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朱き帝國  作者: reden
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第39話 亡国

1941年9月8日

モラヴィア王国 王都キュリロス



 この日、モラヴィア宮廷においては王国総本営による対ソ・対ネウストリア戦の戦争指導会議がおこなわれていた。

 かつて国王が対ソ侵攻の【勝報】を受けた金鵄の広間。

 その中央に設えられた円卓を囲むのは、モラヴィア王国の戦争経営における責任閣僚4名と、魔道院議長。さらに国防省・参謀本部の各軍代表者たちだ。

 本来これは御前会議同様に、国王隣席のもとで行われるのが通例なのだが。

 先のネウストリア侵攻の急報を受けて以来、国王マティアスはほとんど虚脱状態の人事不詳と成り果てており、代わって宰相ハーロウ伯爵が座長を務めていた。

 今回に限らず、国王が本来執り行う政務の大半は、現在では宰相が代行している。

 こういった国王不予というような事態にあっては、通常モラヴィアでは王太子なり第一王子が摂政として政務を代行するものだ。

 だが、マティアスの長子であるデトレフ王太子は3年前に流行病によって落命しており、その息子である王孫クリストフは未だ4歳と、政務を執り行えるような年齢ではなかったがゆえだ。

 居並ぶ閣僚たちを前に、まず口火を切ったのは王国宰相を務めるアルベルト・ハーロウ伯爵だった。


「東では異界軍がクラナ大河を突破し、南では精霊神教徒どもが北進を続けている。軍部としては、これらをどの辺りで食い止められそうなのだ?」


 白髪混じりの灰色の髪を持つ初老の宰相は、隙の無い鋭い視線で軍部の代表達を見遣った。


「先ず…ネウストリア軍に関しては、現在までにグラゴール属州北西部―――ヴォイヴォダ湖を迂回した先のベルンブルク、バイロイト間にて防衛戦を展開しております」


 答えたのは軍部の第一人者であるハルトムート・ロイター元帥だった。

 参謀本部で作成された作戦計画書、地図、さらに前線からの報告書といったものを円卓の上に並べつつ、壮年の元帥は報告を続ける。


「現在、南部梯団機動集団の再編はほぼ完了しております。これをもって、まずは戦線後方に浸透する戦竜騎兵の掃討を。次いでベルンブルク方面への展開を予定しております。低地帯のバイロイトは守るには難があるため、先ずはネウストリア側主力の撃破を念頭に置きます」

  

「それで、精霊神教徒どもをグラゴールから叩き出せるのは、いつになるのだ?」


 魔道院議長を務めるヴェンツェルの問いに、ロイターは首を横に振った。


「我が軍から積極的な反攻に打って出るには戦力が足りません。南方戦線においては機動防御によって敵の侵攻を遅滞せしめ、飛竜とキメラによる後方攪乱をもってネウストリアの補給線に負荷を掛けるのが基本戦略となります。ネウストリアの兵站は飛空挺の空輸に大きく依存しているため、大きな効果が見込めるでしょう」


 宰相は円卓に広げられた地図へと視線を落とした。

 モラヴィア本国と属領の描かれたそれにはモラヴィア・ネウストリア・ソ連赤軍の配置状況を示す赤・白・黒と色分けされたピンが何本も突き立てられている。

 このうち最もモラヴィア国土深くまで食い込んでいるのはソ連赤軍の赤色のピンであり、既に東部属州全土に加えて本国中央領の2割近くが蚕食されていた。

 ネウストリアの黒色のピンにも南部の属領をかなり食い荒らされてはいたが、こちらはどうにか本国のやや手前辺りで食い止められている。

 モラヴィア王国軍を示す白いピンは東部・南部に細く長大な戦線を形成しているほか、いくつかのピンが敵地後方に入り込んでもいた。

 戦力に劣るモラヴィア軍が打ち出した戦略は徹底した焦土戦であり、撤退する部隊は道々の村や集落の家屋、畑を焼き払い、井戸には毒を投げ込んで敵による拠点化を防いだ。

 同時にキメラや飛竜騎士隊による少数の部隊を敵地後方へと浸透させて補給線の弱体化を図ったのだ。



「なるほど。兵を飢えさせて、自ら撤退を促すわけか」


「左様です。南部梯団のメーダー大将からは現在までに大小8隻の敵飛空艇を撃沈破したと報告を受けております」


 納得したように呟く宰相に、元帥は頷きを返した。

 ……とはいえ、焦土戦術は諸刃の剣だ。

 実施した地域の生産力に大打撃を与えるうえに、民心をも王国から離反させてしまう。

 文官や、領邦君主として地方に諸領を有する貴族軍人などはそれが理解出来ているようで苦い表情を浮かべている。

 

「南方戦線の状況は分かった。では、東の異界軍についてはどうだ?」


 これにロイターは眉を曇らせて沈黙した。

 ロイターの下僚である国防省や参謀本部の将軍たちも、ある者は消沈し、ある者は憮然とした面持ちで押し黙っている。

 軍人たちの様子に、文官たちは戸惑ったように顔を見合わせた。


(ネウストリアに関しては凌ぎきる算段が付いている。)


 ロイターは内心で独語した。

 対ネウストリア戦争計画はロイターが軍に入営した頃から存在し、その後も幾度となく改訂を重ねて入念に練り上げられてきた。

 今回の不利な戦争においても、モラヴィア軍は事前にいくつも策定された作戦計画に基づいて防衛戦を展開している。

 長年の仮想敵国のことである。事前の入念な諜報活動により、互いの保有する戦力はモラヴィアもネウストリアも知り抜いており、後背に山脈が控えているネウストリアが兵站の面で弱点を抱えていることも考慮したうえでの作戦展開である。

 そして、ネウストリアはグラゴール属州の大半を制圧したものの、そこで進軍を止めつつある。


(しかし……)


 しかし、赤軍に関しては違う。今や東部戦線は半ば崩壊しており、異界人自身の息切れを待つ以外には、現地の糧秣を焼いて補給線に負担をかける程度の方策しかないのが現状だった。

 クラナ大河での防衛戦で現地の守護を担う中央梯団はほとんど半壊しており、残されたキメラ部隊で後方への浸透攪乱を行おうにも、ソ連の形成する戦線は余りにも長大かつ重厚であり、こちらが付け入る隙を見出せないのだ。

 後方に回り込もうとするモラヴィアのゲリラ部隊は忽ち空から敵に察知され、自軍に数倍する規模のアイアンゴーレムと飛空艇の大群によって揉み潰されてしまうのだ。

 異界人はどれほどの戦力を有しているのか?地図上に打ち込まれた赤軍の存在を示すピンの数にしたところでどこまで正しいものか知れたものではなかった。

 東部は制空権を完全に奪われていることもあって、モラヴィア側の偵察は殆ど封殺されてしまっており、赤軍側の戦力については、最前線に現れているもの以外ほとんど把握できていないのだ。

 これでは長期的な作戦など立てようもない。

 しかも恐るべきことに、最前線で現在確認されているソヴィエト軍だけでも、その兵力は70万を数えており、これは本国に存在する全モラヴィア軍の3倍を数える。

 この膨大極まりない戦力が、南北数百キロにも及ぶ長大な戦線を形成して平押しに攻めのぼってくるのだ。

 軍事常識で考えれば、当然後方には相応の規模を持った予備兵団が待機しているはずであり、それを含めれば彼我の戦力差はどこまで広がるのか?

 仮に前線に展開しているのがソヴィエトの全戦力だとしても、これを撃退しうる戦力など今のモラヴィアには残されていない。


(いや、違うな。例え開戦前の魔道軍全軍が無傷で残っていたとしても……)


 小さく首を振り、ロイターは同じく円卓につく高級軍人達に視線を遣る。

 飛兵総監、機鎧兵団司令官、参謀総長、本国軍動員課長、兵站本部長……その誰もが憮然と、或いは口惜し気な面持ちで沈黙を保っている。

 ロイターを含め、王国総本営の参謀・高級軍人たちには、この時点で既に、対ソ戦における勝利への展望が描けなくなっていたのだ。


「中央梯団には、現状で異界軍を押しとどめるだけの戦力が残されておりません。対抗するには、更に国土深くまで敵を引き込み、兵站に負荷をかけて疲弊を誘うことが肝要です」


 そして、敵を撃ち破る力が無い以上、取り得る方法は弱者の戦法しかない。

 それが王国を著しく弱体化させるものであろうと。


「待て。さらに敵を引き込む?既に本国領が侵されているのだぞ?」


「よもや王都を放棄せよとでも元帥は仰有るのか?」


 目を剥いて問い質してくる文官達に、ロイターは顔色ひとつ変えることなく首肯した。


「まさに、そう申している」


「莫迦な!」


 幾人かの貴族が血相を変えて立ち上がる。

 政治・産業の中枢である王都キュリロスを捨てる。

 そんな真似をすれば、列強としてのモラヴィアはおしまいだ。

 外交的には王国の弱体化を周辺諸国に触れ回ることになり、内政面で言えば、東部属州と並ぶ産業集積地を喪うことでモラヴィア魔道軍はキメラや魔道槍等の兵器供給を受けられなくなり一気に弱体化するだろう。

 そんな状況でどうやって異界軍に勝てるというのか?


「この方法によって我が国が列強の座から転落であろうことは承知している。ゆえに私としては、軍ではなく外交・政治的手段をもって事態の打開を図れぬものかと考えている」


 瞑目して腕を組み、呟いた国防相の言葉は、広間にやけに大きく響いた。

 ハーロウ宰相は感情を読みとれぬ表情で暫くロイターを見ていたが、やがておもむろに口を開いた。


「元帥。今の戦況で異界軍、ネウストリアに和睦を請う……それは降伏に等しいことだ。それを理解していっているのかね?」


「……ハッ」


 宰相に問われた元帥は、一瞬表情に苦渋の色を滲ませたが、やがて絞り出すように答えた。

 王国軍人として、これを口にするのは屈辱の極み……それは元帥の浮かべている表情が雄弁に物語っていた。

 

「―――そうか」


 ハーロウは小さく呟くと、同じく円卓を囲む文官達―――逓信・内務・工部といった国内戦における戦争経営に関わる閣僚たちを見渡した。


「諸卿はどう考える」


 文官達は宰相の言葉を受けて軽く視線を交わすと、元帥に問うた。


「国防相。魔道軍による反攻は叶わぬのですか?せめて一戦して勝ち、多少なりとも交渉条件を良きものに…」


「ソヴィエト軍に今以上の消耗を強いるには、こちらもさらに国土を明け渡さねばならん。東部の前線は既に崩壊の危機に瀕しているのだ。戦時動員の二線級部隊を遅滞防御に当てているが……磨り潰されるのは時間の問題だろう。講和するならば我々に戦力が残っているうちにやるべきだ」


 元帥の言葉には必ずしも正確ではなかった。

 現在赤軍の矢面に立っているのが後方警備用の戦時動員兵団なのは事実だが、それは【遅滞防御】などと言えるものではない。

 魔道軍の精鋭兵団ですら鎧袖一触に蹴散らされたような相手に、遥か質の劣る歩兵部隊がまともな防禦戦など展開できるはずもない。

 彼らは文字通り、肉の壁として赤軍の前に立ち塞がり、尽くが大した時間稼ぎもできぬままにソ連機械化軍団によって引き潰され、溶け去っていったのだ。

 中央梯団に残された魔道軍の残存戦力が再編を終えるまでの時間。

 これを稼ぎだすために、軍首脳部は戦時編成の急造部隊を生贄としたのだ。


「これまでのソヴィエト軍の進軍速度を考えれば、遅くとも半月以内には奴らは王都前面に達するだろう。軍部としては指導部の早急な判断を仰ぎたい」


 その頃には本国軍の半ばが溶け去っているだろう、とも。

 宰相は憮然とした面持ちでおし黙った。

 他に方策は無いのか?

 己が宰相の座にあるこのときに。大モラヴィアの落日を目にしなくてはならないのか。

 あまつさえ…その幕引きを己の手でせねばならぬとは!


 一縷の希望を込めて、宰相はロイターと共に参列している将軍たちを見渡した。

 誰もが……主戦派と目されていた飛兵総監までもが国防相に賛同するように沈黙を続けている。

 宰相は悄然と肩を落とした。


「……やむを得ぬか」


 意気消沈した様子で呟いた宰相の言葉は、その場にいる殆どの人間が意を同じくするものであっただろう。

 軍部の貴族将校たちからも反論の声は上がらない。

 戦の矢面に立ってきた彼らこそ、異界軍の恐ろしさを身にしみて理解していたからだ。


 陛下には私から伝えよう。

 そう言おうと口を開きかけた所で、円卓の一角から反論の声が上がった。


「お待ちくだされ」


 円卓を囲む一同の視線が一斉に声のした方を向く。

 これまで会議において一度たりとも発言しなかった人物。

 魔道院議長を務めるヴェンツェル・エッカート子爵が席を立ち上がり、双眸に炎のような激情を宿して佇んでいた。


「大モラヴィアの魔道を司る者として、そのような……召喚獣相手に膝を屈するなどという方策は承服いたしかねる」


 声の調子は至って平静なものであったが、その声色から滲み出る強烈なまでの負の感情に、幾人かの貴族が顔を顰めた。


「ヴェンツェルよ。召喚魔術師として貴公が抱いている想いは私にも理解できる。だが、現実として、我が軍の退勢は今や誰の目にも明らかなのだ。この上は、一時の屈辱に塗れようとも、次なる再戦の為に国体の保全こそ優先して考えねば成らぬ」


 宥めるように宰相は言葉をかけたが、魔道院議長は一顧だにしなかった。


「なりませぬ」


「エッカート導師、言葉が過ぎるぞ!講和ができぬというならば、貴殿には異界軍撃退のための妙案でもあるというのか!?」


 王国飛兵総監を務める貴族軍人、ベネディクト・アレント侯爵が苛立ったようにヴェンツェルを問い詰めた。


「ある」


 一瞬。目の前の召還魔術師が何を言ったのか理解できないというようにアレント侯爵は絶句した。

 彼だけではない。宰相も、ロイターも、他の閣僚や貴族軍人たちも虚をつかれたようにヴェンツェルを凝視している。


「子爵……いま、なんと?」


「勝てる、と申したのだ。異界軍も精霊神教徒も、全てわが国土に屍を晒す事になろう」


 そう言い置いてから、ヴェンツェルは続けた。

 これまでに実施してきた焦土戦術はソ連に対してもある程度は有効に働いている。

 これに、東部属州で実施して成果を上げた屍兵戦術を組み合わせるのだ。

 モラヴィア本国領は産業中枢であるだけに使役する専従奴隷の数も多い。更に、食料生産地である西部地方からも奴隷を根こそぎかき集めれば新たに5,60万程度の屍兵を【製造】することも不可能ではない。

 これらを纏めて叩き付ければ異界軍といえどもかなりの損害を被るであろう。

 場合によっては、南部戦線で捕虜とした精霊神教徒どもを屍兵化しても良い。

 

「たとえ我が国土奥地まで進軍しようとも、奴らは麦の一粒たりとも得ることは叶わぬ。飢えと屍兵の襲撃に疲弊し切った侵略者どもを残された魔道軍をもって蹴散らすのだ。さすれば異界人も膝を屈するよりあるまいて」


 そういって話を締めくくるヴェンツェルを、全員が唖然とした面持ちで凝視していた。


「き、貴様……気は確かか!?」


 驚愕と動揺に、半ば声を裏返らせてアレント侯爵は叫んだ。

 アレントだけではない。

 国防相ロイター元帥、さらには国防省や参謀本部から参列している高級将校たち。

 そしてハーロウを筆頭とした文官たち。

 全員が、狂気の沙汰とでも言うべき作戦を開陳した魔道院議長を凝視していた。

 一度解き放たれたが最後、その地に存在する命ある者尽くを食らい尽くす死者の軍勢。

 それを自国の、それも人口の密集する政治・産業の中心地に解き放つというのだ。

 正気とは思えぬ。

 誰もが、この年老いた大魔導師が狂気に駆られたものと思った。


「戯けた事を抜かすな!屍兵の危険性、知らんとは言わせんぞ。人口の集中する本国中央でそのような戦法を使えば、民への被害がどれほどのものになるか!勝利と引き換えにモラヴィア民族そのものを滅ぼすつもりか!?」


 いきり立って席から立ち上がったのは機鎧兵団総司令官を務めるレオポルト・サンドロ公爵だった。


「そのようなものは問題ではない」


「な…に!?」


 目を剥くサンドロのことなど、ヴェンツェルはもはや見ていなかった。

 老魔導師は瞳に激情を宿しつつ、この場の最上位者である宰相へと向きなおった。


「宰相閣下。確かに異界軍は強大極まりない、それは認めざるえません。しかし、これは断じて対等な戦などではありませぬ。ソヴィエトはあくまでも我らによって召喚された召喚獣―――奴隷なのです。奴隷相手に膝を屈する【列強】がどこにありましょうか?ご決断くだされ。戦えと!これは最早、国家の名誉…誇りの問題なのです。ここで我らが膝を屈することがあれば、大モラヴィアの栄光は未来永劫、汚泥に塗れましょうぞ!」


 血を吐かんばかりの激情と共に吐き出された言葉は、雷鳴となって広間を貫いた。

 文官たちはその狂気すら孕んだ大魔導師の叫びに思考停止したかのごとく凍りつき、軍人たちは危惧するような面持ちでヴェンツェルへ視線を投げかけている。

 宰相もまた、感情の読みとれぬ表情でヴェンツェルと向き合っていた。

 やがてハーロウは穏やかな口調で、しかしはっきりと告げた。


「外務省のルンゲ侯爵に連絡を。王室の安泰を条件に、降伏の交渉準備に入れとな」


「閣下!」


 老人のものとは思えぬほどの、石の壁が震えんばかりの大音声をもって宰相に叫び、詰め寄ろうとするヴェンツェルを宮城警護の衛兵が取り押さえた。


「たとえ誇りが守れようとも、モラヴィアという民族そのものを滅ぼしかねんような方策は取れぬ。…各方おのおのがた、我らに残された時間はあまりにも少ないが、対して成すべきことは山積している。早急に動いてもらいたい」


 会議を締めくくる宰相の言葉を受けて、閣僚や将軍たちは一斉に立ち上がり、各々が所掌する省庁へ向かうべく足早に広間を後にしていく。

 それらとは別に、執拗に経戦を叫ぶヴェンツェルも衛兵によって部屋の外へと連れ出されていった。

 部屋を出ていく間際。

 ハーロウに向けて射殺さんばかりの視線を投げつけていた老召喚魔術師の姿が、宰相の脳裏にいつまでも残った。

 西の隣国トレド王国からの外交書簡を携えたルンゲ外相が広間に現れたのは、このわずか数分後のことだった。






■ ■ ■






数刻後。

モラヴィア王国 王都キュリロス



 陽が地平線の彼方へと沈み切り、双月が天頂へと昇る頃。

 モラヴィア王都の中心近くに位置する王立魔道院、その最上階に設けられた広々とした議場には煌々と明かりが灯っていた。

 議場の中央に設けられた大きな円卓には、漆黒のマントを羽織った王立魔道院の幹部……評議員と呼ばれる高位導師たちが寒々しい面持ちで顔を突き合わせている。

 秋口を迎え、大陸北限に近いモラヴィアでは、そろそろ夜気が冷たい棘となって人肌を刺す時節となる。

 部屋の片隅には焔の魔力結晶が赤々と輝きを放ち、その発散する暖気によって部屋の気温を幾許か上げていたが、それも議場に参集した魔術師たちの間に流れる冷え切った空気を温めてはくれなかった。

 やがて、円卓に着く魔術師の一人……白を基調とした宮廷魔術師の法服を纏い、その上から魔道院評議会の黒マントを羽織った青年が口を開いた。


「降伏……膝を屈するというのか……」


「不甲斐ない!我ら古代の叡智を連綿と受け継ぎし大モラヴィアが、なぜ蛮族どもに……」


 沈痛な面持ちで悔しげに零したのは近衛軍の礼装を纏った初老の軍人だ。こちらも軍服の上から評議員身分を示すマントを羽織っている。 

 不安と焦慮に満ちた空気の中、先々への不安を囁きあう人々の声を断ち切ったのは、杖先を床に叩きつける甲高い音。

 たちまち人々の視線が集まった其処には、魔道院議長を務める老魔術師、ヴェンツェル・エッカート子爵が瞳に焔のような激情を宿して佇んでいた。


「やらせはせぬ」


 ある種の決意のこもった声音。

 その場に参集した導師たちをじろりと睥睨し、ヴェンツェルは告げた。


「もはや、王国の名誉を守る事の出来る者は我らをおいて他に無し」


 この場において魔術師として最高位の位階を有する大魔導師の言葉に、居並ぶ魔術師たちは耳を傾ける。

 全員が高位の導師であり、その司る系統は創命・従属・幻影・召喚など多岐に渡る。

 彼らは皆、魔法王国モラヴィアの勝利を信じ、そして戦争指導部が行おうとしている愚挙に対して激しい憤りを覚えているものたちだった。


「例えこの手が同胞の血に塗れようとも、300余年に及ぶ大モラヴィアの栄光を汚すことはできぬ……シャイべ師」


 ヴェンツェルは従属魔術を司る最高位導師の名を呼んだ。


「ハ……何で御座いましょう」


 円卓を囲む魔術師のひとりが立ち上がった。

 腰の辺りまで伸びる白髪と、同じく長い白髭が印象的な老魔術師であった。

 糸のように細い目と、皺だらけの顔貌には好々爺然とした微笑みが宿っている。


「貴殿の弟子を幾人かお借りしたい。宜しいかな」


 微笑みを浮かべた老魔術師は「是非もありませぬ」と答え、深々と一礼した。  






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