◇059 店舗召喚8
「さ、サモニア様からの加護を……? 護衛獣……?」
『うむ。小さき主の御尊父、御母堂、よしなに頼む』
朝起きてさっそく琥珀さんのことを紹介すると、お父様もお母様も青ざめて引き攣った顔を浮かべた。
まあ無理もない。琥珀さん、大虎状態だからね。こんなのが屋敷の室内にいたらそりゃビビるわ。
「琥珀さん、小さくなって」
『む? わかった』
ポンッ、と小さな煙とともに大きかった琥珀さんがぬいぐるみのような子虎状態に変化する。うむ、相変わらず可愛い。
「これなら大丈夫でしょ?」
「あら! 可愛いわね! 子猫みたい!」
『虎である!』
私と同じようにぬいぐるみのような琥珀さんを抱き上げたお母様に向けて、くあっ! と大きく口を開けるが、まったく怖くない。元の姿とのギャップがすごいな。
「確かに可愛いですね……」
「な、撫でてもいいですか?」
『むう……。まあ構わんが……』
大虎の姿にお父様たちと同じく怯んでいたエステルとビアンカの二人だったが、子虎状態になった琥珀さんには興味を惹かれたらしい。可愛いもんね。無理はない。
「しかしまた祝福を賜った上に今度は護衛獣もか……。召喚の女神サモニア様はよほどサクラリエルを気に入ったのだろうか……」
『うむ。天上の女神様は小さき主を大変気に入っておられる。此度の加護もその表れだ』
お母様に抱かれた琥珀さんが、お父様にそんなこと言っているが、『天上の女神様』って、それサモニア様のことじゃないよね? 創世の九女神様のことだよね、絶対。
……あれ? この世界がゲームの世界じゃないのなら、祝福のきっかけはやっぱりサモニア様の気まぐれだったのだろうか。そこらへんどうなんだろ? リンゼヴェール様に聞いておけばよかったな。
琥珀さんによると、琥珀さんの本当の主とやらから地上に降りる許可をリンゼヴェール様がもらって琥珀さんはここに来ているんだそうだ。
なので地上における主は私となっているけど、言ってみればレンタル、いや、派遣社員? のようなものっぽい。
本当の主さんはリンゼヴェール様よりも上の神様らしいけど、細かいことは聞かない方が良さそうだ。神様のことは私の手に余る。
まあとにかくまた一店舗増えたわけだし、それについてはありがたい。黒騎士を倒したご褒美ってことかな。
私はいつものようにワクワクしながら結界の張られた庭に向かう。まだちょっと筋肉痛が残ってるが、歩けないほどじゃない。
最近、酒屋、服屋、模型屋とあまり私にとって嬉しくない店舗が続いているので、ここらで私好みのお店が来てもいいんじゃないかと思っている。
そういえばリンゼヴェール様の言っていた、私の『ギフト』に合わせた加護、ってのはなんなんだろう? 特殊な追加能力、とか言ってたけど。
好きなお店を選べる……なんてのは無理かな? まあ、兎にも角にも呼び出してみればわかるか。
「【店舗召喚】!」
眩いばかりの光彩陸離の渦が辺りに広がっていく。それと同時に私の頭の中に、女神様が言っていた加護とやらの詳細な内容が刻み込まれた。
え、なにこれ……? いやまあ、使えると言えば使えるけどさあ……。
そんな私の微妙な気持ちも、目の前に現れた煉瓦造りの店を見た瞬間、全て吹き飛んだ。
落ち着いた佇まいを見せながら、お洒落な雰囲気を漂わせる店構え。薔薇で飾った看板には『PATISSERIE & CAFE LA VIE EN ROSE』の文字。
『パティスリー&カフェ ラヴィアンローズ』!
私の通っていた専門学校の近くにあった洋菓子店だ! カフェスペースもあって、買った物をお茶とともに食べることもできる店!
「やった!」
思わず飛び上がって喜んでしまった。いてて、筋肉痛が痛い。
だけどここのケーキは絶品なのだ。私もちょっとした自分へのご褒美にと、ちょくちょく通っていた。
それにちゃんとした甘味だよ! 駄菓子じゃなくて!
この世界にも甘味はあるが、ドライフルーツを使ったパウンドケーキ的なもので、そこまで甘くはない。生のフルーツを使ったタルトのような物もあるが、甘さは果物のものだから似たようなものだ。
これは当たりだ。ありがとう、女神様!
「食べ物の店のようだね。なんだろう。パン屋かな?」
「この甘い匂い……! これは美味しい予感がするわ!」
お父様よりお母様の方が敏感に甘いものを察知したようだ。女性だからね、これは仕方ない。
足取りも軽く、馴染みの店の扉を開く。小さなカラランというドアベルの音がして、正面にあるガラスのショーケースに入った色とりどりのケーキが目に飛び込んできた。
店内は明るい照明と板張りの床、ところどころに置かれた観葉植物で暖かな印象を受ける。
左手奥にはかなり広いカフェスペースがある。食べていく場合はあちらで注文し、持ち帰るときはこちらで注文するのだ。
「ふわぁ……! 綺麗です……!」
「果物がたくさん載ってる……! 美味しそう……!」
私と一緒に店内に入ったエステルとビアンカも、目の前のケーキたちに目を奪われていた。
「いい匂いがするわ……! サクラちゃん、これ甘味よね!」
「そうです! 全部甘くて美味しいもの……スイーツです!」
「スイーツ!」
お母様もエステルたちと同じく、目の前のケーキに釘付けである。
もう我慢できなかった私は、お母様に金貨をカウンターの上に乗せてもらい、そのままカフェスペースのテーブル席に着き、そこにあったメニュー表からいつものお気に入りを注文した。
「『ラヴィアンローズ』を! 紅茶はアールグレイで!」
私がそう叫ぶと、すぐに目の前に小さな丸いケーキと紅茶が現れた。
白い生クリームの上にいろんなベリー類が載っている。そして中央には飴細工で作られた真っ赤な薔薇が。
これが店名にもなっているこの店のオリジナルケーキ、『ラヴィアンローズ』だ。
「綺麗……! これがお菓子なの?」
現れたケーキに隣のお母様が目を見開いている。
そんなお母様を置き去りにして、手にしたフォークで目の前のケーキを切り分け、口へと運ぶ。
あっま! だけど懐かしいこの甘さ! ケーキの中に閉じ込められた苺の薄切りが放つ酸味が、生クリームの甘さをさらに引き立てる。
かすかに香る薔薇の香りが甘さのアクセントとなって鼻を通り抜けていく……。
これだよ、これ! この甘さを求めていたんだよ、私は……! まさにラヴィアンローズ……薔薇色の人生……!
「わ、私もサクラちゃんと同じ物を!」
「わ、私も!」
「私もサクラリエル様と同じもので!」
お母様、エステル、ビアンカがそう叫ぶと、同じように三人の目の前に『ラヴィアンローズ』が現れた。
フォークで切り分けてぱくりとそれを口にするや否や、三人とも同時に目を見開く。
「なにこれ、美味しい!」
「甘いです! 飴とかラムネとかとは違う甘さ!」
「しっとりとした舌触りがなんとも……!」
その後は三人とも無言でぱくぱくとケーキを口に運ぶ機械となった。
お母様の膝の上に乗せられた琥珀さんも、もぐもぐとケーキを頬張っていた。虎ってケーキ食べるんだな……。
ケーキに夢中な女性陣に気を使うように、お父様が隣のテーブルに座り、メニューを選んでいた。
しばしメニューの写真を見て悩んだあと、お父様は日本語が読めないため、私にメニュー表を差し出してくる。
「サクラリエル。この中であまり甘くないものはあるかな?」
「んーと、このチーズケーキってのならそこまで甘くないと思いますよ」
「じゃあそのチーズケーキをひとつ」
お父様が注文すると、テーブルにお皿に乗ったチーズケーキが召喚された。待たずに食べられるのはいいよね。
お父様はお酒を嗜むのでそこまで甘い物が得意ではない。チーズケーキなら生クリームのようにそこまで甘くはないと思うから大丈夫なんじゃないかな。
「サクラちゃん! お母さん、次はこれが食べたいんだけど!」
「サクラリエル様! 私はこっちの果物がいっぱい入ったやつが……!」
「私はこの焼き菓子をお願い致します!」
おおう……もう次のを食べるのかい? 気持ちはわからないでもないけど、そんなに急がんでも。
お母様にはフォレ・ノワール、エステルにはフルーツロールケーキ、ビアンカにはマカロンを頼まれて注文した。
三人とも美味しい美味しいと言いながら甘味を頬張っている。うむう、開いちゃいけない扉を開かせてしまった気がする……。
私ももう一つ注文しようかな、と思ったが、その前に女神様から頂いた加護のことを思い出した。
いや、確かにこれって店に関係する機能かもしれないけれどさ……。
「【店内BGM】」
私がそう呟くと、店内に静かなピアノ音楽が流れ始めた。
リチャード・クレイダーマンの『星のセレナーデ』だ。確かにこの店でかかっていたことがあった気がするけど……。
「この音楽は? どこかに楽団がいるのか?」
お父様が辺りをキョロキョロと見回す。
「いえ、これは女神様に貰った加護の一つです。店内で音楽を流すことができるそうで……」
「音楽を……?」
お父様が微妙な顔をしている。まあね、この世界の人たちには店と音楽って結びつかないんだろう。やがて考えても無駄と思ったのか、お父様は再びチーズケーキを食べ出した。
【店内BGM】は店内に音楽を流す加護であって、自由に選曲できるわけじゃないらしい。だけど『明るい音楽』や『静かな音楽』、『クラシック』や『ロック』、『演歌』など、大雑把なジャンル選択はできるみたいだ。
選択しないと今のように、この店に合うような音楽が流れるっぽい。まあ、この店に『ロック』や『演歌』は違うよね。
ある意味、有線放送を手に入れたようなものなのかしら……。
九女神のサクラクレリア様は音楽と歌の守護女神と言われている。そっちの加護なのかね?
「素敵な曲を聴きながら美味しいものを食べるのって、とても贅沢ね。まるでお城の晩餐会にいるみたい」
お母様が次はこれ! と私にメニュー表のモンブランを指差しながらそんなことを口にする。まだ食べるんですか……?
「あの、お母様。ケーキってものすごく砂糖とか使ってるんですよ」
「でしょうね。こんなに甘いんですもの」
「なので食べ過ぎると……太ります」
ピシィッ、とお母様が笑顔のまま固まった。モンブランを差している指が小刻みに震えている。
指が少し引いた。……これは迷っているな。
「……くっ、今日は特別!」
そう言ってお母様はビシッとモンブランを指差す。
負けた。砂糖の悪魔にお母様は負けてしまった……。まあ、毎日食べるとかじゃなければそこまで気にすることはないかもしれない。この世界の人たちってなんだかんだいってけっこう動いているから。
それでも『ラヴィアンローズ』を召喚するのは三日に一度とかにした方がいいかな。
この店でケーキを食べる日が薔薇色の日であるように。




