? 今何か小さく」
百合は耳を集中させるため、目を閉じた。
だがその『声』は耳では無く、脳内に直接響き渡る。
「グロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサ」
「う、うわあああっ!?」
百合は咄嗟に像から手を離し、正座体勢のまま後ずさりしようとして仰向けに転んだ。
大勢の声だ。
多くの人々が、皆一様に「グロリオサ」と叫び続けていた。
「やはり聞こえたか」
「う、うん……じゃなかった、はい家元。今のは……?」
「それが聞こえるのは――」
そこまで言って、老人は口をつぐみ考えた。
――あの声が聞こえるのは、一族の中でも自分と百合だけ。
やはり百合には才能……つまりはグロリオサへの『適応力』がある。
いつまでも成長せぬ、小学生並の骨格、体形、肌、体毛、声。
それらはグロリオサに強く影響されている証拠だ。
だからこそ、他の者には一気に注ぎ込んでいる『毒霧の力』を、百合へは慎重に少しずつ与えている。
空手少女に挑ませ続けているのも、百合の適応力を高めるため。
本当はスポンサーへの建前などどうでも良い。
あの女ヒーローの『強大な力』による刺激が目当てなのである。
親戚達に「愚図」だの「才能が無い」だの言われようとも。
百合こそが、最も『自分の血を濃く受け継いでいる』人間。
だがそれを本人には伝えない。
増長させてはならぬ。
適度な危機感、恐怖心、劣等感も必要。
「い、家元……?」
鋭い眼光で見つめられ、百合は戸惑った。
その怯える児童のような姿に、老人は表情を一転させ喜色を浮かべる。
「百合、精進しなさい。ゆっくりと……ゆっくりと、な」
そう。ゆっくりと。
時間はいくらでもある。
百合の体に、老いは無い。
暗殺一族の家長――九蘭琉衣衛は、子孫の顔を愛おしそうに眺めた。
◇
「グロリオサの力は、その像に宿っているっていうの?」
「うん……そう、だよ……赤ちゃんみたいな、キモイ像……」
莉羅は桜に、九蘭家の御神像について説明した。
あの像こそが、グロリオサの力を継承した『物』なのである。
「像を、基本媒体として……九蘭家の『血筋』に、宿っている……とも、言える」
「ふーん。って、それじゃあ戦いようが無いじゃないの!」
桜はベッドの上に寝転がり、悔しそうに叫んだ。
グロリオサの真の力と戦いたかったのだが、動かぬ木像を叩いたり蹴ったりしても虚しいだけである。
そして桜は口を尖らせながらも、妹との会話を再開した。
「でも生物じゃなくて木の像にねえ。そう言えばあの電気魔神も、アニメキャラの人形に宿ってたけど」
電気魔神とは、冥夢神官ダイムが持っていた力の事である。
あの力も非生物を次の主としていた。
「……アニメじゃ、なくて……チャカ子ちゃんは、特撮……だもん」
「あの魔神は自由が欲しいから、意思の無い人形を選んだって言ってたわよね。グロリオサもそんな感じなの?」
その姉の問いに、莉羅は「うーん……」と唸った。
考えるように目を閉じ、両手を頭の上に置く。
「魔神さんと違って……グロリオサの力自体に、意思は無い……から……いや、でも……びみょー……」
「あら、莉羅ちゃんにしては珍しくハッキリしない答えね」
桜がそう言った後、莉羅はふと思いついたように目を開けた。
「……でも、そうだね……あの霧の力は、生き物の心では、絶対に制御できないから……無機物を、選んだのかも……ね」
第六章 完
第七章へ続く




