335 手当の話を聞く
「あ、赤ちゃんが……できた……」
自分の体重が消失したような、変な気持ちになった。
なんか、夢の中にいるような、そんな気分だった。
「え……そ、そうか……。お、おお、おめでとう……」
「おい、それは第一声としてはおかしくないか? 私もこんな経験はないが、それで正しいのか? どうなんだ?」
アリエノールに突っ込まれた。その気持ちはわかる。
「いえいえ、おめでたいですわ~。まさに、おめでたですし~」
セルリアが素直に喜んでいるので、俺のほうが正しいみたいになってるが、アリエノールの反応のほうが正しいのだろう。
だって、俺とアリエノールはまだ結婚してないのだ。
「え、ええと……いつの時だ……?」
「知るか! 割と会っていたしな……。確かなのは、お前との子ということだ……」
アリエノールは視線をテーブルに落としながら話している。
まあ、面と向かって話すのはなかなか難しい話題だよな。
それでも、アリエノールは勇気を出して、また顔を上げた。
「フランツよ……それで……どうしようか……?」
また、アリエノールが視線をそらしたかと思ったけれど、その先にはセルリアの顔があった。
だよな。セルリアが呼ばれた理由もはっきりした。
アリエノールは俺にセルリアがいることも知っている。だから、セルリアだけを連れてくるようにというような手紙を書いたんだ。
まあ……後でメアリがすっごく不機嫌になりそうだけど、いったんそのことは置いておく。
俺の答えは決まっている。
「結婚しよう、アリエノール」
俺は立ち上がって、体を乗り出して、言った。
「え、あ…………はい、ありがとう……」
あっけにとられた顔で、アリエノールはあっさりと承諾の言葉をつぶやいた。
ただ、それから、納得いかないという顔で立ち上がってきた。
「おい、我が好敵手よ! やけにあっさり結婚と言ったが、本当に、本当にいいんだな? ある程度は考える猶予も与えてやるつもりだったが、いいんだな? うちは『黒魔法使い母子・父子家庭保険』にも入ってるから、私一人で育てることもできるのだが、結婚でいいんだな?」
たしかに黒魔法使いは職業柄、シングルマザーもシングルファザーも多いので、そういった人が生活できるような保険もちゃんとある。
「なんで、ちょっとキレ気味なんだよ!? お前だって受け入れただろ! それなりに希望には沿ってただろ?」
「それはそうだが、お前のほうにもいろいろあるだろうが!」
また、アリエノールの視線がセルリアに向く。
「わたくしは以前にも話したとおり、お二人の結婚を応援しますわ」
胸に手を当てて、セルリアが言った。
その表情にはサキュバスの矜持みたいなものがあった。
「それに、フランツさんの収入なら十分に世帯を持てる額ですし、アリエノールさんも自分のお店を諦めなくてもいいですし、新生活もどうにかなるかと思いますわ」
「実務的なことを詰めるな! 私もわかっている! 経済的にはどうにでもなるぞとか、考えてはいた……」
そこは気にするよな。
本当にネクログラント黒魔法社に入ってよかった。
「ですが、わたくしはフランツさんの使い魔です。それをわかったうえでのことなら、何も言うつもりはありませんから」
セルリアが言いたいことはそれですべてだろう。
「セルリアよ。それを否定する権利は元より私にはない。好きなだけやるがいい!」
アリエノールも叫んだ。じゃあ、もう何も阻むものはない。
「ほら、ご主人様」
セルリアが俺に何か促した。
「個室なのですし、抱きしめてあげるべきですわ」
たしかに特別な一日だものな。
俺はアリエノールの前まで行くと――
ぎゅっと堅い抱擁を交わした。
俺はアリエノールと結婚することになりました。
魔法学校を卒業してから、いろんなことが変わっていくよな。
ちなみにその日、帰宅してメアリに話したが、予想どおりふくれていた。
「あっそ。まあ、いいんじゃない? 矮小な人間同士、お似合いのカップルだよ」
「これだからお子様はダメだな。すぐにすねる」
「グダマル博士は黙っていて。でないと、わらわ、いろいろ滅ぼしちゃうかもしれないよ?」
それは困るので、博士、本当に一時的に黙っていてください! ナイトメアでも抱っこしててください!
メアリは納得はしてくれたが、その代わり、きっちり本音を話してきた。
「結婚は、そりゃ、しょうがないだろうけど、わらわが呼ばれてなかったってことに、かちんときてるんだよね」
「うん……。ごもっともだ……」
これに関してはアリエノールに代わって、俺が謝罪した。
「結婚が決まったんだったら、どんどんやるべきことはやらなきゃね」
「ああ、結婚式の日取り決めとかか。暦のうえで黙示録の日にしちゃダメで、天地創造の日にするべきとかあったよな」
「それもあるけど、しかるべきところには報告しておくほうがいいよ。ビジネスとプライベートは別って考え方もできるけど、フランツにとっては恩人みたいなものだし」
まったくだ。早速、次の出社日に言ってこよう。
●
仕事が終わった後。
俺は会社の地下にある社長の自宅に行った。
目的は決まっている。
「社長、アリエノールさんと結婚することにいたしました。ちなみに、赤ちゃんはできているそうです」
応接室でお茶を出された時に、俺はその言葉を伝えた。
社長に向かって、できるだけいい笑顔で、言おうと務めた。
しばらく、社長は情報を整理するためか、きょとんとしていたが――
熱烈な拍手で祝福してくれた。
「おめでとうございます! これからは一家を支えていかなければなりませんね!」
「はい、今後ともしっかりとこの会社で働いていきたいと思っています!」
「あっ、そうだ、少しだけお待ちいただけますか?」
そう言うと、社長は応接室を出ていった。
何だろう。花でも贈ってくれるのかな? だけど、事前に準備しようがないだろうし……。
しばらくすると、社長は書類を持って、戻ってきた。
「結婚世帯手当に関する資料になります」
「そういうことか!」
やっぱり社長はどこまでいっても社長だ。
「勤務時間外ですが、せっかくなので、簡単に説明させてもらっていいでしょうか? 残業時間にはつけてもらっていいですから」
「はい、もちろん!」
俺は社長から結婚世帯手当について教えてもらった。
あと、子供が生まれたら、またそれはそれで手当がつくらしい。
「はっきり言って、すごく手厚いですね……」
「だって、結婚を機に、会社を辞めますって言われたら、会社の損失じゃないですか」
くすくすと社長は笑った。
この会社に就職してよかった。




