330 責任の処理の仕方
研修が終わった後もムーヤンちゃんの人格が劇的に変わってるなんてことまではなかった。
あいさつする時に、やけに姿勢をよくする癖が残っていたけど、その程度のことなら、そのうち元に戻るだろう。同じようなあいさつをする社員がいないわけだし。
あと、言うまでもないことだけど、マナーよりも大切なものがある。
ムーヤンちゃんが俺がやった、インプ召喚による農地の保守点検業務の請求書を作ったのだけど――
「ムーヤンちゃん、ここ、魔法の名前が間違ってる! この名前だと、けっこう高度な黒魔法になるから請求する額もかなり大きくなっちゃうんだ」
「あっ……どうしましょう……。それは控えのほうで、もう、請求書を送ってしまってます……」
ムーヤンちゃんが青ざめた顔になった。お金が絡む問題だし、社外にも影響することだからな。
もっとも、ここで嫌味を言ってもしょうがない。
「仕方ない。過去に何度か仕事をやってくれてるお得意様だし、俺が頭を下げに行けば笑って許してくれると思う。ムーヤンちゃんは新しい請求書を作っておいて。それを直接持っていくよ」
「す、すみません! 本当にすみません!」
ムーヤンちゃんは何度も頭を下げる。それを止める方法は俺にもわからない。逆の立場だったらフォローされても俺だってそうしちゃっただろう。
「それだけ反省しちゃうなら、もう同じ失敗はしないと思うし、いい勉強になったって考えてくれればいいよ。クレーマーみたいな人に間違った請求書を送っちゃってたら俺もブルーになるけど、今回はそういうのでもないから問題ないしね」
こっちとしては些細なひと手間が発生するだけだ。むしろ、現時点で発覚してマシだったと思おう。
「そこまで落ち込む必要はありませんわ。この間違いを糧にして成長すればいいだけですから」
セルリアもフォローをしてくれている。うん、本当に大丈夫だと何度も言ってあげてくれ。
「あの……フランツさん、今日、少し居残って請求書を作り直すので、ご確認を願えますでしょうか……?」
上目づかいでムーヤンちゃんに言われた。
たしかに俺が戻ってきた時点ですでに夕方だったし、今から請求書を作れば残業になる。
ミスをやらかした作業を明日に回したくないという気分はわかる。
「わかった。じゃあ、俺も残ってるよ。セルリアは帰ってくれてていい」
「はい……。ありがとうございます……」
やけに重々しい表情でムーヤンちゃんは言った。
フォローをしたつもりだったけど、まだこたえてるのか。
残業の時間になると、書類を持って、ムーヤンちゃんは席を立った。
「すいません、先輩。あちらの別室で作業をしますので、十五分後にチェックに来てくれませんか? 別室のほうが集中できるので」
俺がすぐ横にいたら、訂正作業もしづらいか。
「うん。じゃあ、うかがうことにするよ」
社長とゲルゲルも地下の住居部分に引き上げてしまっているし、会社はしんと静まり返っている。落ち着かないが、こういう日もあるだろう。
やがて十五分が過ぎた。
部屋に行くと言った以上、俺のほうから行かないとダメだ。ムーヤンちゃんは真面目だから、杓子定規に考える部分も強い。早くできたから自分から来ましたなんてことをしづらいかもしれない。
それに先輩・後輩の上下関係もあるし。俺が気にしてなくても、ムーヤンちゃんが気にしないかは別だ。
俺はチェック用の筆記用具と、黒魔法の一覧が書いてある本を手に持って、別室のドアをノックした。
「ムーヤンちゃん、入るよ」
「…………お願いします」
やけに気落ちした声だ。最初にミスに気付いた時以上に落ち込んでいるように聞こえる。
ミスした事実がある以上、やむをえないか。繰り返し、慰めるしかない。
俺はドアを開けた。
そこには――――下の下着だけをつけたムーヤンちゃんが立っていた。
俺は硬直した。
意味がわからない。ここは更衣室ではないよな? もしや、裸になると集中できるタイプ? だから、別室に異動したのか? だとしても、俺はノックして、ムーヤンちゃんが許可を出したはずだし……。
世の中には男女ともに悪徳的なことを好きな人もいるけど、ムーヤンちゃんがそういう性格の子でないというのはほぼ間違いないところだ。今も、泣きそうな顔をしているというか、実際に涙ぐんでいる。
おずおずと、ムーヤンちゃんは俺のほうに近づいてきた。
俺はゆっくりと後ろに下がろうとするが、ムーヤンちゃんがヤケになったように走ってくる。
ほぼ全裸のムーヤンちゃんに抱きつかれた。
「今日は、本当にすみませんでした……すみませんでした……」
「ああ、そのことなら、大丈夫だから……」
それよりもほかの大丈夫じゃないことがあるし。もしや裸であることが理解できてないほどにミスのショックがデカいのか? そんなこと、トトト先輩ぐらいでなきゃ、起きないと思う。
「で、ですから…………そのミスは……体で払います」
何かの聞き間違いかと思った。それとも夢か?
官能小説でなら出てくる言葉だけど、後輩の社員に言われる言葉じゃない。
「ムーヤンちゃん、本気で怒るぞ。君も本気なのかもしれないけど、これはこれで完全にセクハラ案件だ」
俺も声音を硬くした。先輩として、流されてはいけない。
「もしかして、俺の使い魔がセルリアだし、俺がそういうことを大好きな奴だって思ってる……? それは俺の責任もあるかもしれないけど……サキュバス的なことを要求したりはしない。そこだけは誓って言う」
ここで誤解をされたままだと俺も最悪なので、慎重になる。
「体で払うだなんて発想は何があろうとしないように。黒魔法使いの国家スパイみたいな立場ならハニートラップなんてこともあるかもしれないけど、君は一生関係ないことだ」
しばらくムーヤンちゃんは黙っていたが――
やがて、大きな声で泣き出した。
やっぱり精神的に無理があったらしい。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「うん、もう怒ってないから」
「け、研修で……大きなミスは体でチャラにできるって聞いたんです……それで……」
「あっ?」
自分の声が重く、険のあるものに変わった自覚があった。
そんな研修がありうるか?
そんなマナーがあってたまるか!




