第56話 宮城
王都の西に、俄かに幾重もの馬蹄が轟いた。
いや、馬蹄というにはその地鳴りは余りにも重厚だった。
王都郊外の駐屯地を発した、魔道軍第3機鎧兵団所属のキメラ部隊が叛乱軍の敷いた阻止線を強引に突破し、王都市街へと雪崩れ込んだのだ。
「異界軍との交戦・接触は避けよ!宮城に集う叛徒どもを討ち、陛下をお救いするのだ!」
第3機鎧兵団長、メーメット・ザカリアス少将は自らのキメラに騎乗しながら部下たちに声を張り上げる。
兵団長の叱咤激励に付き従う将兵達は自らの短杖を、魔道槍を掲げて喊声を上げる。
その数は第3兵団の本来の部隊規模からすればかなり少ない。
創命魔術師は司令官のザカリアス自身も含めて11名。そして、トラバルト以下の死霊魔術師達が6名。
彼らの周囲を50騎ばかりの騎兵が固め、さらにその外縁にはキメラ200騎が人間たちを護るように展開する。規模にして一個機鎧兵大隊に相当する戦力である。
赤軍の空挺降下にともない叛乱軍が展開していた王都全域の結界が解呪されると、郊外の兵団総司令部から王都情勢を窺っていたレオポルト・サンドロ公爵は旗下の残存戦力を纏めて王都―――正確には宮城の警固隊掩護に乗り出した。
―――我らの目標は、あくまで宮城。玉体のみだ。
出撃に先立ち、サンドロはザカリアスに対してこう念を押した。
「先の襲撃で多数の操者を損耗した我ら単独では、王都全域に展開する叛徒どもの撃破は困難だ」
トラバルトら魔道院講和派も居合わせる中。サンドロは自軍の窮状を吐露した。
もともと当地に展開していた部隊は第3機鎧兵団。対ソ開戦時の異界進駐軍としてレニングラード・バルト方面侵攻にも加わった精鋭兵団である。
対ソ侵攻戦そのものは王国軍の敗退に終わり、第3兵団もバルト方面に送った一個連隊が全滅するという大損害を被って衛戍地のある本国中央領に戻ってきていた。
その後まもなく起きたソ連赤軍からの逆侵攻という事態にあっても先の損害の回復に努め、現在は後方予備として王都郊外の機鎧兵団総司令部の直轄におかれている。
「彼奴ら叛徒どもが戦力を集中させているのは3か所。宮城、国防省、近衛軍本営だが、現状で警固隊が持ち堪えている宮城は我々の手で救援する。他は…遺憾だが見捨てざるを得ん」
サンドロが見据えるのは戦後だ。
王都の魔道技術、救世計画、王国に対してソ連が欲しているものは幾つもあり、現状、王都に侵攻した赤軍はそれを奪い放題の状況だが、それでも王国側で守れるものは守っておかなければならない。
相手の手に渡るカードは最小限に。そういう意味では、最大のカードが国王マティアスの身柄であり、残された全兵力を突っ込むだけの価値がある目標だった。
「時間的な余裕は少ない。異界軍が宮城に雪崩れ込めば、我らは介入の機会を永遠に失う。……この上は、市街地の忌々しい叛徒どもに少しでも長く異界軍相手に粘ってもらいたいものだが…」
「か、閣下…」
引き攣った表情を浮かべるザカリアスだったが、サンドロにしてみれば、政府が見計らっていた対ソ講和を完全にぶち壊してくれたヴェンツェル以下の魔道院叛徒の存在は殺しても飽き足りない存在である。
公爵としては、『僅かなりとも王国の役に立ってから死ね』と言いたい気分だった。
……もっとも、ヴェンツェル達の妨害が無かったからといって、対ソ講和が王国政府の望みどおりの結果に終わったかといえば、それも限りなく怪しいところではあったのだが。
「王都には私も同行する。配下からも戦術系統の魔術を扱える者を選抜した」
そう口にしたのはトラバルトだった。
「寡兵での戦いとなる。危険は大きいが…良いのかね?」
サンドロの問いに、死霊魔術師は頷いた。
「もとは我らの身内がしでかしたこと。その収拾には我ら自身が出張るのが筋というもの。なに、死霊魔術が使えずとも、全員が複数系統…それも戦闘向けの術を修めた者たちだ。従軍経験もある。足手まといにはならぬよ」
そして、トラバルトはザカリアスに向き直った。
「叛乱を起こした者たちは識別代わりに腕に赤い帯を巻いている。同士討ちをさけるため、君たちのキメラにもその辺りは識別させておいてくれ」
「はっ。ただちに」
モラヴィア魔道軍同士が相打つという現状。そしてこの戦いの後におきるであろう諸々事への不安。
様々な懊悩を押し殺しつつ、ザカリアスは敬礼した。
―――そして、現在。
「邪魔立てする者は踏み潰せ!状況は一刻を争うのだぞ!」
宮城目指して疾走するザカリアス大隊は半刻と経たぬうちに王都西部の市街地を抜け、宮城を指呼の距離にとらえつつあった。
部隊が中央の官庁街に差し掛かったところで、前方から多数の兵が湧き出してくるのが見えた。王都守備軍の軍装。その純白の軍衣の腕には赤い布が巻かれている。
(宮城の包囲部隊か!)
叛乱軍との接敵を知るや否や、ザカリアスは躊躇いなく命じた。
「前方捜兵!魔道槍放て!」
怒号に近い命令を受け、キメラに騎乗する魔道兵たちは一斉に手にした槍を投げ放つ。
術者の手を離れるがいなや、その槍身に焔を纏いつかせて凄まじい速度で飛翔し、前方で横陣を組みつつあった叛乱軍の集団に突っ込む。
一拍おいて槍に込められた魔力が解放され、着弾周辺の人間たちを爆風が薙ぎ払った。
悲鳴と呻き声が交錯する乱れ立った横陣を踏み潰すように、キメラ大隊は敵に正面から突っ込み、混乱する敵兵を踏みにじりつつこれを突破していく。
(悪く思うな!)
己の馬蹄にかかる叛乱兵たちの悲鳴を受け、魔術師たちは思わず顔を背けた。
同じ魔道軍、中には魔道院の精神操作を受けているものもいるだろう。
だが、自軍こそ寡兵である以上、手心など加えていられるような余裕などない。
動揺を押し殺して進む将兵の耳に、聞きなれない獣の咆哮が届く。
「なに!?」
思わず顔をそちらに向け、表情が凍る。
通りの陰から見慣れないキメラが跳躍し、己めがけて飛びかかろうとするところだった。
「くっ!?」
身を翻そうとするが、間に合わない。
だが、キメラの牙が突き立つより先に、横合いから躍り出た巨大な影―――兵団所属のキメラ獣が魔術師の盾となり、飛びかかってきた見慣れない小型キメラを食い止めた。
大型馬程度の大きさのそのキメラに対し、機鎧兵団配備のキメラは戦竜クラス―――それこそ重戦車にも匹敵する巨躯である。
当然、内に秘めた膂力には大きな差があった。
周囲を圧する咆哮をあげ、己に喰らいついてきた小柄な同類を大きく躰をふるって振り落とすと、そのまま石畳に叩きつけられて悲鳴を上げるキメラに突進し、その柔らかな腹部に喰らいついた。
獣の断末魔の絶叫が轟き、すぐに止む。
心臓部を含めた内臓を食い荒らし、獣が完全に絶命したと見るや直ぐにその死骸を放り出して己の『軍列』へと駆け戻っていく。
その凄まじい進撃は、時を置かずして宮城の攻略に取り掛かっていたソ連第9空挺旅団の知るところとなった。
正確には、宮城前面に展開している叛乱軍を順当に磨り潰しているところに慮外者が飛び込んできて、獲物を引っさらっていったのだ。
「な、何なんだあれはっ!?」
眼前であっという間に『食い散らかされていく』敵軍の姿を前に、アレクサンドル・カピトーヒン大佐は完全に狼狽した様子で叫んだ。
赤軍に目もくれずに叛乱軍を襲っている以上、あれは王国政府に従うモラヴィア軍部隊なのだろう。
だが、なぜこのタイミングで現れるのだ。
既に厄介な敵の大半は駆逐し、残るは宮城を残すのみだというのに。
いや。逆に言えば、叛乱軍の脅威が低下したからこそ、自分たちの利を確保すべく乗り出してきたのではないか。
(これで連中に先を越されたら…)
カピトーヒンは嫌な予感を覚えた。それは途轍もなくおぞましい未来。
王都攻略。市街地を占拠する叛乱軍の排除には成功。国王以下、王族は駆けつけたモラヴィア魔道軍が『赤軍の掩護の下』救出。
国防省、及び魔道院での人材・重要書類等の奪取については…他部隊が現在進めているので進捗のほどは分からない。
だが、逆に言えば宮城攻略はカピトーヒン自身に課せられた任務なのだ。
既にキメラ相手に馬鹿にならない損害を出しているというのに、この上目標の確保に失敗すればどうなる?
「……許されるものか」
「同志旅団長?」
カピトーヒンの低い呟きに、幕僚が訝しげな視線を向けるが、旅団長は構うことなく命じた。
「第2、第3大隊に突撃命令を出せ」
幕僚たち全員がぎょっとしたように司令官を見返す。
「なにを躊躇う?既にあの連中が城門近辺の敵は片づけた。わずかな残兵程度、大した脅威にはなるまい」
それに……と、カピトーヒンは声を低くして続けた。
「本作戦の最重要目標を忘れたか?ここまで敵を追い詰めておきながら肝心の戦果を横から浚われる間抜けを晒してみろ」
我々の、空挺軍の立場はどうなる?
スターリンは激怒するだろう。
そこまでいかなくとも、赤軍の上層部は怖い大旦那の怒りを回避するために作戦軍の人間に詰め腹を斬らせようとするはずだ。
なお悪いことに、この作戦を担当する北西正面軍のNKVD責任者は『あの』L.Z.メフリス―――かつてのブリュッヘルソ連邦元帥を筆頭とする極東赤旗軍の将校団粛清。フィンランド冬季戦においてはスオムッサルミにおける大敗を演じた第44師団長ヴィノグラドフ中将をはじめとする多数の将軍・高級将校たちを【戦犯】として葬ってきた。秘密警察野郎どもの中でも最悪の手合いだ。
将校たちの想像力が旅団長のそれに追いついていくにつれ、その顔色がどんどん悪化していく。
「各大隊本部に通達せよ」
再度、カピトーヒンが命令を発するときには、旅団本部は葬儀の如く重苦しい雰囲気となっていた。
「今より15分後、空挺大隊は宮城内部へ突入する!」
赤軍将校としての任務への義務感のみではない。
より原始的な生存本能に駆られた将校たちは一斉に動き出した。
かくして、モラヴィア魔道軍第3機鎧兵団第一大隊と、ソ連赤軍第9空挺旅団は先を争うようにして宮城に突入した。
異界の精鋭旅団と自国の最強部隊に同時に襲い掛かられたのだ。襲われた叛乱軍からすればたまったものではない。
後にも先にも、モラヴィア王国魔道軍がソ連赤軍と肩を並べて同じ敵と戦ったのはこの戦いのみである。
■ ■ ■
大隊長が見上げる眼前で、国防庁舎の建物が歪んだ。あたかも陽炎のように。
「あれは…なんなのだ?」
嫌な予感を覚え―――これまで、赤軍が予想外の損害を被った場合には、大概魔術が関係している―――傍らに控える幕僚に尋ねる。
だが、問われた幕僚も困惑していた。
王都での作戦に、ネウストリア側からの武官は同行していない。
航空機からのパラシュート降下を行えるものがいないためだったが、それだけに魔術による予想外の事態にあっては対処が困難だった。
「中で捕えた魔術師を連れてこい。こうなれば分かる人間に問い質すしかなかろう」
捕虜を連れてくるよう幕僚に指示された兵が駆け出していくのを見送ると、大隊長は視線を国防省庁舎へと戻す。
「やはり、魔術の知識があるものが居ないと不便なものですな」
兵に指示を出し終えて戻ってきた幕僚の言葉に、大隊長は憮然とした面持ちで頷いた。
知識だけではない。
魔力とやらを生得的にもっている魔術師がいなくては、目の前で魔術を使われてもこちらは相手が何をやろうとしているのかさえ判らないのだ。
つまり、ソ連の人間には全く対処不能というわけだ。
これでは魔術対策において常にその場にモラヴィア人ないしはネウストリア人の魔術師を同伴させなくてはならない。
いくらモラヴィアからの投降者、降将を登用しつつあるとはいえ、あまりにも軍や国家機関の要所に外国人を配するというのは国防上大きな問題である。
先々への課題についてソ連将校たちが意見を交わしている中。
包囲網を形成する大隊の兵たちからざわめきの声が上がった。
つられて大隊長たちもそちらを――国防省庁舎へと視線を向ける。
建物に次なる異変が起きたのだ。
石造のビルディング。
その壁の一部がへこんだように見えた。
(なに―――)
大隊長が我が目を疑う中。
建物の壁面。その一部が剥がれ落ち、音を立てて地上に落下する。
それが合図となったように、建物がぼろぼろと崩れ始めた。
「ば、馬鹿な…」
愕然とした表情で呻く大隊長の目の前で。
国防省庁舎は無残に崩れ落ちていく。
あんぐりと口をあけて固まっている大隊長の下に、兵に両脇を固められた魔術師が連行されてくる。
純白の軍装―――魔道軍将校だろう。
だが、もはや大隊長はそれどころではなかった。
「自爆…だと?奴ら自分で…」
あのビルの中に今次戦役の首謀者である召喚魔術師がいたということは、捕虜の証言で判明している。
それが失われた。
それは、本作戦の主目標の一つである戦犯捕縛の失敗であり、同時にソ連をこの世界に召び出した張本人……言い換えるならソ連をもとの世界に戻すことができるかもしれない人物が失われたことをも意味するのだ。
途方もない失態。
憂悶のあまりそのまま倒れかけ、慌てて幕僚に支えられるほどに大隊長は動揺していた。
故に気付かなかった。
兵によって連行されてきた魔術師が、庁舎のあった場所に訝るような視線を送っていたことに。




