108 紫魔法を破れ
そこで、少し留保すべき点があるといって、法律家の先生は説明を加えた。
「ただ、その点、一つ重要な点がありまして『確認主義』というものをこの国はとっています。つまり、当人が役所に来るか、あるいは役所の人間が該当者を確認するかということをしないと、書類申請だけで人間がいるとはみなせないということです」
「それは、まあ、そうしないと偽造戸籍だらけになりますもんね……」
言われてみれば当たり前なことだけど、俺たちにとっては大きな関門だ。
ヴァニタザールの下で働かされてるアンデッドは外に出ることなんてできない。
となると、役所の担当者をヴァニタザールの会社に入れて、そこで人間の戸籍を作ってもらわないといけない。
「わらわはよく知らないけど、役所の人、そんな面倒なことはしたくないんじゃないの?」
メアリは全然信用していない。俺もそれは同意する。それに企業側が求めてない状態で、俺たちが役所の担当者を送り込めるのか?
「ああ、熱意のある担当者ぐらいなら紹介できますよ。それに、その会社は大きな脱税状態と言えなくもないので役所も動かせるかなと」
さすが専門家だ。
ならば、もう勝ったも同然だ。
「ただ、あのヴァニタザールが非合法な手に訴えてこないかどうかは不明だけどね。こっちをぶっ殺して証拠隠滅しちゃえばいいとでも考えそうだよ」
「その可能性は……かなり高そうだな……」
でも、これでやっと戦うための道具が揃ったな。
●
一週間後、俺たちは再度、ヴァニタザールの会社を見学することになった。
名目はアンデッドの働きぶりをさらに細かく見るためということにしておいたけど、はっきり言って無茶苦茶不自然ではある。断られたら別の潜入方法を試すしかないと思っていた。
ただ、ヴァニタザール自体はあっさり許可を出した。まあ、攻略法をこちらが見出せば逃げ続けることはできないだろう。
俺の側は見た目の上は、俺とセルリア、メアリ――それと研修員という名目になっているトルミー郡の役所の女性。
「ふふふ、これで過疎化で悩んでいる郡に大量の新しい人間がいることを明らかにできれば、私も出世できます、ふふふふふ!」
事情を説明したら意欲のある人がちゃんと捕まった。出世欲は組織の中では割とメジャーな欲望なので、しっかりそこを刺激できたのはよかった。
「できるだけ、作業はさりげなくやってくださいね。一人でも二人でもこの中のアンデッドを法的に人間にしちゃえば俺たちの勝ちですから。あとは人間を虐待してると訴えられますんで」
小声で役所の女性に俺は確認をとる。
「はい、すでに決裁担当者のサインが入ってる書類も用意してますから、アンデッドの方の自筆署名でもあればやれます。ふふふふふ!」
ヴァニタザールに対してはセルリアがどうでもいいよもやま話を延々とし続けることで、注意を引き付けるという手を打ってくれている。
相変わらず変なお面をかぶってるせいで、表情もよくわからないが、とにかくこのまま全力を尽くす。
この建物のアンデッド全員を人間にしてやる。
「そういう感じで、これをアンデッドの方に適用できるかなと思ったのですわ」
「なるほどね。ガレー船の労働力にアンデッドは使えるね」
ヴァニタザールに怪しまれないためとはいえ、セルリアの話はなかなかえげつないな。
そして、ついにアンデッドが働かされている第一作業室に俺たちは通された。
俺はセルリアとメアリに目くばせする。
ずっと話を続けておいてくれ。その間に俺と役所の女性は部屋の奥に行って、アンデッドをそうっと人間にしておく。
無表情で安いおもちゃの組み立てをしているアンデッドの男にそっと歩み寄る。
俺は小声でさっと事情を説明する。
「ここにペンで名前を書いてもらえれば、あなたをこの環境から抜け出させることができます」
しかし、その説明がほかのアンデッドにも聞こえた。
「やったー! この環境から抜け出せるんだっ!」
彼らにとったら本当に泣きたくなるような日々だったのだ。
それで解放されるかもと思えば、叫びたくもなるだろう。
でも、叫ぶのがちょっと早すぎた。
「よし! 来た!」「これで自由だ!」「ヴァニタザールなんてくたばっちゃえ!」
その声はすぐに連鎖していく。
もちろんヴァニタザールにまで響いてしまった。
「なるほど、そういうことだったわけだね。何のために来たのかと思ったけど、なかなかだいそれたことを考えるじゃない」
静かにヴァニタザールがつぶやいた。それなのに、やけにその声は俺のところにまではっきりと響いた。
まずい。こいつ、絶対に超強い奴だ。
右手を動かして中空に魔法陣らしきものを描く。
すると、指で描いた陣がそのまま発光し、瞬時に、ヴァニタザールは俺がいるところにまで、文字通り飛んできた。
俺たちの真ん前にヴァニタザールが現れる。
その迫力に恐怖したのか、役所の女性は「ふぁっ……」と弱々しい声をあげて気絶してしまった。
「君たちがやろうとしてることはよくわかったわ。悪いが、ここで全員死んでもらうことにする。いや、むしろ紫魔法で完全に洗脳したほうが足がつきにくいかしら。まずは君の心の奥底にある普段は隠れている心をこちらで操作させてもらうわね。それなら洗脳は思いのままだし!」
すぐにまた中空でヴァニタザールは陣を描きつつ、詠唱を行う。
洗脳系の魔法か。少なくとも、黒魔法とも白魔法とも違う。精神に影響を及ぼすような紫魔法なんだろう。
「ご主人様、気をつけてくださいませ!」
「フランツッ! 直撃は危ないよっ!」
セルリアとメアリが叫びながらこっちに近づいてくるけど、ヴァニタザールは先手必勝で攻撃に来るつもりだ。
俺も迎撃準備はできている。ちゃんと今回は杖を持ち歩いている。
先に一発ぐらい、敵の攻撃が来るけど――深層心理に効くのなら、きっと防げる。
「喰らいなさいっ!」
紫色の不吉な光が俺の体にぶつかる。
しかし、直後、ヴァニタザールのほうがか弱い悲鳴を上げた。
「な、なんだ、これはっ! 妹に対する偏愛が流れ込んでくるっ! 怖すぎるっ! キモい! キモい!」
そ、そうか! 俺の心の奥底には祖先のキモい欲望が残ってるんだよ!
妹が存在しないから普段は一切の影響はないけど。
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