◇021 建国祭にて
次の日のお昼前、ターニャさんが無事キッチンカーに乗って戻ってきた。
ターニャさんたちがユーフォニアムのエステルの家に着いた時、エステルのお母さんはかなり危ない状態だったらしい。
その日の夕方に突然意識を失い、高熱が下がらず、うわごとを繰り返すような状態だった。医者の見立てでは手の施し様がない状態だったという。
そこに飛び込んできたエステルの『ギフト』、【聖なる奇跡】により、危篤状態だったお母さんは一命を取り留めた。
熱が下がり、やがて意識も戻ったという。
もちろんエステルもロバートさんも大泣きに泣いた。無関係のターニャさんももらい泣きしてしまったらしい。
「よかった……。じゃあもう心配ないのね?」
「町医者の話ですと、全く問題ない健康状態だとか。これは奇跡だとまで言ってましたね」
まあね、『ギフト』名が【聖なる奇跡】だからね。
それでもまだ様子を見ようということで、エステルたちはユーフォニアムに残ることにしたらしい。
ターニャさんが持ち帰ってきたエステルからの手紙には、感謝の言葉がこれでもかというほど書かれていた。よほど嬉しかったんだな。
よかった……。十年後のエリオットとのフラグをヘシ折ってしまったのは気になるが、人の命には代えられないよね。
いや、私の場合どんどんフラグをヘシ折っていった方がいいのか……?
でもなあ、エステルがエリオットと幸せになるならそっちの方がいいと思うし。私に破滅フラグがこない限りは。
とりあえずはひと段落ってところかな。
私は右手にある『ギフト』の紋章を眺めた。
レベル4。朝起きたらレベルが上がっていた。これはやはりエステルの好感度が上がったからレベルアップしたのだろうか。いや、どちらかというとエステル覚醒のイベントをこなしたから上がったような気がする。
実際にエステルもレベルが上がっているわけだし。それに便乗させてもらった感がかなりあるけどね。
主要キャラのイベントをこなせばレベルが上がるってことなのかな?
さっそく何が召喚できるのか試したいところだけど、お父様もお母様も建国祭の公務で今日は忙しい。
明日になれば時間を取れるらしいので今日は諦めることにした。こればっかりは仕方がない。勝手にやってなにか事故があったらマズいしさ。
「ところでさっきから気になっていたのだけれど……。この車にこびりついた赤い染みはなんなのかな……?」
バンパーとボディ前面に広がる赤黒い物体。どう見ても血に見えるんだけど……。ま、まさか誰か轢いちゃった……?
「帰り道を全速力で走っていましたら、突然前に飛び出してきたものですから。そのままはねとばしてしまいました」
「やっぱり────っ!? あ、相手は!? ま、まさか死んじゃった!?」
「ええ、即死でしたね」
うわぁ……! ど、どうしよう……! この場合、どうしたらいいのかな!? 轢いたのはターニャさんだけど、車は私のもので、えーっとこういう時は……!
「このキッチンカーはとても頑丈なのですね。ゴブリンを跳ね飛ばしても傷ひとつないのですから」
「……ゴブリン? 轢いちゃったのってゴブリンなの?」
「そうですが?」
な、なんだ、ゴブリンかぁ……。よかった……。よかった、のか、な?
キッチンカーを調べてみると、本当にへこみひとつなかった。いや、外国製だとしても頑丈すぎない?
……もしかして呼び出した店舗、それに付随する備品は壊すことができない……? まさかね?
「あ、エステルの『ギフト』は秘密にしといてね? 変なのに目をつけられたら大変だから」
「わかってます。ユーフォニアム卿からも頼まれました。決して口外しません」
おおう、エステルパパもエステルの『ギフト』の凄さとヤバさをわかっていたか。
どんな病気でも治せる『ギフト』だなんて、ろくでもない輩に狙われるに決まってる。
幸い細かい『ギフト』の内容なんて本人にしかわからないから、傷を治す『ギフト』としておけばそれほど目立つまい。治癒系の『ギフト』は結構あるしね。
「それにしても……サクラリエル様はどうやってユーフォニアム卿の奥方の危機を知られたのですか?」
「えっ!? それは、あれ、あれよ。夢のお告げというか、虫の知らせというか……」
「『神託』を受けたのですか!?」
私が吐いた口からでまかせを、ターニャさんは驚きの表情で受けた。
稀に、ごく稀にだが、『ギフト』を授かった神から『神託』を受ける者が出るらしい。
よほど神に気に入られないと『神託』は下りないし、『神託』を受けたと騙ろうものなら『ギフト』を取り上げられることもあるとか。
わ、私は騙ってないよ? ターニャさんが勘違いしただけで……。夢のお告げとか、虫の知らせって言ったもん……。
さて、今日から二週間は建国祭だ。帰ってしまった(私が帰らせたんだが)エステルの分まで楽しまないと!
お父様、お母様と回ろうかと思っていたのだけれど、二人とも建国祭の行事に出席しなければならないから初日は無理なんだよね。お父様は皇弟だし、こういった場では顔見せしないといけないらしい。
子供は免除されているらしいから、エリオットと回ったらどうかという提案もあったが、ありがたく辞退しておいた。
王女であるルカとティファを誘うわけにもいかないしな。あれ、私ってエステル除いたら普通に付き合える友達がいない……?
むむむ、やはりエリオットの誕生日パーティーの時にもっと顔を広めておくべきだったか。
ううむ、困ったな、一人か。まあ、護衛の人たちもいるから厳密には一人じゃないけど。
「よし! サクラリエル、ワシが王都を案内してやるぞ!」
と、思ってたら辺境伯のお祖父様がやってきた。お母様が連絡してたらしい。いや、一人で回るよりは遥かにいいけどさ。お祖父様、暇なんかな……?
「公爵殿とアシュレイから聞いたぞ? なにか無茶をしたそうだな?」
「あー……まあ、その、はい……」
間違いなく昨日のことだろう。娘が血塗れになって帰ってきたら、そりゃあ心配するよね。ユーフォニアム男爵家はお祖父様とも繋がりが深い。なので昨日の出来事とその結末は、きちんとお祖父様に話しておいた方がいいだろう。
話を聞いたお祖父様が深いため息をつく。
「お前はまだ子供だ。もっと周りの大人たちを頼れ。まだここに来て日も浅く、信じられないのは仕方がないことかもしれんが……」
「いえ! そんなことは! 私はここのみんなを信頼しています!」
これは本当。大人たちの態度を見れば、それが心からのものか、表面だけの仮面かくらいわかる。ありがたいことに、フィルハーモニー公爵家で働く人たちはみんな私のことを気にかけてくれた。
そんなみんなを心配させてしまったことについては大いに反省している。
「お前のしたことは公爵令嬢としては間違っていたのかもしれん。だがそれでユーフォニアム男爵家の皆は救われた。ワシはお前を誇りに思うよ」
そう言ってお祖父様は大きな手で頭を撫でてくれた。なんか照れる。
「それはそうと、その格好で祭りに行く気か?」
「え? なにかマズいですか?」
私は着ていた自分の服を見下ろして何か変なところがあったかチェックする。特に何もないと思うけど、なんかおかしい?
「その格好では貴族の娘だとバレバレだ。面倒ごとを呼び込みかねんぞ? 建国祭や御神祭に行く時はもっと庶民的な服で行くのが習わしなんだ。周りを萎縮させてしまうからな」
えー……。そんな習わし知らんよ。
あ、でも確かにゲームの中でエリオットとエステルが一緒に回っていた時は、町人のような普段着だった気がする。
でもあれはエリオットが皇太子とバレるとマズいからだと思っていたけど。いや、私も一応皇族だし、バレるとマズいのかしら。
「アリサさん、そういった服ってある?」
「もちろんでございます。手抜かりはございません」
メイドのアリサさんが当然のことのように答える。え、これって一般常識なの?
私はアリサさんに連れられ、あっという間に着替えさせられた。鏡の中には目立たない地味な町娘がいる。というか、貧民街時代に戻った感じ。あの時よりははるかにマシな服だけども。
「眼鏡まで必要かな?」
「地味さを出しつつ、可愛らしさも損なわないアイテムです。必要かと」
あ、そう……。私は鏡に映る見慣れない三つ編み眼鏡姿の自分を眺める。まあ、おかしくはないかな。
お祖父様の元に戻ると、お祖父様も目立たない地味な服に着替えていた。どこかの親方みたいだ。
お祖父様だけではなく、護衛のターニャさんやアリサさんたちも私服に着替えている。護衛やメイドを連れていたら貴族ってバレるもんね。でもさぁ。
「公爵家の馬車で行ったら意味ないんじゃないかなあ……」
「三区に入る前に降りるから問題ないぞ。大丈夫だ」
建国祭のメインは第三区と第四区だ。うちは第一区にある。エステルのユーフォニアム男爵家は第二区だ。
皇族と上級貴族が住む第一区、下級貴族と大商人などが住む第二区を抜けて、第三区の門の前で私たちは馬車を下りた。
「わあ、賑わってますね!」
第三区はすでにお祭りムード一色だった。屋根から屋根にたくさんの旗がなびき、人々の賑わいが溢れている。
道のあちらこちらに屋台や露店が並び、珍しい商品を客が覗き込んでいた。楽団が楽しげな音楽を奏で、リズムに乗った人たちが踊り続けている。
陽気な人たちに感化されて、私も楽しくなってきた。お祭りは嫌いではない。
「サクラリエルはお祭りは初めてだからな。よし! まずはウサギ焼きから食べよう!」
なんですか、そのダイレクトな名前の食べ物は。
お祖父様に連れられるままに一つの屋台に向かい、出てきたのはいたって普通の串焼きだった。ああ、ウサギ肉を使った串焼きってこと?
焼鳥みたいなものか。てっきりウサギの丸焼きが出てくるもんかと……。
ウサギ焼きは塩味がきいていて、野趣溢れる味だった。なかなかに美味しい。本音を言えばタレ味も食べたいところだけれども。
「あ、タコ焼きも売ってますよ!」
隣の屋台を覗き込みながらターニャさんが目を輝かせる。タコ焼きは普通に売ってるんだ……。
そういやエリオットとエステルのお祭りデートでタコ焼きを食べるシーンがあったような。
うーん、やっぱりこの世界ってゲーム世界なのかなぁ……。ゲームでのスチルやテキストで出てきた物はこの世界でも存在する。だからちょこちょこ日本文化的な物が見かけられるのだ。なんともちぐはぐな感じがする。
私とお祖父様、それにターニャさんにアリサさんの四人で祭りで賑わう街中をぶらぶらと歩く。
祭りの雰囲気に当てられて、ついつい買わないでいいものも買ってしまう。安物だけどちょっと可愛いブローチとかなんとなしに買ってしまった。ま、これくらい良いよね。
注意深く町行く人たちを見ていると、明らかに貴族が変装してます、といった人たちもけっこういることに気がつく。
お祖父様の言う通り、庶民的な恰好でぶらつくというのは、この祭りにおいては貴族の習わしのようだ。
エリオットのパーティーでチラリと見た子たちも何人か見かけた。もちろん声をかけたりなんかしないけどね。
向こうだって私のことに気がついても話しかけてはこないと思う。お互い不干渉を貫くのも習わしなんじゃなかろうか。
この祭りの主役は貴族じゃなく、王都に住む一般の人々なんだからね。お祖父様に聞いた話だと、中にはそれをわかっていない馬鹿貴族もいるらしいけど。
しかし賑やかだなあ。うちの国内だけじゃなく、他の国からも祭りを見にきている人たちがいるようだ。
あそこの日焼けした子なんか……あれ? ティファ?
ティファに似た子を見つけ、思わずじっと見てしまう。すると向こうもこちらに気がついたのか、じっと見返してきた。着てる服は違うけど、やっぱり似てる……っていうか本人でしょ、これは。
「ティファ?」
「おお! やっぱりサクラリエルか!」
満面の笑みを浮かべてメヌエット女王国の第三王女、ティファーニアが駆け寄ってくる。
「え、サクラリエル?」
その横にいた少女もこちらへ駆けてくる。あれ、こっちはルカ?
二人ともパーティーで会ったときとは打って変わって地味な姿だったので、すぐにわからなかった。彼女たちも変装していたんだな。後ろに控える護衛さんたちも地味な服装だが、ちゃんと帯剣している。
まさかメヌエットとプレリュード、二国の王女様とここで再会するとは。祭りを見てから帰るとは聞いていたけど。
「二人で回っていたの?」
「いや、エリオット皇太子も一緒じゃったが、はぐれてしまっての。まあその方がルカと二人、気兼ねなく見物できるから問題ないが」
「うん。問題ない」
なんだろう、エリオットが不憫すぎる……。隣国の皇太子と一緒だと気を使うってのはわかるけどさ。
しかしエリオットめ、二人を祭りに誘っていたのか。なかなかやるな。それとも皇王陛下の命令かな? はぐれてしまってるのがマイナスポイントだけどね。
今頃二人を必死に探しているんだろうなあ。




