197 キャリア形成問題
終業時間はじきにやってきた。
「さ~て、王都まで飲みに行こうかしら」
さっとトトト先輩が立ち上がる。この人、本当にお酒好きだな。
けど、トトト先輩のほかにも、弛緩した空気が会社に広がる。
いかにもこの会社らしい。
その中でファーフィスターニャ先輩だけが沈んでいるように見えた。
もっとも、さっき相談に乗ってほしいと言われたせいで、バイアスがかかっているのかもしれない。
人が帰っていって人数が減ったところで、ファーフィスターニャ先輩が俺のほうに来た。
「じゃあ、行こうか、後輩君」
「はい。セルリアとメアリは――」
「来てくれていいよ。後輩君に二人への隠し事を作らせるのも悪いし」
セルリアとメアリもその場では何も聞かなかったが、問題があるということは悟ったらしい。顔を見ればすぐわかった。
●
俺たちは王都のほうの寂れた喫茶店に入った。
ほかのお客さんは、近所のご老人二組だけなので、聞かれてもリスクもないだろう。
なお、先輩の横には使い魔のフクロウ、モートリ・オルクエンテ五世がついている。人の入っていないお店だから、大きな使い魔がいても問題ない。
「主君の件、なにとぞ、よろしくお願い申し上げる」
モートリ・オルクエンテ五世がまずあいさつしてきた。よくできたフクロウだ。
「ファーフィスターニャ先輩、わたくしたちでお力になれることがあれば、なんなりとおっしゃってくださいませ」
心やさしいセルリアが胸に手を置いて言った。
「もちろん秘密もお守りいたしますわ。秘め事はサキュバスにとっても大切なことですから」
ちょっと意味合いが違う気がするのだけど……人様に言えないことをいろいろ行うという点では秘密と親和性があるのかもしれない……。
「うん……わかった……」
自然と、ファーフィスターニャ先輩はうつむき気味になっている。
この会社で不満なんて、まずないだろうと思うけど、会社の問題ともかぎらないしな。
ありうるとしたら、友達の連帯保証人になって、その友達が逃げたとか?
あるいは家庭の問題かな。一族が相続でもめているとか?
考えても、答えなど出てくるわけはない。
とにかく、まずは先輩の言葉を待とう。
「実はね…………わたし、他社から引き抜きの話を受けた」
「「引き抜き!?」」
話を聞いてた俺たちの言葉がハモった。
それぐらいにはインパクトの強い言葉だった。
「主も苦しそうであるがゆえ、ここより先は、手前からお話し申し上げる」
フクロウのモートリ・オルクエンテ五世が小さくジャンプして前に出てきた。
使い魔というより、完全に家臣だな、このフクロウ。
「引き抜きの打診をしてきたのは、『第一魔法』という大手企業でござる」
「マジかよ……。すごい名前が出たな……」
思わず、ほうけたように俺から言葉が漏れた。
「『第一魔法』――って有名な会社なの?」
メアリは人間の国に関してあまり詳しくはない。
怪しい奴とかは見事な洞察力で見抜くのだけど、人間社会自体をあまり知ろうとする意欲はないのだ。メアリからすると、人間社会なんて矮小な存在の集まりってことなのかもしれない。
「魔法の業界では知らない奴のいない大企業だよ。いや、魔法と関係なしに世に知られてる。そのへんの通行人に聞いてもほぼ確実に知ってる」
魔法の会社は専門的なことに特化した小規模なところも多いが、『第一魔法』はその真逆だ。
「そこは白魔法の使い手だけでなく、ほかの魔法の使い手も採用してる。魔法関係の総合企業って言っていい。規模だけなら魔法の企業でも最大じゃないかな」
つまり、ファーフィスターニャ先輩は魔法業界の最大手から来ないかと言われたわけだ。
「先方の条件は、我が主を王国南部エリアの統括マネージャーにしたいとのこと。立場的には主の下に正社員だけで二百人いることになり申す」
部下が二百人……。社会人二年目に突入したばかりの俺には想像が及ばない数字だ。
「な~んだ。たったの二百人か。わらわのミニデーモンなんて六万六千六百人もいるよ」
「メアリ、話がややこしくなるから、口をはさむのやめろ……」
偉大すぎる魔族がいるせいで、先輩の状況が霞む。
「先方は給料も現在の三倍は確実に出すとのこと」
「モートリ・オルクエンテ五世、お給料はわたし、ちっとも気にしてない。今のお給料でも困らない。食べていければいい」
先輩が使い魔の説明に注文をつけた。先輩、そんなにぜいたくしてるイメージもないし、その点は本当にどうでもいいのだろう。
もっとも、先輩は迷っているから俺たちに相談をしてきたわけで――
「先輩は、その会社のどんな点に惹かれてるんですか?」
俺のほうから率直に聞いた。
先輩が価値を見出してる場所を確認できたほうが話がスムーズに進む。
「…………と、統括マネージャー」
蚊の鳴くような、か細い声でファーフィスターニャ先輩がつぶやいた。
「今の会社は楽しい。仕事も問題なくこなせてると思う。だけど……」
そこで先輩はちょっと間を空けた。
「自分の能力を最大限に生かせているのかわからなくなる時がある。もっと、上っていうか、大きなことをしたいなって思うことも……なくはなかった」
俺はできる人間だからこその悩みというものがあるんだと感じた。
ファーフィスターニャ先輩は一言で言って、天才だ。
立体魔法陣という高度な技術を独学で突き詰めているレベルなのだ。
王都の中でも先輩に匹敵する魔法使いが何人いるかどうか。
得意分野は魔法使いによっても異なるだろうけど、先輩は確実に第一人者の一人だ。
だからこそ、自分の力でどこまでやれるか一回、試してみたいなって思うことだってあるだろう。
「『第一魔法』の統括マネージャークラスなら、今の会社では実現できないような、大きなプロジェクトにも参加できる。そこで、わたしの立体魔法陣がどんなふうに活躍できるか知りたくは……ある」
次回、23日の更新予定です。その次の更新は27日か28日になります。ベトナムのイベントに参加するのためです……。すごく久しぶりの海外なので、ちょっと緊張してます……。




