第63話 猟犬
モラヴィア王国、王都キュリロス。
市街戦の後始末が進んでいくにつれ、国防省、魔道院、宮城といった各施設における【戦果】が徐々に明らかになっていった。
最終的に王国側が保持することとなった宮城はともかくとして、他の施設に関して、支配権を有していたのはソ連側だった。
戦闘の終結に伴い、現地のソ連軍は瓦礫の山と化した国防庁舎、そしてほぼ無傷で奪取することに成功した魔道院の捜索を開始している。
いずれの施設にも本作戦における奪取目標である救世計画関係者、そして高位魔導師といった人々が多数存在しているとされ、それらのうち、叛乱軍に与したとされる者達は例外なく赤軍によって捕縛、ソ連国内に移送されることが取り決められていた。
モラヴィア側にしてみれば、彼ら叛徒は現政権や王室へ向かうであろうソ連側の怒りと制裁を肩代わりさせるべきスケープゴートであり、ソ連側にしても自らをこの世界に招き寄せた極大魔術をはじめ、彼らの技術を奪取することが何よりも重要だと考えていたので、モラヴィア政府がソ連側の顔色を窺いつつ提示してきた【生贄】を、とりあえずは快く受け取ってみせた。
もちろん、ソ連側としてはモラヴィアが自分から差し出してきた【貢物】だけで満足するつもりなど毛頭ない。
頃合いを見てモラヴィア側が有する魔道関連技術の一切合財を奪い去る算段ではあったが、最優先目標の確保が済むまでは現地政府の反発を買わない程度に大人しくしておくつもりだったのだ。
―――問題は、肝心の高位魔導師達が死体含めて影も形も見当たらなかったことだ。
当然、ソ連側は激怒し、モラヴィア政府は真っ青になった。
既に国家そのものが滅亡の瀬戸際にあるモラヴィアにとって、自らが差し出すことのできる諸々の中で、最もソ連が欲しており、かつ最も自分たちの腹が痛まないカードが失われたのだ。
しかも今次戦役について、ソ連側が戦争責任をモラヴィア指導部に追及してくるのは明らかであり、これに対してモラヴィア側がすべての元凶として一切合財の泥をかぶせてソ連に引き渡そうとしていた召喚魔導師たちが根こそぎ居なくなってしまったわけだから、モラヴィア側がこの時抱いた恐怖は察するに余りある。
『いったいどうしてくれる』というソ連側からの難詰に対し、モラヴィア側は『草の根分けても探し出す』という確約と、ソ連側捜査機関がモラヴィア領内において活動することも認めなくてはならなかった。
とはいえ、これは困難という表現すら生温いほどの難事である。
ソ連・モラヴィア間の交渉が済み、両国が本格的な捜索活動を開始したのは戦闘終結からおよそ3日後のこと。
それまでも高官の逃亡を警戒した赤軍によって王都と外部を結ぶ城門近辺は厳重に監視・封鎖されていたが、隠された抜け道や魔術的な手段を用いて逃亡されていた場合、全く意味をなさない。
そもそも、赤軍が厳重に包囲下においていた国防省からの脱出を許しているのだ。その手段は定かではないものの、同じように王都周辺の囲いを抜けられることも十分に考えられた。
講和交渉中のクーデター勃発といい、今回の逃亡劇といい、度重なるモラヴィア政府の失態にソ連側が抱く不満と苛立ちは非常に大きなものとなった。
そして、これら失態の数々にかこつけて、ソ連側はモラヴィア各地への実質的な占領軍駐留を強引にモラヴィア側に認めさせ、共同捜査と称してモラヴィア官憲・魔道軍へ要請の名を借りた実質的な命令権要求までも突きつけた。
王都自体がソ連機械化軍団に事実上包囲されており、ほとんどこめかみに銃口を突きつけられたような状況での交渉とあっては、モラヴィア側にこの要求を拒絶することはできなかった。
自身が生き残るためにも、モラヴィア王国政府はなんとしてもヴェンツェルらを捕えねばならなくなったのだ。
■ ■ ■
ヴェンツェルら魔道院主戦派が忽然と消え去った後。
モラヴィア政府は、すぐさま魔道院内に残されていた救世計画資料の調査を開始し、叛乱以前にヴェンツェルに仕えていた召喚魔導師達を次々に捕縛していった。
なにしろ救世計画の基幹である【異界大陸召喚】にあたって、ヴェンツェルは魔道院議長という立場を生かして膨大な予算と資材を自らの召喚魔道部門にかき集め、各地に極秘の物資集積所まで拵えていたのだが、その詳細はほとんど魔道院外部に知られていない。
いや、魔道院内部であっても、全てを知っていたのは評議員の、それも計画に直接かかわっていたメンバーに限られていたのだ。そして、その全員が先の叛乱の折に姿を消している。
ソ連側から見ればあまりにも杜撰すぎる管理体制だったが、そもそも魔術の秘奥というのは、その名の通り魔術師各々の一族が秘匿し、自らの子孫にのみ伝承していくものなのだ。
これは召喚魔道に限ったものではなく、キメラ創造、ゴーレム作成。あるいは死霊魔術や結界魔術、付与魔術による武具作成といったあらゆる分野の魔術師に言えることだ。
もっとも、大半の魔術師が有する独自魔術など、せいぜい数秒単位の詠唱短縮であるとか僅かな施術効果増大くらいのものである。
それこそ【秘儀】や【大魔術】などと称せるほどの魔術を有するのは、建国草創期以来の大家―――王室であるクレイハウザーや、バーテルス・エッカート・サンドロ等といった魔道院内でも名門と呼べる程の家くらいのものだ。
そして、【大陸召喚】にあたって用いられていた召喚魔術…その一部にはヴェンツェル自身の独自魔術が使用されており、計画において収集された資材・魔術触媒、儀式時に使用された術式など王国側も把握していない部分が少なからずあったのだ。
宮廷魔術師団、そして赤軍が確保している魔道院内においても―――ソ連兵の監視下ではあったが―――王国内務省の官憲が総出で資料を引っ繰り返し、ソ連側に拘束されている魔術師からも情報を集めていった。
そして、その過程である事実が判明した。
「叛乱の直後に計画資料を持ち出した者がいる?本当か!?」
王国内務省監察官として魔道院内の魔術師から事情聴取を試みていたアマデウス・ボッシュ法官は、こぼれおちんばかりに瞳を見開くと、机から身を乗り出して魔術師を問い詰めた。
官憲から向けられる凄まじい形相を前に、思わず肩を竦めて身を引いてしまいながらも、対面に座する召喚魔術師は肯定の頷きを返した。
魔道院地下区画の一室。
魔術実験用の区画として外部から隔離された石造の部屋に彼らはいた。
王都攻略戦の最中。主だった高位導師達が居なくなった魔道院はほとんど大した抵抗もできぬままに赤軍の手に落ち、今現在に至るも1個大隊の赤軍部隊が院の内外を封鎖している。
王立魔道院。それは魔法王国モラヴィアの魔道技術―――その粋が結集する国内最優の技術集積拠点であり、ソ連側にとっての重要攻略目標のひとつだった。
本来なら、王国を完全に屈服させるまでソ連側で完全に掌握しておくのが当初よりの予定であったのだが、ヴェンツェル以下、魔道院高官たちの逃亡という予想外の事態を受けて、モラヴィア側捜査員を招き入れての合同調査が実施されることとなったのだ。
これは、魔術に造詣のないロシア人だけではせっかく捕えた魔術師にせよ、各種資料にせよ、十分に生かすことはできないためだ。
実験区画として外部から完全に遮断された地下区画が臨時の牢獄となり、魔道院に残留した叛乱軍側、あるいは中立・日和見に立った魔術師たちを収監。
それらの人々から逃亡者に関する情報を聞き出すのがボッシュに与えられた役目と言えた。
ボッシュ自身としては、その任務そのものに否やはない。
王国内務省は、王都での叛乱勃発の折に叛乱軍によって占拠され、大臣・副大臣を揃って殺害されている。
更には庁舎占拠後にも、対ソ講和の必要性を公言していたような高官が幾人も捕えられて私刑同然に殺されているのだ。それも、他の内務官僚たちの眼前で…である。
このような常軌を逸した狼藉を前にしては、もはや政治的主張の差など問題ではなく、講和派・主戦派問わず内務省官憲たちの叛乱軍への怒りと憎悪は頂点に達した。
赤軍側は、王国官憲が同国人の尋問に際して手心を加えるのではないかと当初危惧していたが、その不安はごく短期間のうちに払拭されることとなる。
内務省の法官たちは、叛乱軍に与した魔導師達に一片の情けすらかける心算も持ち合わせていなかったのだ。
「こちらの研究塔に異界軍がやってくるより半刻ほど前のことです。ヴェンツェル師からゼップ師兄に研究資料と一部触媒の搬出指示があったようで…その際、国防省に向かうと……」
「なに……」
はっきりとしない物言いに苛立った様子の法官に、召喚魔術師は自信なさげに俯いた。
末端とはいえ、魔道院議長であるヴェンツェルの弟子筋にある以上、この魔術師も一般的な視点から見れば十分高位といってよい魔導師なのだが、この場にあっては肉食獣を前にした小動物の様に震えあがっている。
尋問が開始された当初。ヴェンツェルとともに逃亡した自らの師を慮って反抗や黙秘を貫こうとした者たちが、精神魔術で頭の中を強引に掻き回されて廃人同然に変えられていくのを見てしまったがために、多くの魔術師たちはこの時点で既に心を折られていたのだ。
ボッシュの拳が木製の机に荒々しく叩きつけられる。
魔術師の曖昧な陳述に苛立ったのもあるが、それより聞き捨てならない単語を聞いたからだ。
「『指示があったようで』とはどういう事だ!しかも…触媒だと!?まさか召喚儀の予備触媒を持ち出したというのか!?」
怒りに満ちた詰問。同時に、ボッシュの握りしめた手指に嵌められた指輪に、魔力が集まり始める。
召喚魔術師の顔は瞬時に青褪めた。
必死に首を振って弁明を始める。
「い、いえ!本当に詳しくは知らないのです!直接魔術通信による指示を受けたのはゼップ師兄でして、私たちにはこの場で待機し、敵が来たら応戦せよという託だけが……」
小さく舌打ちを漏らすと、ボッシュは椅子に座り直して気を落ち着けるように大きく息を吐いた。
同時に、指輪に集った自身の魔力を散らし、手元に広げられた書類を次々とめくっていく。
7枚ほどめくったところで、目当てのものを見つけた。
「……この男だな。イェルマイン・ゼップ…ヴェンツェルの高弟―――その筆頭格だ。だがこいつはヴェンツェルと一緒に消えて―――……!?」
ハッと何かに気付いた様子で、役人は書類から顔を上げた。
「確認するが、ゼップが研究塔を出て国防省に向かったのは、異界軍がここに到達する半刻前なのだな?」
「……はい。そう記憶しております」
「間違いないのだな」
魔術師に念を押すと、ボッシュは指先で机を叩きながら必死に考える。
魔道院施設が存在するのは王都の東部。ここから中央官庁街の中でも北寄りに位置する国防省へ向かうには、馬を走らせても最短で半刻近くはかかる。
しかもそれは平時の計算だ。市街全体が戦場と化していた当時の王都で、赤軍の攻略目標として銃砲弾が飛び交うなかを、庁舎まで最短時間で到達などできるとは思えない。
ましてゼップは召喚魔術師……戦闘向けの魔術師ではない。
下手をすれば、いや、普通に考えるならその時間に塔を出たのであれば、赤軍による国防庁舎の包囲環からゼップ自身が締め出されていたはずだ。
なにか特別な手段で庁舎に入り込んだのでもない限りは……
その考えに行き着いた瞬間、ボッシュは弾かれたように立ち上がり、部屋の外で待機する同僚を大声で呼ばわった。
■ ■ ■
王都郊外。
魔道軍のゴーレムと赤軍側がもちこんだ重機によって急造された滑走路に、戦闘機の護衛を受けた一機のツポレフTB-3重爆撃機が着陸した。
扉が開き、中から顔をのぞかせたのはNKVDの制服に身を包んだ大柄な将軍だった。灰緑色の瞳を細めて興味深げに辺りを見回してから悠然とした足取りでタラップを降りていく。
彼に続いて20人近いNKVDの将校達が機外に降り立った。
眼前にそびえたつ城門と、その周囲を囲む巨大城壁を感じ入ったように眺めてから、将軍―――レオニード・エイチンゴン保安少将は部下たちに振り返った。
「見事なものじゃないか。できれば観光で来たかったな」
声をかけられた将校。ユーリー・ルーキン大佐は苦笑いを浮かべると「確かに」と控えめに相槌を打った。
高さ20mに及ぶ大城壁が視界の端まで延々と続く様は、確かに壮観と言えた。
「こんな形で、王都に戻ることになるとは思いませんでした」
どこか複雑な面持ちでクラリッサが呟くのを聞き、ルーキンは軽く肩を竦めて部下のほうを振り返る。
部下の白皙の顔貌をしばらくじっと見つめてから、何かに納得したように小さく頷いた。
「………今回は、酔わずに済んだようだな。結構」
「流石に慣れました」
以前、飛行機に乗ったときの自らの醜態を思い出したのか、微かに頬を赤らめつつも憮然とした答えを返すクラリッサに、ソフィアが不思議そうな顔をする。
近くでその会話を聞いていたエイチンゴンはニヤリと笑みを浮かべてルーキンに囁いた。
「君のグループは華やかで羨ましいね、ユーリー・ステパーノヴィチ。これだけの逸材を徴募するとは……」
「……エイチンゴン同志にだけは、その台詞は止めていただきたいですね」
心外な台詞を前に、ルーキンは幾分むっとしたように嫌みを言った。
前世界において、戦間期の大半を外国領内での工作任務にあたっていたエイチンゴンはこれまでに三度結婚している。
最初の妻は長男を生んだ後に亡くなったが、その後、ハルビン駐在時に2番目の妻オルガと結ばれ、1930年代のスペイン駐在時代にはこの2番目の妻と離婚することなく、3番目の妻アレクサンドラと結婚している。
この2度目の3度目の結婚に関して、エイチンゴンは婚姻届などは出しておらず、双方と関係を保ったまま二つの家庭を父親として往復していたという。
エイチンゴンの秘密警察将校としてのキャリアは長い。彼は秘密警察の初代長官である、故フェリクス・ジェルジンスキーの信頼を一身に受けた優秀な諜報将校であり、1930年の時点で、非合法作戦を司る特殊任務局長代理という顕職にあった(現局長であるスドプラトフは、この時期は未だ一介の人事監査官にすぎず、当時はエイチンゴンのほうが遥か上位のポストにあった)。
そして、この時期の非合法作戦部局はソ連情報機関において最も重要な部局とみなされていた。なぜなら、当時建国から間もないソ連邦は外国とのまともな国交関係が成立しておらず、現在のような大使館を基点とする公式の情報収集拠点をほとんど持っていなかったからだ。
当然、高級官僚として相応の俸給を得てはいたが、普段の私生活はいたって質素なもので、身の回りのほとんどを官給品で揃えていた。
もともと物や金銭への執着が薄い男である。俸給のほとんどは二人の妻とその家庭に送っており、自身はほとんど一銭の蓄えも持っていなかったという。
―――もっとも、二人の妻を持つなどという生活がロシアにおいて一般的であるはずもなく、本部勤務の女性将校達……ことにスドプラトフの妻でありNKVD訓練校の教官、それ以前は工作担当官の一人でもあったエマ・スドプラトヴァなどは彼の破天荒な私生活について事あるごとに嫌みと批判を口にしたという。
……閑話休題。
そういった次第もあり、保安将校としてのエイチンゴンの能力には最上の敬意を抱くルーキンではあったが、こと女性関係でそういった女衒じみた評価を受けるのは心外だった。
そもそも、ソフィアにしてもクラリッサにしても見てくれや性別を基準に徴募したわけではないのだ。
「そいつは失礼したね」
さほど気にした風もなく、エイチンゴンはモラヴィア王都の城門へと視線を転じた。
保安将校たちが見守る中。石造りの城門が重厚な音とともに開いていき、城址内から魔道軍の軍旗を掲げた騎兵の一団が駆け出てくるのが見えた。
ルーキンたちがいる方向を真っ直ぐに目指してやってくる一団を眺めつつ、エイチンゴンは小さく呟いた。
「さて……三日の出遅れは、正直難しいぞ」
「ええ。わかっています」
先程までの軽口は鳴りを潜め、落ち着いた口調で呟くエイチンゴンに、ルーキンは小さく頷きを返した。




