第34話 再会
1941年 9月3日
モラヴィア王国 クラナ大河西岸
モラヴィア軍水棲キメラによって軍橋を叩き潰された赤軍であったが、この程度の損害で渡河を躊躇するわけはなかった。
同盟国ネウストリアを相手取っての占領地獲得競争は既に始まっているのだ。
事実、制圧したブルーノの軍・行政機関で得られた情報から、モラヴィア側の戦力を大まかな概要で掴んでいたソ連本国からは侵攻作戦の作戦目標―――即ち王都の占領を半月以内に達成すべしとの催促までが来ているのだ。
そして、市街戦による損耗を予測されたブルーノ攻略が、地方軍の降伏によって短期間で終結した為に、赤軍の正面戦力が殆ど傷付いていないという事実も、ソ連の将軍たちの強気を呼び込んでいた。
先遣隊を潰された機械化軍団の再編を行いつつ、空軍と砲兵による水棲キメラへの牽制攻撃を実施した赤軍は、次いで大河東岸に戦線を形成する2個軍18個師団に野戦架橋を命じ、多方面から一斉に渡河を開始した。
先ほど試みたような―――濃密な砲兵と航空機の傘による支援を受けた一点突破とは打って変わって、今度は広範囲に軍勢を分散させてきた赤軍だったが、この方法が意図するところを悟り、モラヴィア側の指揮官たちは苦渋の表情を浮かべた。
赤軍はモラヴィア軍の対処能力を超える広範囲に、波状攻撃を仕掛けてきたのだ。
先ほどのような無駄のない一点突破戦術ならば、モラヴィア側も精鋭部隊をその突破点に集中させることによってどうにか凌ぎきることができたのだが、こういった物量にまかせた力押しでこられると、元から兵力差が隔絶しているだけに簡単にモラヴィア軍の対処能力を超えてしまうのだ。
それでも、モラヴィア側からすれば渡河中の無防備な状況を狙う以外に勝機を見出す術がなく、戦略予備のキメラ部隊を縦横に走らせて赤軍の突破点を一つ一つ潰しにかかる。
しかし、キメラ部隊がクラナ河畔の赤軍橋頭堡まであと数キロという地点まで到達したところで、赤軍の反撃が爆発した。
多連装ロケットの公算射撃がキメラ部隊の後方……機動部隊に追随して陣地を確保するべく前進を始めていた歩兵・魔導師部隊に襲いかかり、これを強固な拠点防御結界で防ごうとするモラヴィアの後続部隊は、その施術のために完全に進軍を止められてしまう。
これによって前衛のキメラ部隊との距離が大きく開き、そこへ今度はキメラ部隊を標的とした重砲による大河東岸からの面制圧砲撃が開始されて、その戦力を瞬く間に削り取られていく。
眼前に立ちはだかる炎の壁。上空から降り注ぐ魔道槍と炸裂弾。
これらに身を晒しながら前進を続けたモラヴィア機鎧兵団を最後に待ち受けていたのは、水際陣地を制圧し、そこを即席の防衛拠点に造り変えていたソ連空挺軍による機関銃弾幕だった。
「怯むな、突撃!突撃!」
指揮官が声を嗄らして叱咤する。
だが、突撃を命じる将校たちにしても、その表情には恐怖の色が濃い。
ソ連赤軍によって占拠された水際陣地の至るところにはDShK38重機関銃を中心とした機銃座が据え付けられており、これが正面突破を図るモラヴィア軍に牙をむいたのだ。
陣地群に向けて正面から突進するモラヴィア軍は、機銃座からばら蒔かれる銃弾の雨を前に次々と薙ぎ倒されていく。
(おのれ……何という火力だ!これでは辿り着く前に戦力を磨り潰してしまうぞ)
キメラ部隊の先鋒として突撃を開始した第10機鎧連隊第2大隊長は、赤軍野戦陣地が張り巡らせるあまりにも濃密な火力密度を前に息を呑んだ。
このままでは水際陣地を占拠している異界軍と乱戦に持ち込むまでに、こちらの戦力は大半が磨り潰されてしまう。
だが今更退くことなど出来るはずもない。
自分たちはもとより、後続の歩兵・魔術師団も上空からの爆撃と敵陣後方からの魔道槍攻撃に晒されており、もはや安全地帯と呼べるような場所はなくなっているのだから。
こうしているうちにも、モラヴィア軍進撃路の至るところで魔術師が、兵士たちが赤軍の濃密な火線網に絡めとられ、その死屍を積み重ねていく。
その地獄のような光景に怒りを感じ、連隊長は声を嗄らして部下達に命じる。
「進め!異界の蛮人どもに大モラヴィアの誇りを見せつけるのだ!」
そうして襲い来る銃弾をものともせず、機鎧連隊は前進を続ける。
兵も、士官も、事ここにいたっては逃げ道など存在しないことを理解しているのだ。
例え馬首を巡らせて引き返そうにも、今度はあの魔道槍と飛空艇の追撃を受けることはわかりきっていた。
(無理なのか?我らでは異界人には勝てないというのか?)
連隊長にはわからなかった。
大陸随一の魔道文明を擁するモラヴィアが、自らが召喚した蛮族によって滅ぼされようとしている。
なぜこのような不条理が罷り通るのか?
答えの出ない煩悶に苛まれる連隊長。その乗騎であるキメラの頭部を12.7mm弾が打ち砕き、彼は大地へと投げ出された。
この一連の突撃により、モラヴィア軍はソ連側橋頭堡となっている水際野戦陣地の一部を占拠することに成功。
しかしその代償として、モラヴィア中央梯団は予備戦力の大半を喪失することになる。
戦いは日没まで続いたが、それまでにモラヴィアが受けた損害は赤軍の10倍以上―――この最後の攻勢だけで戦死・行方不明者合わせて8千名を超え、先鋒集団を率いていた機鎧兵団長もこの時戦死している。
クラナ大河西岸はモラヴィアの最も献身的な将兵の死屍によって埋めつくされたのだ。
そして、モラヴィア軍首脳部を何より失望させたのは、これほどの損害を払いながらも赤軍橋頭堡の完全な破壊を達成することができなかったということだ。
空挺軍は全体の3割近い損害を被っていたし、当初確保していた橋頭堡も半分近くを落とされていたが、それでも赤軍を完全に対岸へ押し戻せなかった以上、予備戦力の枯渇したモラヴィア側にはこれ以上の攻撃を続行する余力は残っていなかった。
翌日未明。
モラヴィア中央梯団司令部は隷下全軍に向けて総撤退を下令。
モラヴィア王国総軍主力は戦力の過半を喪失し、敗走した。
なお、この一連の戦いに置いてソ連・モラヴィア双方が投入した戦力と、その被った損害は下記の通りになる。
ソ連側
西部方面軍(D.G.パブロフ上級大将指揮)
参加兵力:65万 装甲車両2500輌
第3軍(クズネツォフ中将)
第4軍(コロブコフ中将)
第10軍(ゴルベフ中将)
第3機械化軍団(クルキン少将)
第6機械化軍団(ヴラソフ中将)
第11機械化軍団(ハツキレヴィッチ少将)
第14機械化軍団(ロコソフスキー中将)
損害: 戦死・行方不明5800名 負傷者11000名
モラヴィア側
中央梯団(A.イセルシュテット大将指揮)
参加兵力:10万名 キメラ6千騎
王都第1戦列兵団
王都第2戦列兵団
西部第5戦列兵団
西部第7戦列兵団
魔道軍第2機鎧兵団
魔道軍第5機鎧兵団
魔道軍第7機鎧兵団
損害: 死傷者48000名。捕虜12000名。
王国総軍の中核をなす主力部隊が被った損害は致命的であり、この戦い以後、モラヴィア軍は大規模な攻勢作戦を行う余力を完全に奪われることになる。
ソ連赤軍はモラヴィア本国への道を開いたのだ。
■ ■ ■
1941年 9月5日
ソ連占領地 都市ブルーノ
ブルーノ市街の中央。
二重の城壁によって囲まれた政府区画中央に存在する政庁城館の広間は、この日、大きな喧騒の中にあった。
主にレセプションホールとしての使用を考えて設えられた広々とした一室には、モラヴィア魔道軍の軍衣を身に着けた将校や、行政官の法服を纏った官僚。
あるいは貴族らしい豪奢な装束を纏った人々が20人近く集まっていた。正確には、この街を占領している異世界軍の命令によって集められていたのだ。
それはブルーノの陥落とともに赤軍に降った魔道軍将校たちであり、行政府に属する官僚であり、中には東部属州の自領を無血開城という形で赤軍に明け渡した領邦君主の姿もあった。
更には数こそ少ないものの、平服を身に着けた庶民らしい者の姿も見受けられる。
彼らは知人同士で、あるいは同じ組織に属するもの同士で集まり、密やかに言葉を交わしあっている。
その会話の大半は、自分たちがこの場に集められた目的について推論を交わすようなものだった。
実のところ、この場に集められた者たちには一つの共通点があった。
全員が魔術師として導師以上の位階を得ている技術官僚であり、ソ連邦への帰順を表明している者たちという点だった。
そう考えれば、ここに集められた意図についてもある程度は憶測がつきそうなものだ。
とはいえ、モラヴィア人たちの表情には困惑の色が濃い。
近代国家とは異なり、厳然たる社会階層によって身分を隔てているこの世界において、ここまで出身階層の異なる者たちが同じ立場で一堂に集められるというのは例がないからだ。
「異界の者たちは一風変わった趣向を持っておるようじゃな」
鈴を転がすような声が広間の一角に響く。
決して大きくはないが、よく通る声音は思いのほかよく響き、周囲の人々も一瞬そちら―――声を発した年若い貴族令嬢に胡乱な視線を遣り、その女性がだれか判るとすぐに視線をそらす。
魔道軍軍衣に身を包んだその女性。魔道軍中尉の階級を示す士官服を着込んだその出で立ちは、広間に集まった者たちの中ではそこまで高い地位にあることを示すものではない。
が、その顔はモラヴィア東部諸侯の間ではそれなりに知られたものだった。
厳冬の曙光に染め上げられたような美しい金褐色の髪と、碧緑の瞳が印象的な精彩に満ちた女性軍人。
モラヴィア東部属州の領邦君主が一人であり、北部の山岳地帯を領有するハウスヴァルト伯爵の双子の妹、ソフィア・クリッツェン・ハウスヴァルトは周囲から向けられた視線を柳に風と受け流しつつ、傍らに立つ男に水を向ける。
話を振られた男―――伯爵家の現当主であるクラウス・クリッツェンは妹の言葉に答えることなく、ただ小さく肩を竦めた。
ハウスヴァルド伯爵家は東部属州の領邦貴族の中にあってもそれなりに重きをなす有力諸侯であり、その所領である山岳地帯は食糧生産こそ低いものの、希少金属である魔法銀を産する鉱山を抱えており、複数の魔術研究都市を領する西グレキア方伯家に次ぐ富裕の領国として知られている。
また、同家は錬金魔術の魔術を用いた冶金技術に長けた一族としても知られており、現当主のクラウスは若干25歳にして、王都魔術学院における教授の地位にある鋭才として知られている。
「久しぶりに帰郷して、その最初の仕事が所領の明け渡しとはね。亡き父上に申し訳が立たないよ」
どこまで真剣に口にしているのか判り辛い茫洋とした面持ちで、クラウスは気だるげに答えた。
流れるような金褐色の髪と碧緑色の瞳を持つ彼は中背の、いかにも繊弱な貴公子然とした容姿をしているが、その瞳には自分たちを此処へ呼びつけた異世界人への畏れ、不安などの色は見当たらない。
寧ろ、不安げに密談を交わすほかの参集者たちのほうこ感情の読み取れない茫洋とした瞳で見ている。
根っからの学者肌であり、権勢や財といったものに関心の薄いこの青年貴族は、亡父より家督を継いで以降は領国の経営を信頼する代官に一任して、自らは遠く離れた王都の魔術学院で一人研究に精を出し、故郷へ帰参するのは数年に一度という生活を送っている。
これは名門貴族の党首としてはお世辞にも褒められたことではなく、衆目の一致するところのクラウスへの評価は、いいところ【変人学者】といったものだ。
とはいえ、魔術に関する才については隔絶している。鉱業盛んな領邦において彼が生み出した錬金魔道技術は如何なくその力を発揮し、その優れた冶金技術によって生み出される鉄や魔法金属製品の存在は、決して地味豊かとはいえない領邦都市ハウスヴァルドを東部属州有数の富裕都市として繁栄させている。
それゆえに、政治に興味を碌に示さないクラウスの態度も、これまで深刻に問題視されることはなかった。
30万という東部属州においては有数の大人口を有する大邦であるハウスヴァルドには、父祖の代より伯爵家に仕える優秀な家臣団と行政機構が存在しており、それらに一任しておけば大概は問題なく処理できたためだ。
とはいえ、今回ばかりはクラウス自身が出張るよりなかった。
異世界からの侵略軍。
東部属州を舞台に焦土作戦を展開する王国軍。
このような事態にあって平時の行政管理を担う官僚組織は全くの無力であり、絶対的な権力を持つ領邦君主が指導力を発揮することが求められる。
そして、折良く自らの領邦に帰郷していたクラウスは迫り来る異世界の軍勢を前に、自らと領邦の命運を委ねられ………微塵の躊躇もなく赤軍に無血開城したのだ。
いまひとつ何を考えているのか読めない兄クラウスに、ソフィアはやや胡乱な視線を向けた。
「本当にそう思っておいでか?兄上を見ていると、我らや祖国の命運よりもあの異界人どもが乗り回すゴーレムのほうに興味があるようにしか見えぬのだが」
疑うような妹の言葉に、年若い伯爵は何の躊躇いもなく頷いて見せた。
「うん、あれは凄かった。どうやって動かしているんだろうね。魔力は感じられなかったし……かといって馬匹や竜に牽引させるでもない。後部の筒から熱気を出していたし、何かの熱で動かしているのかな……でもそんな動力をどうやって…」
表情こそ動かさなかったものの、何か琴線に触れるものがあったらしく、途端に饒舌となってブツブツと呟きだす兄の姿に、ソフィアは指先で己のこめかみを抑えて嘆息した。
ラーケン中将以下東部地方軍司令部の降伏に伴い、グレキア半島各地で抵抗を続けていた諸侯たちはその大半がソ連の軍門に下った。
総司令部を落とされたことで継戦の意思を挫かれたのもあるが、最大の兵站拠点を落とされては先の見通しが立たなかったというのも大きい。
ソフィア自身は地方軍の士官の一人として結界部隊に属しており、ブルーノの降伏時に司令部ともども赤軍に投降した軍人たちの一人だった。
兄の独語を適当に聞き流しつつ、ソフィアはそれとなく周囲を見渡し、ふと、軍人同士で集まっている一団を目にとめた。
将官服を着た老齢の将軍を中心に、7人ほどの高級軍人が固まっている。
かつての東部地方軍司令官ラーケン中将と、その参謀たちだ。
彼らは何れも東部属州に己の地盤を持たない本国軍や他地方出身の者たちであり、兄ほどではないにせよ、この場ではどこか浮いた存在だ。
それは本国軍―――新領土鎮定軍がこれまでに属州で成してきた非道な焦土戦術や屍兵投入といった行動が影響している。
ラーケン自身が積極的に関与したわけではなくとも、対ソ戦の重要な一翼を担っていた彼に本国軍が引き起こした諸々の事態についての責任を求める声も一部にはあった。
ソフィアから見れば理不尽も甚だしい。
指揮系統上、ラーケンが属していたのはあくまで地方軍であり、そこで彼は最善を尽くしてブルーノをはじめとした西グレキアの諸都市を戦火から救ったのだ。
その中には、ソフィアの故郷であるハウスヴァルドも含まれている。
地方軍総司令部の降伏という決断がなければ、たとえ領主であるクラウスが投降を決めたところで現地に駐留する地方軍所属の守備軍が抵抗することは十分に考えられたからだ。
(ラーケン閣下も大変な苦労を背負われたものじゃ。魔道院や本国の下種どもの行為についてまで責を負う必要など無かろうに)
幸いといえるかどうかは判らないが、そういった者たちによってラーケンが処断されることは最早ない。
今やこの東部属州を支配するのはソヴィエト連邦なる異界の民。
彼らの胸先三寸でここに集まっている人々の命運は決まるのだ。
だからこそ、己の運命を得体のしれない輩に握られているこの場の人々は不安げな面持ちをしているのだ。
思案に耽るソフィアの耳に、扉を開く音が滑り込んできた。
音は存外大きく響き、広間に集まっていた人々は一斉に入口のほうを見る。
広間と廊下を結ぶ両開きの重厚な木製扉が開き、青い制帽を目深に被った異世界人将校の一団が入室してきた。
均整のとれた体格の、中肉中背の若々しい将校を先頭に、でっぷりとした肥満体の将校が続き、その後ろからブルネットの髪が印象的な女性将校が入室してきた。
NKVD将校たちがぞろぞろと入室してくるのを興味深げに眺めていたソフィアだったが、入室してきた3人目の人物の姿には、驚きのあまり愕然とした表情で固まってしまった。
「そんな……あれは……」
傍らで黙然と立っていたクラウスが、妹のただならぬ様子を見て、その視線の行く先を追う。
「おや。あれは確かソフィアの同級生だった―――」
記憶の糸を手繰り寄せるようにぼそぼそと呟く兄をよそに、ソフィアは呆然とした面持ちで呻いた。
「―――クラリス………貴女なのか?」
そんなソフィアの驚愕をよそに、広間に入ってきた将校の一団はモラヴィア人たち全員を見渡せる位置まで来ると、歩みを止めて人々に向き直った。
モラヴィア人たちは知る由もないが、ここに現れた将校たちこそが、彼らの命運を握るソヴィエト保安情報機関の責任者たちだった。
保安管理本部第3課、ユーリー・ルーキン大佐。
NKVD国内軍14旅団長、アンドレイ・サムソノフ大佐。
そして、ルーキンの背後に控えるように立つ女将校。
保安管理本部第3課大尉、クラリッサ・クローデンの姿もそこにあった。




