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1.白と黒


2018.11.02 首都名変更しました。

「え、嘘。ディジリアまさかの朝帰り……?」

 早朝の空気は、余計な雑音がないということも相まってきんと澄んでいる。

 その静寂を壊さないように慎重に扉を開けたディズは、その先に予想していなかった人影を見つけて肩を跳ね上げた。

「レ、レクル……びっくりした……」

「びっくりしたのはこっちだよ。てっきりまだ寝てるもんだと思ってたんだけど、なんでこんな朝早くから外にいるのさ」

 仕着せを纏って手にはモップ。どこからどう見ても掃除中といった格好をしているレクルは、モップを放り出してつかつかと歩み寄ってきた。

 険しい顔で詰め寄ってくるレクルにたじろぎながら、ディズはとりあえずへらりと笑う。

「えーっと……に、庭を散歩してて」

「そんな外行きの外套着て? こんなに日も昇ってないような時間から?」

「うっ。いや、あのえーっと、その……」

 言葉に詰まれば、じとっと据わった目で睨まれた。距離が近いぶん、迫力がある。そして睨まれれば睨まれるほど上手い言い訳が出てこない。

 はからずも妻に朝帰りを咎められる夫のような気分を味わいながら、ディズはレクルを見返した。

(うぅっ。美人の怒り顔って怖い……)

 高い位置で結われた僅かに癖のある栗色の髪に、剣呑な色を宿した、言い逃れは許さないと言わんばかりの眼光を放つ紫水晶(アメジスト)の眸。身体は細身で、肩も腰も驚くほど細い。布地の多い仕着せから覗く肌は白く、ぷるぷるに潤った唇は桜色。上下左右、果ては斜めから見ても可憐な少女だが騙されてはいけない──レクルは歴とした男である。

 普段は可愛らしい顔も、怒りを宿せばただただ恐ろしい。思わずふいっと顔を逸らせば、両頬を鷲掴みにされて正面を向かされた。──彼は可憐な容姿に反して時々仕草が男らしい。

「で? どこに行ってたわけ?」

「いや、えっと……」

「まさかとは思うけど、昨夜勝手に抜け出して孤児院に行ったとかないよね?」

「しょのましゃかでしゅ、しゅみましぇん。離していただけりゅとありがちゃいでしゅ、はい」

 両頬を押さえられているせいで蛸口になった唇では、どうしたってふざけたような口調にしかならない。ちゃんと伝わっているのか不安になって眉を下げたディズは、途端に歪められた彼の唇にぱちぱちと瞬きをした。

 むにむにと艶のある薄い唇が不自然に動いている。かと思えば唇の端がぴくぴくと痙攣でもしているかのように動き、──それが何かを堪えるような仕草であると察して、思わず半眼になる。

「……れくりゅ」

「ふっ、は、はははははは! いや、ごめんごめん。あまりにも間抜け面してるからっ」

「だりぇのしぇいだちょ……!」

「ぶはっ!」

 怒りを露わに叫んだというのに、それすらレクルの笑いのツボを刺激する。むっとして唇を尖らせるとしまいには苦しそうにひーひー言い出すものだから、ディズの目はますます据わった。いい加減離してもらえないだろうか。

「っ、まあお仕置きはこのくらいにしておいて。暗がりをひとりで歩くなんてしちゃダメだろ。ただでさえアンタの見目は変態ホイホイなんだから」

「……不名誉な呼び名つけないでください」

「次からはちゃんと僕も呼んで。寝てたら起こしてくれてもいいから」

 いいね、と有無を言わさない笑顔でそう言われ、ディズは顔を引き攣らせながら頷いた。満足したのか、ずっとディズの頬をむにむにしていた手が離れていく。

(次がいつになるかはわからないけど……)

 そもそも、昨夜抜け出したのは、孤児院のちびたちにどうしてもと乞われたからだ。普段は三日に一回は足を運んでいたというのに、最近は何故か増えた淑女教育のせいであまり顔を出せていなかった。昨日の昼間、十日ぶりに訪れたディズに猪のごとく体当たりを食らわせたちびたちが「今日の夜、一緒に寝てくれる?」と大きな眸をわずかにうるうるさせながら小首を傾げたとき、ディズの夜半の予定は強制的に埋められたと言ってもいい。

 大変にあざとい仕草に絆されたのもあるが、寂しい思いをさせたのかと思うと良心がずきずきと痛んで心がごりごりに削られた。さらに「ディズおねえちゃんが来るまで起きてる……!」と無垢な目をされれば行かないという選択肢はない。実際に、夜抜け出したディズが孤児院についた時、ちびたちは眠い目を擦りながら出迎えてくれた。そこでまた、良心が痛んだのは言うまでもない。

 ディズは、ラビストネア王国の首都ヴァゼルに隣接するユソル領の孤児院出身である。

 王を頂点とした階級制度がはびこるのは、大陸のどの国でも一緒だ。国によっては身分差別までついて回るという。幸いなことにラビストネアでは身分差別などないに等しいが、階級があるということは王侯貴族と庶民の間に逃れられない貧富の差があることと同義である。後ろ盾を持たない孤児たちは孤児院に集められるが、孤児の数によっては経営難で孤児院が傾くことも多々ある。

 ディズのいた孤児院は、ユソルにいくつかある孤児院の中でもとりわけ古く、それゆえに貧窮孤児院でもあった。

 劣化した門、剥がれ落ちた外壁、ところどころにヒビの入ったくすんだ窓。併設された教会もこれまた古く、祈りにくる者など誰ひとりとしていない。取り壊して畑にでもした方がという案も出たが、取り壊しにもまた金がかかる。

 二年前にディズがユソルの領主──イグル=ユソル=マガサウィンの養女になってからは、寄付金も増えたため、食い扶持には今のところ困ってはいないらしいが、それでも孤児院の外観はどこの廃墟だと言わんばかりだ。

(私が聖色だけを持ってたらもっとお金もらえたんだろうけどなぁ)

 視界の隅で揺れる下ろしたままの髪を見て、思わず溜息が漏れそうになった。

 先ほどレクルがディズの見目を「変態ホイホイ」と評したが、この容姿で釣れるのは変態ばかりではない。小さな顔に、長い睫毛に縁取られた大きくぱっちりとした眸。すっと筋の通った鼻梁、血色のいい小さめの唇。小柄な肢体にすらりと伸びた細い四肢。肌が白く華奢なせいか愛愛しい容姿にどこか儚さが加わって、黙っていれば精巧な人形のように美しい。そしてディズの持ち得る武器はその顔立ちだけではない。

 伸ばした艶髪は腰を超えるほどに長く、光を弾いてきらきらと輝く淡雪の白。染めたわけでも、まして年老いて色が抜け落ちたわけでもない先天的なもので、外を歩けば必ずと言っていいほど人目を引く。白は聖なるものを表す純粋な色だ。それを持って生まれたディズは、聖女の地位にある──はずなのだが。

 どうしてか眸の色は、光を弾く髪とはまったく逆の、光を吸収してしまう漆黒。黒は魔を導く歪な色、魔色とすら呼ばれる色だ。

 髪は聖色であるのに、双眸は魔色。その異質さから彼女は〝まがいものの聖女〟とあだ名されている。愛称ではなく、蔑称だ。

 容姿はどこからどう見ても一級品。髪は聖女の持つ聖色。けれど眸が魔色のせいで、彼女に寄ってくるのはそれこそ変態しかいない。

 本物の聖女であったなら、といつもふとしたときに考える。もしディズが本物の聖女であったなら、孤児院への寄付はもっとあっただろうし、すっかり廃れてしまっている教会も祈り場として活躍していたかもしれない。

(本物の聖女だったら、この見た目ももっと使いようがあったのに。…まあ、今マガサウィン様の養女になれているのはこの髪のおかげなんだろうけど)

「今またくだらないこと考えてるでしょ」

「あだっ……!」

 鬱々とした色が双眸に宿ったのを見逃さなかったレクルが、指で額を弾いてくる。加減知らずの彼の指弾に涙目になって額を押さえると、紫水晶(アメジスト)の眸が顔を覗き込んで来た。

「僕は好きなんだからさ、その目の色。別に魔色とか気にすることないよ。大体、東国でよく産出される黒曜石(オブシディアン)っていう真っ黒な石は魔除けに使われてるらしいし、黒が魔色って考え方あまり好きじゃないんだよね」

「……紫水晶(アメジスト)も魔除けなんだって。昔行商人が言ってました」

「へえ、じゃあお揃いじゃん」

 唇の端を持ち上げて、レクルが不敵に笑う。中身が男だとしても見た目は完全に可憐な少女だというのに仕草は男臭くて、そのちぐはぐさにディズもつられて笑った。

 慰めでも同情でもない。本心からディズの生まれ持った色を好きだと言ってくれる、この〝領主の養女付き侍女〟は大切な親友だ。何せ彼とはこの領城に入ったときからの付き合いで、彼が男であるという秘密を共有している。この城の中でレクルが男であることを知っているのはディズだけだ。

 他の侍女なら夜半に抜け出したことを聞けば卒倒してすぐさま義父に報告しそうだが、彼だけは多少小突くだけで見逃してくれる。そういう意味では悪友でもあるのかもしれない。

「そういえばレクル、どうしてこんな早くから掃除を? まだ日も昇ってませんよ」

 誰にも見つからない時間帯に戻って来れるよう、時間を逆算して孤児院を出たのは朝というよりは夜中と言って憚らない時間だ。今はちょうど空が白み始めた頃合いだろうか。城の使用人たちが起きだすのはちょうどこのくらいの時間だったはず。仕事を始めるには随分と早い。

「あー、それがさ。昨夜メイド長からの伝達があって、今日の昼頃に来客があるらしいじゃん。だから客の目に触れるところは隅々まで掃除しろって」

「来客?」

 初耳だ。思わず小首を傾げれば「知らなかった?」といささか驚愕を乗せた声音が返ってきた。

「私、何も聞いてませんよ」

「もしかしてディジリアには関係ない来客なのかな? うーんでも相手的にアンタも対応に出ないといけないと思うんだけどなぁ」

「私も? レクル、お客さんが誰か知ってるんですか?」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 唸る彼は、領主から何も聞いていないディズに言ってもいいのか迷っているらしい。暫し逡巡したのち、周りには誰もいないことを確かめた上で声をひそめた。


「理由はわからないけど、リグスティの年若い領主様が来るらしいんだよね」





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