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朱き帝國  作者: reden
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第41話 展望

1941年9月16日 13:00

ソヴィエト連邦 モスクワ上空





 首都モスクワ。

 ソ連邦の政治中枢にして国内最大の都市圏人口を誇るその巨大工業都市を眼下に臨み、6機のポリカルポフI-16戦闘機に護衛された1機のダグラスDC3旅客機が都市上空へと進入した。

 モラヴィア本国領の野戦飛行場を昨日飛び立ち、道中を各方面軍航空隊のエスコートによって厳重に護衛されつつ、途中ブルーノでの給油と砂嵐を避けての一晩の逗留を挟み、のべ10時間に及ぶ飛行を経て、首都郊外のヴヌコヴォ空港へとその主脚を降す。

 北部方面軍航空隊から護衛任務を引き継いだモスクワ軍管区第1防空軍団の護衛機を上空に残し、滑走路への進入コースを取る同機の展望窓から、乗客たち―――王国外相を務めるアリオスト・ルンゲ侯爵を筆頭とするモラヴィア王国外交使節団の面々は、上空から見渡す限りに広がるモスクワ都市圏の姿を食い入るように見つめていた。

 都市計画に基づいて整然と縦横に舗装された幹線道路網。都市区画中央に鎮座する巨大な宮殿。その周囲を取り囲むように林立するビルディングの群れ。

 そのいずれもが、多くのモラヴィア貴族達が共通して異界人に抱く【魔道文明を持たぬ蛮族】という偏見を根底から覆すに足るものだった。


「これはなんとも…凄まじき眺めですな」


 モラヴィア王都キュリロスはもとより、外交官としてこれまでに訪った列強各国の首都。その何れをも遥かに凌ぐであろう巨大都市の姿に度肝を抜かれたのも束の間。

 隣の座席に掛ける貴族外交官の呻きにも似た呟きに、ルンゲ侯爵は眼前の光景から受けた精神的衝撃からどうにか立ち直ると先々の交渉の行く末へと思いを致し、漏れ出でそうになる嘆息を飲み込んだ。 


「我らは異界人の実力を見誤っていた……そういうことだ」


 己が下僚に短く答えると、ルンゲ侯爵は心中を揺蕩たゆたう苦々しい感情が表に出ぬように、気を落ち着けるようにゆっくりと息を吐き出した。

 見誤っていた―――その誤断のツケが廻ってきたのだ。

 先の戦争指導会議における決定を受け、モラヴィア外交部が申し入れた講和会議開催は、ソ連側の指定によって首都モスクワにおいて開催される運びとなった。

 現在までのソ連優勢な戦況に加えて、これまでソ連邦を対等の国家とさえ認めてこなかったモラヴィアからの講和申し入れである。

 この圧倒的優位な立場にありながら、ソ連側はモラヴィア外交部が意外さを覚えるほどに呆気なくこの和睦の申し出を受け入れた。

 このソ連の行動に疑念の視線を向ける者は数多くいたものの、最終的にモラヴィア外交部はソ連側の要請を受諾し、首都モスクワへと外交使節団を送り込むこととなった。

 異界人の意図が那辺にあるにせよ、現在のモラヴィア王国に他の選択肢など残されてはいなかったからだ。

 そして、この交渉によって発生したモラヴィア・ソ連両軍の一時休戦に、南部戦線で対峙するネウストリア遠征軍までもが歩調を合わせたという事実こそが、モラヴィア首脳部への最大の衝撃であったというのは何と言う皮肉か。

 ネウストリア帝国の突然の侵攻劇。これをモラヴィアの【内紛】に乗じた火事場泥棒的な侵略行為と見倣していたモラヴィア政府にとって、これがソ連と示し合わせた軍事行動の発露であったという事実は無形の衝撃となって宰相をはじめとしたモラヴィア王政府の要人達を打ちのめした。

 王国は直接の軍事力のみならず、外交戦・情報戦においてさえ、蛮人に惨敗を喫したことになるのだ。


(異界人にとってこの世界は全く未知の領域である筈。だと言うのに、何故こうも動けるのだ……)


 外相にとって、いや殆どのモラヴィア人にとってソヴィエト連邦という異界の軍事大国は余りにも謎が多すぎた。

 召喚儀式から始まる救世計画の多くを魔道院が取り仕切り、事前調査もそこそこに開始された軍事作戦。

 自国の魔道技術への圧倒的なまでの自負と、魔道文明を持たぬ未開の蛮族という異界人への先入観から、この異界国家について十分な研究・分析が行われ始めたのはブルーノの失陥によって東部属州全土がソ連邦の手中に落ちた以降のことだ。

 ソ連側についてルンゲ侯爵が有している情報はあまりにも少なく、交渉を行う上ではあまりにも不利な状況と言える。しかし、泣き言が許される状況でもない。

 ソ連邦とネウストリアが明確な軍事同盟にあるという事実は、見方を変えれば対ソ講和の成立によってモラヴィアが現在行っている対外戦争全てから解放されるという意味を併せ持っているのだ。

 対ソ講和の打診をきっかけにネウストリアが侵攻を停止したという事実は、ソ連・ネウストリア両国の軍事同盟においてソ連側が主導権を有している証と取れなくもない。


(しかし……この亡国の瀬戸際にあっては王国の主権維持を認めさせることさえ至難の業だ)


 常備軍の大半を喪い、加えて国土の半ばすら敵手にある現状において、列強としての地位を保ったままモラヴィア王国が生き残れるような目は、もはや有り得ない。

 ルンゲ侯爵を含めた外交団の成すべきことは、最終的に王国がソ連・ネウストリアいずれかの属国に転落しようとも、いずれ再起を図れるだけの芽を残す事だ。

 分けても、魔法王国の象徴たるクレイハウザー王室は何としても残さねばならない。

 内心で決意を定め、老貴族は徐々に地上との距離を縮めつつある窓越しの景色へと再び視線を向けるのだった。





 ■ ■ ■





1941年9月16日 13:20

ソヴィエト連邦 モスクワ郊外 ヴヌコヴォ空港



 旅客機の機体側面に設けられたハッチが開き、地上へと続くタラップが掛けられる。

 外交使節団の先頭に立って外へ一歩踏み出したルンゲ侯爵は、精霊魔術動力の飛空艇発着所とも、飛竜巣とも異なる趣きの空港の姿を珍しげに見てから、自分たち使節団の送迎に現れたソ連側の人物たちに視線を向けた。


(ふん。なかなかの【歓待】だな)


 タラップを下った先に佇むのは、黒を基調とした法服のような出で立ちをした男が2人。

 その周囲にはカーキ色の軍服を纏った将兵が10人ほど直立不動の姿勢で並び立っている。

 その背後には異界軍のゴーレムらしき車両が数台停車しているのが見えた。

 煌びやかに装飾された魔道軍の軍衣や甲冑と比較して、ソ連軍人たちの軍服はどこか泥臭く見え、文官らしい男の纏う黒衣もソ連という国に対して抱く先入観がそう見せるのか、喪服を思わせる暗い印象をモラヴィア人たちに与えた。

 それはソ連側の人間たちが放つ空気がそうさせているのかもしれない。

 外交使節を迎え、表面上はにこやかな笑みを浮かべているものの、その周囲に漂う冷え冷えとした空気は、決して秋口の寒気のみによるものではないだろう。

 紛れもなく、ここは敵地なのだ。

 意を決してタラップを踏みしめ、地上へと降り立った侯爵に、ソ連側から一人の人物が進み出る。


「お待ちいたしておりました。外務大臣閣下。私はソ連邦共産党政治局、外務人民委員部第一代理を務めておりますアンドレイ・ヤヌアリエヴィチ・ヴィシンスキーと申します」


 丁寧に撫でつけられた黒髪の外務官僚は、薄い唇を笑みの形に歪めると片手を広げて背後の車を指し示した。


「これより、皆様をクレムリンまでご案内いたします。車内にてどうぞお寛ぎを」


「……次官殿自らの歓迎、痛み入る」


 ソ連外交官の張り付いたような笑顔にどこか不吉なものを感じつつ、ルンゲ侯爵は促されるまま、下僚の外交官たちと共に車に分乗していく。

 眼前に開け放たれた車の後部扉。それが侯爵には口を開いた猛獣のようにも見えた。






 ■ ■ ■







1941年9月15日 12:20

ソヴィエト連邦 モスクワ クレムリン




 時間をやや遡る。

 モラヴィア外交使節団が赤軍の管轄する野戦飛行場を護衛機と共に飛び立ったころ。

 クレムリン内に設けられたSTAVKAの本営では、モラヴィア側から提示された和睦申し入れについて政治局員たちを交えての議論が交わされていた。

 もっとも、この話し合いはあくまでスターリンの決定事項に対する事務的な確認が大半を占めていた。

 モラヴィア側の提案にどう応えるかについて、スターリンの中では既に決していたのだ。


「しかし……なかなかどうして。モラヴィア側も強気な案を出してまいりましたな」


 苦笑も露に呟いたのは、スターリンの後継者候補筆頭と名高い中央委員会書記のアンドレイ・ジダーノフだった。

 イデオロギー及び文化問題担当書記として社会主義リアリズムを提唱したことでも知られる文化人だが、彼は同時に政治局員としてのポストも有しているためこの会合にも参加している。

 国家の上位機関ともいうべき共産党の党務を司る書記局。ソ連邦の行政を司る政治局。この双方でポストを有する実力者はソ連邦広しといえどもスターリン自身を含めて4人しかいない。

 若かりし頃はなかなかの伊達男として鳴らしたこの古参ボリシェビキも、今では日々の―――主に深夜に執務を執り行うスターリンの生活リズムに無理矢理合わせた激務と運動不足、さらには宴会の連続によって喘息持ちの肥満体と化してしまっている。しかし、その瞳から放たれる鋭い知性の輝きは未だ僅かな翳りもない。 

 レニングラード襲撃にも居合わせ、この場にいる要人たちの中にあっては、唯一モラヴィア人の蛮行を直に目の当たりにした人間でもあった。


「ある程度こちらに値切られる公算で吹っかけたのかもしれません」


 生真面目な面持ちで述べたのは、モスクワにおけるジダーノフの腹心の一人であるニコライ・ヴォズネセンスキー。

 モロトフの前任の人民委員会議副議長であり、現在は政治局員候補として経済問題を担当する国家計画委員会ゴスプランの議長を務めている男だ。


「別段突っぱねた所で、大勢に影響はないかと思われますが……まぁ先行き不透明な【この世界】では余り無理押しするのも考えものですからね」


 どこかのんびりとした調子で相槌を打ったのはアナスタス・ミコヤン。彼は外国貿易人民委員として対ネウストリア折衝における経済面での政策を担当している。

 人格的にこなれた印象を相手に与える穏やかな視線は、モラヴィア側から提示された講和条約の試案に向けられていた。

 その内容は東部属州及び現在赤軍が占領している本国中央領の一部割譲。さらに賠償金の支払いを含めた、【列強】が提示するものとしては相当な譲歩を含んだ内容だった。

 不毛とはいえ、自国の産業集積地と首都近辺を差し出すというのは、文字通りモラヴィア王国そのものが列強という地位から転落することを自ら認めるものであるからだ。


 ……とはいえ、ソ連側からすれば甚だ不十分な物でしかなかった。

 元より、ソ連にとってこの戦争はモラヴィア王国によるマナ搾取という【戦略兵器】に相当する大魔術から身を守るための―――言わば民族存亡を賭けた戦争だったからだ。

 それ故に、最低でもモラヴィア王国の魔術戦能力を将来に渡って奪い取らない限り、ソ連の戦争目的は達成されないことになる。

 流石にモラヴィア民族そのものを滅ぼそうなどと考えているわけではないが、【魔法王国モラヴィア】が主権を保ったまま存続することなど認められるはずもない。


「……何れにせよ、全ては本交渉次第。モラヴィア側も、この条件を突っぱねられたからとて、今さら軍事的な巻き返しなぞ図れるはずもない」


 政治局員たちの会話に無言で耳を傾けていたスターリンは周囲を見渡して言った。


「我が軍は圧倒的に優勢。モラヴィア王国を崩壊に追い込むこと自体は造作もなく達成し得るだろう。だが、その後の後始末……統治となると些か面倒な話になる」


 この場に居合わせるのは政治局員だけではない。

 投票権を持たない政治局員候補の人民委員達―――ベリヤもこれに含まれる―――も、更にはティモシェンコ、シャポシニコフら軍人たちも粛然と書記長の言葉に耳を傾ける。

 ソ連における統治システムが、魔道文明を基盤とするこの世界においてどこまで適用できるものか。

 魔術によって構築された各種インフラの維持・運行を筆頭に、現在の東部占領地においても数々の問題が噴出しているのが現状だ。

 加えて、土地の枯死が進んだモラヴィア領の統治はソ連にとってはむしろ重荷に近く、ソ連に従順な傀儡国家がモラヴィア旧領統治を代行してくれるならば進んで放り投げたいほどのものだ。


「モラヴィア王国を完全に屈服させるのは規定事項だが、その人材や現地の行政組織に関しては、戦後に備えある程度は残ってもらわねばならん」

 

 モラヴィア魔道軍がこれまでに繰り広げてきた屍兵戦術、焦土作戦。

 これら常軌を逸しているとしか思えない戦法から、モラヴィア側が民族滅亡すら覚悟した殲滅戦を展開しているのではないかという危惧を抱きかけていただけに、ソ連首脳部にとって、モラヴィアから提示された和睦の申し出は、内心で安堵を誘うものだったと言える。

 確かに、前線においてソ連は勝ち続けていたが、未成熟なインフラ網と跳梁する屍兵の存在によって赤軍の兵站維持にかかる負担は日々増しており、戦争全体における戦費の負担も鰻登りだった。

 この上、モラヴィアの統治機構を完全に破壊し、その後の再建と後始末までソ連が受け持たねばならないとしたら、それにかかる負担は下手をすれば国家の屋台骨さえ揺るがしかねないものとなろう。


「曲がりなりにも、モラヴィア側から降伏を打診してきたこの好機、逃すには惜しい。……無論。万一にも決裂した場合の備えは必要だがな。―――総長?」


 スターリンに水を向けられ、参謀総長を務めるシャポシニコフ元帥はゆっくりと頷いた。。


「停戦期間を利用し、前線後方への予備軍集結と戦線整理を取り急ぎ実施しております。交渉決裂の際には空挺軍のエアボーンに呼応し、機械化軍団が王都に雪崩込むでしょう」


 参謀総長の答えに、スターリンは大きく笑みを浮かべて頷いた。











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