第40話 刺客
魔法王国モラヴィアの経済活動。それは、王都キュリロスを中心とした本国中央領より東西南北へと巡らされた街道網と、魔法生物や馬匹を利用した物流網によって支えられている。
各地の経済面での特色は地方ごとに綺麗に分かれており、西部は地味豊かな平野部を活かした食料生産地。森と湖に囲まれたグラゴール属州と南部地方は木材や水産資源。
北部山岳地帯は鉱物資源を豊富に産しており、東部においては多数の冒険者たちが、遺跡発掘によって得られる古代魔道文明の遺物を王国へと供給する。
こうした各地方が産する食糧・資源は、ゴーレムなどの魔法生物を駆使して造り上げられた先進的な街道交通網を伝って本国中央へと流れ込み、そこから再び各地方へと流通していく。
この物流の流れを人体における血液に例えるならば、王都キュリロスはこの血をモラヴィア王国全体へと循環させる心臓部といえた。
東西南北の各地方を己を中心とした街道網によって結びつける本国中央領は王国領内で最も交通網の発達した地域であり、東部属州から王都へと向かう中途に存在する各都市も、大なり小なり交易都市としての性格を併せ持っている。
王都の東60キロ程に位置する中規模都市ロタールも、そんなありふれた交易都市の一つだった。
東部属州と本国を結ぶ大街道上に位置するこの街は今、常ならぬ喧噪のただ中にあった。
街の中央を貫く大街道。
平時であれば王都・東部属州間を行き交う商隊の姿を見ることができるそこは、今や前線から逃れてきた中央梯団の残兵達によって溢れ返っていた。
煤や汚泥に塗れた魔道軍の軍衣を纏ったこの大集団は、長蛇の列をなして街道を西へ……王都へ向かって進んでゆく。
かつては大陸最強を呼号したモラヴィア王国最精鋭の魔道軍兵団。
その成れの果てを、彼らとは意匠が異なる灰色の軍衣を纏った将兵たちが複雑な面持ちで眺めていた。
(こいつは…思っていたよりも不味いかもしらんな)
崩壊した前線より王都へと落ち伸びてゆく魔道軍の姿を眺める将兵たちのひとり。
ロタールの防衛を担う、王都第4戦列兵団の魔術師ゲオルグ・ハーンは街道をゆく敗残兵達を眺めながら、内心で大きな焦りを覚えていた。
将校の階級を与えられているとはいえ、彼のそれは戦時動員の急造部隊における末端のそれでしかない。
旅団・兵団司令部等に配属されるような高級将校・参謀のように戦況全体を俯瞰できるような情報を持っているわけではないし、そんなものに接することのできる身分でもない。
だが、前線から逃れてくる膨大な数の将兵。そして時折上空に現れては、味方の飛竜騎士の迎撃をものともせずに、炸裂弾を市街に投下していく異界軍の飛空艇。
それらの事象全てが、モラヴィア王国の退勢を知らせていた。
「ったく。単に小娘一人担いで逃げ出すだけってんなら話は早いんだが」
ポリポリと頭髪を掻きながら、かつて冒険者だった魔術師はボヤいた。
形だけとはいえ、ノーラは曲がりなりにも中隊長……そんな人間を担いで逃亡なんぞしようものなら、異界人に殺されるより先に王国軍に敵前逃亡のかどで処刑されてしまう。
ではこのままノーラと共に地獄まで付き合うのか?
「……たまらんなぁ」
魔術師と言うより山賊か無頼者のほうが似つかわしく見える強面顔を引き攣らせ、がっくりと肩を落とすゲオルグだった。
しかし、この後に及んでもノーラを切り捨てるという判断をしない辺りは、この男も首尾一貫していると見るべきだろうか。
不景気な面持ちで踵を返し、そのまま彼が向かったのは郊外に設営されている第4兵団の宿営地だった。
所属中隊の司令部天幕に足を踏み入れ、帰参の報告をする。
そこでゲオルグは意外な言葉を同僚の士官から聞かされた。
「中隊長が呼ばれた?兵団長に?」
呆気にとられた面持ちでゲオルグは鸚鵡返しに聞き返した。
言った方の将校もなにやら困惑した様子である。
「詳しい要件については聞かされておらんがな。四半刻前に司令部の連絡将校殿が直接来られたのだ。そのまま、中隊長殿も一緒に政庁横の司令部庁舎に向かわれたぞ」
(なんだそりゃあ……)
ゲオルグは内心で首をかしげた。
輜重段列の大尉に将軍閣下が何の用があるというのか?
「小難しい政治の話かね」
あるとすれば、それはノーラ自身の家に関わることだろうか。
あの少女が軍の重鎮相手に並び立てる部分があるとすれば、それは死霊魔術の名門バーテルス一門の次期頭首というところだろう。
或いは、いよいよ死霊魔術師としての動員がかかったのか?
(できれば…そいつは勘弁だな)
なにやら妙な胸騒ぎを覚えつつ、ゲオルグはノーラが向かったであろう西の方角。
交易都市ロタールの中心地に存在する駐留軍司令部の方角に視線を遣るのだった。
■ ■ ■
「君にこうして直接会うのは、いつ以来だろうね」
王都第4戦列兵団長テオドリヒ・ブラント魔道兵准将は、執務室の席から立ち上がってノーラを出迎えた。
ここまでノーラを案内してきた従兵の青年は既に退席しており、ここには将軍とノーラの二人しかいない。
短く刈り上げた白髪と単眼鏡が印象的な老齢の将軍は、懐かしむような表情を浮かべ、入室してきた少女に椅子を薦めた。
「14歳の誕生日以来ですから……3年ぶりになります、おじさ―――っ司令官閣下」
慌てて言い直す金髪の少女に、ブラント准将は愉快そうに笑い声を上げた。
「おじさまでも構わんがね。まぁ他の将兵が見ている前でやられては困るが」
「ぅ……も、申し訳ありませんっ」
茹ったように顔を赤面させて縮こまるノーラに、准将は笑いを収めると本題を切り出した。
「今回呼んだのは、君の家に関することでね。多分に政治的な要件であるから、こうして余人を交えず二人きりで会っとるわけだ」
准将は二人掛けのソファにゆったりと腰を下ろすと、対面に座るノーラを見据えた。
「君のお父上が、王都でついている役務は知っているね」
「はい。魔道院で評議会議員をされていると……それに以前は魔術学院にも理事として席を持っておられたとか」
戸惑いながらも素直に答えるノーラに、ブラント准将は頷きを返した。
「そうだ。もともと魔道院は技術開発を専門とする集団だが、現在では魔術学院の運営をはじめ、その所掌する職域は多岐に渡る。評議会というのは基本的には魔道院の技術開発政策において、その方針を決めるための合議機関だが、現在ではそれに加えて直轄の様々な下部組織や外郭団体を運営する経営部会と言う面が強い」
魔道院は軍事、民生各々におけるモラヴィアの技術開発を統括し、さらには魔術学院の運営母体として教育政策にも参画する。更には魔道技術を用いた諜報活動に関しても、軍とは別に専属の機関を持っている。
下部組織や外郭団体を含めたその規模は、それこそ内務省や国防省に優るとも劣らぬ巨大官僚組織なのだ。
御前会議や閣僚級、或いは国防問題に絡む重要な会議において常に魔道院議長の席が用意されているのは故ないことではない。
「お父上が評議員として司っているのは、先ほど君が言っていた通り魔術学院の経営と、技術部門における死霊魔術研究の統括なんだが……君も噂は聞いているだろう?開戦劈頭の…あの馬鹿げた死霊術師の動員令は」
「そ…れは…」
何と答えたものかわからず、ノーラはどこか不安げな面持ちで押しだまった。
「心配せずとも、この本国中央領においてあのような外道の策をとることは無い。安心しなさい」
「ほ、本当ですか?」
思わず椅子から腰を浮かせかけるノーラに、将軍は苦笑まじりに頷いた。
「フランツの爺様もこれで一安心だろう。君のことでよく愚痴を聞かされたよ。何でも、危険の大きい異界調査団に自分から志願したそうじゃないか」
「お、お爺様そんな事まで……」
ここにはいない自分の祖父に思わず恨めし気な声を漏らす少女に、単眼鏡の老将軍は自身の孫に接するかのように笑いかけた。
「はは。君と話していると、どうも話が横道にそれてしまうな。……本題に戻るが、ここから言う内容は他言無用に願うよ」
そう前置きして将軍は声を潜めて語りだした。
「先日、王都における戦争指導会議において今回の戦争における方針が決せられた。異界軍との講和による幕引きという形でな」
呆然と絶句するノーラに、詳しい内容に関しては話せないが……と将軍は言った。
その会議での決定に対して、魔道院議長が強硬に反対を唱えている。
魔道院全体が…とまではいかないにせよ、かなりの数の高位魔導師がこれに賛同しているらしく、最悪、一部の跳ね上がりが何らかの強硬手段に出る可能性があるということ。
「幸いにも君のお父上を中心としたバーテルス閥の者達は政府の決定に従う意思を見せている。だが……これを受けて、息女の君によからぬ企みを企てる莫迦者が出ないとも限らんでな。軍営にまで乗り込んで君をどうにかしようなどという輩は居らんだろうが……魔術的な手段に訴えてこられると、さすがに厳しい」
「そ、そんな事が…」
思っていた以上の重大事に、ノーラは顔を蒼くして息を飲んだ。
魔道院が抱える高位魔導師たちは全モラヴィアに冠絶する実力を誇っている。
純粋な魔力であるとか、専門とする魔術の技量のみでいえば、最精鋭の魔道軍将校でさえ魔道院導師には及ばない。
まして、技量優秀とは言えない戦時動員の急造兵団の術者では到底対抗できないだろう。
そこでブラント将軍は済まなそうな顔をして告げた。
「恥ずかしい話だが。恐らくこの兵団でまともに魔道院の者と張り合えそうな者というと、君くらいしか思い浮かばん」
「え……?」
予想の斜め上をいく話の流れに、ノーラの思考が停止する。
「今後、身辺の安全には十分に気を配ってくれ。……聞けば、フランツは君のために凄腕の冒険者を身辺警護に配したと聞いている。君自身もその若さで3系統に及ぶ魔術を修めた鋭才だ。苦労をかけるが、君なら困難を乗り越えられると信じているよ」
そう言って、ブラントは魂が抜けたような表情で茫然と固まるノーラの肩をポンと叩いた。
「え……え……?」
■ ■ ■
呆然と、ほとんど幽鬼のような覚束無い足取りで司令部の城館をあとにしたノーラ。
その後姿を執務室の窓から眺めるブラントに、後ろから声がかけられた。
「些か、あの少女には酷ではありませんか?」
振り向けば、ブラントと同様に窓からノーラの後姿を眺める青年将校がいた。
純白の軍衣には機鎧兵将校であることを示す兵科徽章が縫い込まれている。
その視線は同情の色を帯びて、窓越しに眼下を歩み去る少女へと注がれていた。
ブラントは小さく鼻を鳴らすと再び窓の外へと視線を移した。
「あれのことは幼い頃からよく知っている。聡明で機知にも長けるが……学問以外ではひどく注意散漫な所のある娘だ。こちらから尻を叩いて危機意識を持たせんと、格下の相手にも遅れを取りかねん。あの娘以上の魔術師が第4兵団におらんのも事実だ」
憮然とした表情でブラントは答えた。
そこらの無頼者から守るのであれば、いくらでも護衛の任に堪えうる人材はいる。
だが、高位の魔導師相手に立ち回れるような人材など、この戦列【歩兵】兵団にいるわけもない。
兵団司令部や各連隊の基幹となる高級将校から探せば幾人かは見つかるかもしれないが、そんな人材を護衛任務のために所属部隊から引き抜くなどできるわけもない。
「それで発破をかけた、と。しかし、彼女だけで大丈夫なのですか?冒険者も付いているようですが、濡れ仕事専門の手合い相手では厳しいのでは……」
老将軍は何を当たり前のことを…と言いたげな面持ちで機鎧兵将校に向き直った。
「だから態々、サンドロ閣下にお願いして君達に来てもらったのだ。君たちの行動には最大限便宜をはかろう。……彼女のことは頼むぞ」
「……了解しました。元より此方ではブラント閣下の指揮下に入るよう命じられております。存分にお使いください」
そう言って、機鎧兵将校は恭しく一礼した。
その姿を一瞥して、ブラントは小さく零した。
「何事もなければ…それに越した事はないのだがな。本国でも…」
ブラントの胸中は複雑なものだ。
講和に反対する者の気持ちは分からなくもない。
だが、この亡国の瀬戸際にあっていたずらに政局を混乱させるなど王国の藩屏たる者がすることではない。
こうしている間にも、前線では王国の将兵が屍を積み重ねているのだから。




