318 出ていくしかない
「とくにお前らにカリキュラムとやらは見せん。見せたところでどうせわからんだろうしな。雑用をしながら覚えられるなら勝手に覚えるがよいわ」
やはり、そういう昔カタギの職人さんか。
「はい、よろしくお願いします」
「フランツ、声が小さい!」
ええっ! さっきは声が大きいって文句言ったくせに! どっちだよ!
「なんだ、何か言いたそうじゃな。もう、破門でもワシはいっこうにかまわんぞ」
「いえ、なんでもありません……」
頑固とか以前に性格が悪すぎるだけでは……? そりゃ、みんなあきれて帰るぞ。
しかし、性格が悪いからといって技術が悪いとは限らないんだよな。
むしろ性格に難がある人にとんでもない才能があるってことも多い。そこが難しいところだ。
「さて、ではまず何をやってもらおうかの」
下働きみたいなことをやらされるんだろうな。シカの角をやすりで磨けあたりかな。
「フランツ、ふもとの集落まで降りていって、食堂で弁当を買ってこい」
見て覚えることすら不可能なことを言われた! しかもふもとまで無茶苦茶距離あるぞ! 石段を上ってきたばかりなのに!
「三秒以内に買いに行かなかった場合は破門じゃ!」
「わ、わかりました!」
俺はすぐに石段を駆け下りた。ここで俺が抵抗したらすべてが終わってしまう。企画立案者がそれじゃ話にならない。
俺は階段を下りながら思った。
当初の想像より十倍はきつそうだ……。
極端な後継者不足というのは、人的な問題でもあったんだな。
というか、まともでいい人ほど、あんな人格破綻者の下では修行できない。そりゃ、誰も育たないはずだ。
おそらく、ほかの職人も多かれ少なかれあんなひどい性格だったのだろう。
なかなか村の外に働きに出るということができない時代は、いびられながらも職人見習いをするしかなかった人もいたはずだ。その価値観で続けているから、一気に弟子がいなくなって、滅びそうになっているわけだ。
ベンドローさんも見習い時代は理不尽な目に遭っていたのかもしれないけど、それであの人が生き残ったのって、ただの生存バイアスだよなあ……。いくら角細工がそれなりの収入になるといっても、あんな人間の下で耐えるのは普通はできない。
けど、滅んでは困るのだ。
角細工職人が増えるかどうかで、大角黒ジカの問題も解決する。
さらに田舎に地場産業が復活するおまけ付きだ。
ここはなんとしても耐えなければならない。
「……せめて三日耐えよう」
それ以上は自信がない。胃に穴が空きそう……。これまでの最高記録が三日らしいし。あと、あまりにも理不尽だから、三日耐えたから破門じゃなんてことすら言ってきかねないよな。
前途多難だと思いつつ、俺は石段を駆け下りた。
黒魔法の杖で軽く体を支える。まさか石段でも利用価値があるとは思わなかった。
ふと、がさがさと何かが茂みを動く音がした。
「なんだ? ……シカかな。違うとしても別の獣か」
動物にしては見られている感覚もあったけど、人間じゃなくても動物だってこっちをうかがうぐらいはするか。
あと、もっと重要なことに気づいた。
「弁当代もらってないぞ……」
おいおい、自前で俺が払うのか? もはや、ただのパシリだぞ……。弟子ですらないぞ。
お金を払ってあの仕打ちから逃げられるならいくらでも払いたいけど、そういう問題でもないよなあ……。
ふもとの集落のほぼ唯一と言っていい商店で弁当を買った。
なお、店のおばさんがベンドローさん好物がどれかも教えてくれた。地域が味方になってくれている。
「あの人のパシリやらされてるんでしょう? あの人を嫌いになっても集落は嫌いにならないでね」
「あ、はい、それは分けて考えます」
「ほんとに、クズばかりが職人として残っちゃったのよね……。私の子供も三人ともあんな連中に弟子入りするぐらいなら都会に出て飢え死にしたほうがマシだって言って王都に行っちゃったわ……」
性格が悪くないと角細工職人になれないみたいな掟でもあるのか……?
「今日はこの鶏の胸肉弁当でいいと思うんだけど、三割ぐらいの確率でいきなりキレることがあるからその時は運が悪かったと諦めて。もはや運でしかないから」
「それは冷めてるとかそういった理由があるんじゃないんですか?」
「でも、あったかいと『なんで冷めてないんじゃ!』ってキレる時もあるみたいだから」
「そのうち、ベンドローさん、暗殺されそうですね……」
「暗殺はないけど、集落にいた角細工職人は抗争になって殺し合いをして、大幅に数を減らしたりしたわ。私が生まれるより前のことだけど」
昔の黒魔法業界よりずっと恐ろしい世界だな!
まずい。
ここまでありえない環境だとは思っていなかったぞ。
もう、この角細工という技術は途絶えたほうがいいのではないか。
あるいはベンドローさんに死んでもらってから、技術を再生させるほうがよっぽどマシな気がしてきた……。作品と工房が残るなら、どうにかできるのでは……。
「そろそろ戻ったほうがいいよ。冷めてるほうが危なくはあるから」
俺は暗い気持ちになりながら、帰路についた。
途中、何頭か大角黒ジカを発見した。何も知らなければこの森のヌシと思ってしまうほどの巨体だった。
俺を見てもまったく逃げない。もはや人間を恐れるということすらなくなっている。もっとも、よほど専門的な弓や槍がなければあんなのを倒すのは無理だろうが。
「あいつら、生態系の一番上にいると思ってるんだろうな……」
やけにジロジロ見られている気がしたが、そりゃ、人間が走っていれば視線ぐらいは送ってくるのかな。
どうも、別の何かがいるような感じもあるんだけど――俺を攻撃することが利益になる奴が存在しないだろう。
ベンドローさんを怨んでる人は集落の中だけでも無数にいそうだけど……俺が攻撃されてベンドローさんが悲しむとは考えないはずだから、俺は攻撃されないはずだ。
石段を黙々と上って、汗だくになりながら工房にまでたどりついた。
なんか、以前と空気が違っている。
しんと静まり返っている。




