第35話 文明
モラヴィア王国において、その国力の源となる秘蹟魔道技術は、地理的には東部属州や本国中央部に存在する魔術研究都市に集約されている。
もとより秘蹟魔術とは、古代魔道文明が存在した大陸北東部に点在する遺跡群……そこからもたらされる遺物を基盤としたものだからだ。
それは古代語によって記された碑文であり、形質保存の魔術を施された書物であり、中には魔法生物そのものが封印されていることもある。
こういった遺跡群から得られた成果は、それぞれの専門分野に特化した地方の研究都市や、王都の総合研究機関である魔術学院に移管されて解析されていくことになる。
このような、モラヴィアにおける産業集積地のひとつとして数えられるのが州都ブルーノだった。
此処は属州内に点在する各研究都市や遺跡群からもたらされる技術情報を集積し、それを本国へと送り出すパイプラインとしての役割を担っており、小規模ながらも基礎的な魔道技術を教える教育機関すら存在する。
属州州都であるこの都市は、他の領邦都市とは異なり諸侯を頭上に頂くことはなく、その長官はモラヴィア国王が兼ねるいわば天領だ。
むろん、国王自らが市の行政を直接取り仕切るわけはなく、代官として本国より派遣される総督が、同じく本国軍出身の地方軍司令官とともに州行政と合わせてこれを総攬する。
そして、【魔法王国】モラヴィアにおいて藩屏たる貴族・諸侯は、ほぼ例外なく魔導師として水準以上の能力を持つ。
ブルーノを陥落せしめ、モラヴィア東部属州を制圧した赤軍は、この地に地盤を有する貴族階級5500家族6万に及ぶ導師(乃至はその素養を持った子弟)を内に抱え込むことになったのだ。
モラヴィア人たちから向けられる視線を何食わぬ顔で受け流しつつ、ルーキンは広間に集められた魔導師たちに向きなおった。
見渡してみれば、誰も彼もが張り詰めたような緊張感を孕んだ面持ちでNKVDの将校たちを注視している。
青い制帽と、この世界では馴染みのないカーキ色の軍服に身を包んだ異世界の将校たち。
彼らこそが、大陸に冠たると号した大モラヴィアの魔道軍を鎧袖一触に打ち破り、今まさに王国全土を飲みこまんとしている未知の巨大国家の尖兵達なのだ。
「緊張せずとも宜しい」
ルーキンの声は決して大きくはなかったが、静まり返った広間にはやけに大きく響いた。
「ここにいる人々は皆、自らの意志でソヴィエトに降った者ばかり。我が祖国への忠誠と帰順を約した者に、無体な真似はしない」
そこに人々を説得、ないしは懐柔するような響きは一切ない。
事務的に、必要なことを述べているだけだということが明らかに理解できる口調だったが、それだけにルーキンの言葉は先行きへの不安に駆られていた人々に安堵をもたらした。
巧言令色を用いるでもなければ、権高に恫喝してくるでもない。
虜囚としての一先ずの身の安全に関しては保障されたわけであり、文字通り己や一族の生命が保たれるかどうかという不安を抱えていた貴族軍人や領邦君主たちにとっては胸を撫で下ろすべき言葉だった。
「今日ここに集められた諸君は、皆、魔術師としてひとかどの実力を有する者たちばかりだ。貴族、庶民、冒険者……我が祖国はそういった身分によって諸君らの実力を見縊ることも、逆に過大評価することもしない」
話しながら、ルーキンは注意深く人々の反応、視線の動きを確認していく。
貴族は貴族、庶民は庶民といったふうに近い身分の者同士で固まっているだけに、各身分階層の術者たちから反応を読み取るのも容易い。
貴族軍人や官僚たちが密やかに交わす視線、庶民の技師たちの戸惑いの表情。それらを見比べながら、ルーキンは朗々と語る。
「諸君らの生活も、身の安全も保障しよう。そして諸君らの働き、祖国への献身には相応の対価を持って報いよう。我々が諸君らに求めるのは、魔導師として諸君らが有する知識を、我がソヴィエトの人民のために役立てることだ」
声にならないどよめきが、波紋となって広間全体へと広がっていく。
困惑、疑念、希望、様々な表情を浮かべた魔術師たちがルーキンたちの顔色を伺いつつも、周囲の同輩と目配せを交わしあう。
魔道技術を持たない異世界軍にモラヴィアの魔道技術を教示する。
その発想自体は、被召喚者としてのソ連邦を知る者からすれば、さして意外な発想というわけでもない。
魔術師としての知識の提供自体、彼らがソ連邦に帰順した際に約していることでもあるからだ。
問題は、それをなぜこの場で言う必要があるかという点であり、同時に、この場に身分も、所属する組織も異なる魔術師たちを集めた意図は那辺にあるのかという疑問も出てくる。
「大尉。はじめてくれ」
「ハッ」
ルーキンに促され、傍らに控えていた女将校―――クラリッサが一歩進み出る。
その手に握られた魔術行使用の短杖の存在と、彼女自身が発散する濃密な魔力にモラヴィア人たちの間から大きなどよめきが起こった。
明らかにソ連将校の身なりをした人間が、異界人には無縁の存在であるはずの魔術を行使しようとしているという事実に。
ただ一人。
魔道軍の軍衣を纏った伯爵令嬢だけは、周りの者たちとは異なる種類の驚きを露わにしていた。
(間違いない。やはり貴女は……)
確信めいた表情を浮かべ、クラリッサに歩み寄ろうとするソフィアだったが、ふとクラリッサの挙動に違和感を抱く。
進み出たブルネットの女魔術師は、己の短杖を天井へと掲げ謳うように魔術詠唱を開始した。
(なんだ?あの詠唱は―――遠見?いったい何を)
その疑問の答えが脳裏に閃くよりも、クラリッサの詠唱が終わる方が早かった。
クラリッサの手に握られた短杖が振るわれる。
同時に、その柄の部分にはめ込まれたトパーズが輝きを発し、その内包された魔力を解放した。
刹那。
大きな耳鳴りと共に閃光が広間を包み込んだ。
■ ■ ■
閃光に眩惑され、次にモラヴィア人たちが目を見開いたとき。
その視界に映る風景は異世界へと変貌を遂げていた。
見慣れない衣服に身を包んだ人々が広大な通りの遊歩道を歩き、中央の車道を異世界のアイアンゴーレムが後部の筒先から煤煙を吐き出しながら高速で行きかっている。
整然と調えられた都市区画。ふと上を見上げれば周囲の建物はどれもこれもが城郭の天守かと見紛うばかりに巨大であり、その摩天楼は通りの遥か先まで延々と続いている。
「これは……遠見?異界の光景を投影しているのか……」
呆然と目を見開いて呟くソフィア。
その傍らでは兄のクラウスが瞳を輝かせて、食い入るようにその【映像】に魅入っている。
周囲のモラヴィア人たちに至っては完全に言葉を失っていた。
魔道文明によることなく作り上げられた巨大都市。
その先進的な威容に。
彼らが知る最も先進的な計画都市である王都キュリロスを、その規模、インフラともに数倍以上に拡大したような光景に。
再び閃光が奔り、視界に映る景色が切り替わる
けたたましい金属の音。
鋼材と、何やら奇怪な機巧に囲まれた建物の屋内。
薄汚れた同じ意匠の服を着た男たちが奇妙な面当てを付け、巨大な鉄の大筒に取り付いて慌ただしく作業している。
なにかの工房だろうか?
再び場面が切り替わる。
先ほどと似たような広々とした工房で、ここでも作業服を着た男たちが大きな鉄の塊に向かって忙しなく手を動かしていた。
クレーンで吊り上げられた筒が鉄塊のところに運ばれ、作業員達はそこに取り付いて各々が器具を手にしてそれを溶接していく。
不可解な光景に多くのモラヴィア人が首を傾げている中で、幾人かの軍人が何かに気付いたように顔色を激変させている。
「莫迦な……あれはゴーレムか?」
視界に映る映像がゆっくりと動き、映し出されている光景―――レニングラード第174ヴォロシーロフ名称戦車工場の生産ラインの稼動する様。
魔術師として、導師級の位階に至った工匠が己が秘奥とする術式を込めて造り上げるモラヴィアのゴーレムと、それは明らかに異質だった。
広大極まりない工廠で数十輌にも及ぶ車体が並べられ、他の工房で造られた砲筒を、その他機器を搬送し、流れるような動きで次々とゴーレムを組上げていく。
まるで料理人が厨房で、沢山のパンを纏めて焼き上げてしまうように、モラヴィア人の視点から見て、それこそ瞬く間に強大なゴーレムを創り上げていく異界の巨大工房の姿。
また閃光が奔る。
次いで映し出されたそれは、上空からの俯瞰。
都市圏総人口460万を数える巨大都市モスクワ。
荘厳なクレムリン宮殿を中心に、同心円状に広がっていくその広大極まりない都市は、彼らが誇りとする大陸北部最大の都市、モラヴィア王都キュリロスさえ、たちどころにその存在を霞ませてしまうだろう。
中央に坐する宮殿より、全方位に向けて放射線状に伸びてゆく長大かつ高度に整備された街道網。
その通りには長大なビルディングが立ち並び、更に都市の各所に設けられた荘厳華麗な駅舎からはモラヴィア人たちが初めて目にする高速鉄道――煤煙を吐き出しながら多数の貨車を牽引した車両群がひっきりなしに行き交う。
「―――これが……これが【蛮人】だと?」
誰からともなく、呻きにも似た呟きが零れた。
この場にいるモラヴィア人、その多くは王国における知識階級に属している。
地方軍高官、属州官僚、領邦貴族……身分の低い庶民の者たちとて導師の称号を有する強力な魔術師であり、モラヴィア王国内においては中産階級以上の者たちだ。
彼らにとって魔道文明を持たない異界人という存在は、いうなれば未開の非文明人という認識が強い。
科学文明が未発達なこの世界においては、魔道技術こそが文明の成熟度合いをはかる唯一の尺度であるからだ。
むろん、ソヴィエトに膝を屈した東部属州の要人たちにとってはソ連の軍事技術は大いに畏怖の念を掻き立てるものだったが、それでも穿った見方をすれば【戦争に滅法強い蛮族】という認識が強かったといえる。
こればかりは長年培ってきた魔道技術信奉や常識からくる認識なので、なかなか改められるものでもない。
だが、時として常識というものは、新たな発見によって覆される。
かつて建国王アルブレヒト大王が秘蹟魔道を初めて見い出し、それによって造り上げられた魔法生物の軍団を尖兵として精霊魔術を基盤とする諸国を瞬く間に平らげたように。
今、皮肉にも秘蹟魔術の力によってこの世界に誘われた一つの国家が、魔道文明を基盤として造り上げられた世界の理を覆そうとしていた。




