第29話 南方
大陸東部。モラヴィア王国とネウストリア帝國の勢力境界を成す一帯は、大陸中部を東西に伸びるパランティア山脈によって南北に分断されている。
東西2600キロに及ぶこの大山脈は東が最も高く、西に行くほど低くなっており、これを大きく分けて東側―――旧グラゴール領南部からモラヴィアの南西に存在する小国家パズ公国の北端まで続く高パランティア。
そこから北の山岳国家トレド王国中央へと伸び、大陸北端へと至る西の小パランティアに区分される。標高300メートル前後の比較的緩やかな山地が連なる小パランティアに対して、最高峰3000メートルのニベル山地を筆頭に、南北に短い急峻な山脈が連なる高パランティアは大軍の通行の大きな妨げとなっている。
これを天空より俯瞰して見ると、パランティア山脈はモラヴィア勢力圏と精霊神教諸国を隔てる天然の障壁と呼べなくもない。
事実、50年前のモラヴィア・グラゴール戦役以降、この山脈は北のモラヴィア勢力と南の精霊神教国家群の最前線であり、モラヴィア王国はその数少ない通行路である峠の各所に小規模な砦を建設して睨みを利かせる一方で、旧グラゴール領内には完全充足の魔道軍兵団を複数配して山脈を隔てた南の豊かな大地を虎視眈々と窺ってきた。
この地に配備されているモラヴィア魔道軍―――南部国境梯団は平時においても常に完全充足の戦時編成に置かれた最精鋭部隊であり、単一部隊としては大陸最強を長らく呼号した。
一方のネウストリアも国境を守護する北方辺境騎士軍には潤沢な装備と補給を与え、モラヴィアに対する対抗意識をむき出しにして、この長大な山脈を挟んでパワープロジェクションを展開してきた。
かつてこの地にあり、モラヴィアによって併呑された旧グラゴール王国領はネウストリアとの係争地であり、この火種を抱えた土地を舞台に両国は睨み合いを続けてきたわけだが、それでも両国の間に直接戦端が開かれたことはない。
峻厳な高パランティア山脈は大軍の往来には全くの不向きであり、この山を越えて出兵を行うには莫大な戦費を負担することが求められた。
そういった地理的条件に加えて、互いが互いに攻勢に出るための決め手を欠いていた―――言い替えるなら戦力面に不安を抱いていた為だ。
マナの枯渇によって生産力を年々落としていたモラヴィアには、自国と同格以上の国家相手に戦端を開くような余裕などなかったし、ネウストリアにしても峻厳な山岳地帯を抜ける貧弱な補給路でモラヴィア魔道軍に対抗出来るだけの戦力を送り込めるかという不安を抱えていた。
たとえ一時的にグラゴールを制圧できたとしても、その後予想されるモラヴィア側の逆襲に対抗できるだけの軍を維持するのに高パランティア山脈の貧弱な補給路だけでは明らかに不足であり、補給のために飛空艇を使用した空輸も併用するとなっては相当な財政負担が予測されたからだ。
互いが互いに攻め入るための決め手を欠いていたがゆえの膠着。
―――しかしその拮抗状態は、モラヴィア王国の対ソ開戦によって崩れ去ることになる。
ソ連赤軍の熾烈極まる攻勢によって東部の戦線が押し込まれ始めると、喪った戦力を穴埋めするために南部梯団からは対帝国戦の決戦兵力と位置付けられていた魔道軍主力が次々と引き抜かれ、代替として後備役・予備役の2線級兵団がその代替を務めることになっていった。
本国が脅かされ、敵を押し戻すための戦力が不足している以上、モラヴィアとしてはやむに止まれぬ決断であったわけだが、大局的にみると、これはネウストリアに南部地方を無防備に差し出すに等しい行為だった。
既に、ソ連邦との間に軍事同盟を締結していた帝国は、魔道軍の戦力移動が一段落したタイミングを見計らい、本国領の飛空艇艦隊に出師命令を下令。
同時に北方辺境騎士軍が擁する地上軍―――魔導師一千余名を含む11個騎士団18万の軍勢に出撃を命じたのだった。
かくして精霊神教国とモラヴィア王国は、凡そ50年振りに戦火を交えることとなったのだった。
1941年 8月30日
モラヴィア王国南部 旧グラゴール王国領
ネウストリア北部と旧グラゴール王国領を結ぶ峠道。
その路を扼するように山間部に造営された砦が聳え立っていた。
魔法王国とも呼ばれる列強モラヴィアが、その第一の仮想敵国との国境に築造したものだけあって、その造りは堅牢の一言につきる。
付与魔術による材質強化の呪刻を彫り込まれた城壁。その周囲に常時張り巡らされている防御結界。
そして砦内部に駐留する大隊規模の魔道軍兵団の精鋭軍属魔術師。
狭隘な峠道を塞ぐ形で存在する地の利も然ることながら、その防御施設、人員ともに国境警備隊としては明らかに過剰な戦力であり、生半な攻撃など門前にたどりつく前に跳ね返されてしまうだろうと思われた。
朝陽の登り始めた早朝。
奇しくもそれは、ソ連軍砲兵師団が都市ブルーノの大結界に砲撃を開始するのと、ほぼ同刻のことであった。
最初に異常に気づいたのは、城壁の上で巡回に当たっていた軍属魔術師のひとりだった。
ふと、自らの知覚に捉えた微弱な魔力の流れに疑念を覚え、足を止める。
(なんだ……この圧迫感は)
身に纒わり付くような不快な感覚。
微弱ではあったが、それは自身の身が他者の魔力波に曝されているときに感じるものだ。
彼がそれを【遠見】によるものだと思い至る間際。
より巨大な魔力の存在を捉え、魔術師は弾かれたように南の山間に目を向けた。
最初は小さく、そして徐々に大きな風鳴りの音が聞こえてくる。
何か巨大なものが風を切る音だ。それは竜騎士の飛翔する際に聞こえてくるものに似ている。
しかし、未だ視界にも入らないほど遠方から聞こえてくるにしては、その音は明らかに大きい。
(……報告を)
例えようもない胸騒ぎを覚え、城内の指揮所に向けて魔力波通信を送ろうとしたところで、それは南の空に姿を現した。
雲間を突き抜け、続々とその巨体を露わにしていく純白に塗装された艨艟。
次々と姿を現していくその数は10や20では効かない。
遠目にも判かるほどに巨大な船体の周りを鳥のようなものが飛び交っている。
―――いや、鳥ではない。あれは竜騎士だ。
「帝国の……飛空艇艦隊!?」
総身を走り抜ける戦慄に、表情を歪めて呻く魔術師。
山間にかかった雲の壁を突き抜け、次々にその偉容を露わにしていく空中艦隊。
その艦影をソ連の人間が見れば真っ先に飛行船を思い浮かべることだろう。
全長200メートルを超える巨大飛行船。それが30隻近い船団を形成し、その周囲を50メートルクラスの小型飛行船が航行している。
飛空艇―――前述したように、その船体構造はソ連がかつて存在した世界における硬式飛行船に限りなく近いものだ。
金属や木製の竜骨・外殻に覆われた、丸みを帯びた長大な円筒型の船体。
違いがあるとすれば、前世界の飛行船が浮力を得るための気嚢によって船体の大部分を占めていたのに対し、この飛空艇は風の魔石とそれを運用する多数の魔術師によって運用されており、その巨大な船体の大部分をペイロードに当てられると言う点だろう。
エルフ族の古代魔術を用いた飛行術式が組み込まれており、その相性の問題から火炎や雷撃などの魔術攻撃手段は持たないが、単艦で連隊規模の歩兵や大隊規模の戦竜騎兵を空輸できるそのペイロードと、これを活かした緊急展開能力は列強中でも屈指の能力を有している。
精霊魔術師を運用する神教国の中でも、これ程の飛空艇を保有しているのは、領内に複数のエルフ部族を抱えるネウストリアしかない。
「て―――」
敵襲、と叫ぼうとした魔術師だが、その声が口をついて出ることはついになかった。
とすん、と硬いものに何かが刺さる音。
魔術師の額に、一本の矢尻が突き立っていた。
驚愕の表情を貼り付けたまま、城壁から転がり落ちる魔術師。
それが、ネウストリア軍によるモラヴィア侵攻の幕開けとなった。
■ ■ ■
モラヴィア・ネウストリア国境上空
ネウストリア飛空艇艦隊
「砦上空。飛竜騎士の要撃隊、上がります。第4艦隊直援竜騎兵が迎撃」
「ふん。遅いわ……愚か者が」
索敵担当の魔術師からの報告に、ネウストリア第2飛空艦隊司令長官オーギュスト・ニコラ・デルヴァンクール一等将旗空軍提督は吐き捨てるように言った。
本国からの侵攻命令を受け、飛空艇艦隊は規定の作戦計画に則り速やかに行動を開始した。
それは、森林における隠密戦闘に長けたエルフ部族・獣人軽歩兵による奇襲。それに続く飛空艇艦隊による空挺降下作戦だ。
デルヴァンクール提督は艦隊後衛に位置する旗艦艦橋に陣取り、前方に映し出される遠見魔術によって映し出される前線の様子を見守っていた。
「モラヴィアの邪教徒どもにしては、いささか腰が重いな。精鋭が北に抜かれているというのは事実であったか」
「は……一部においては激しい抵抗が見られますが、国境地帯の城塞群に関しては、一両日中に落とせるかと。……地上軍の軽歩兵がよくやってくれました」
幕僚の言に満足げにうなずく。
デルヴァンクール自身もその策定に参画した対モラヴィア侵攻作戦は、国境地帯に存在する砦―――要塞群を如何にして迅速に突破できるかが重要視された。
モラヴィアは戦線後方に魔道軍主体の機動集団を配置しており、国境地帯での戦闘が長引けば、それらの集団が応援にかけつけてしまう。
この機動集団の中核となっているのは魔道軍所属の3個機鎧兵団であり、不整地踏破能力に優れたこの魔法生物部隊に狭隘な山岳地帯で挑まれた場合、同数で対抗出来るような戦力をネウストリアは持たない。
その為、ネウストリアの計画は第一撃の奇襲によって砦の防御設備を無力化し、続けて飛空艇艦隊を用いた大規模空挺作戦を行うことによって増援の到着前に砦を陥落させることに主眼が置かれた。
この計画は、現状においては問題なく進んでいる。
先行して山間の森林地帯に浸透したエルフ・獣人族主体の辺境軽歩兵団は城壁の歩哨を排除し、城内に混乱を引き起こすことに成功しており、現状、最も厄介な砦の防御結界は起動していない。
一部の飛竜部隊が要撃に上がってきているが、これさえ排除すれば砦は手に入れたも同然だ。
艦隊の腹のなかに抱える戦竜騎士団を降下させて一瞬で捻り潰すことができる。
全身に漲る高揚感に、血が沸きたつのを感じる。
本作戦に投入されている飛空艇は第2、第4、第5、第6から成る4個艦隊62隻。
うち、空挺部隊を搭載した大型輸送艦が40隻であり、残り22隻は魔術結界を展開して輸送艦の楯となる小型のコルベット艦だ。
大陸最大最強をもって知られる大飛空艦隊。近衛艦隊も含めて計7個艦隊存在するうちの半数以上が投入されるなど、空軍建軍以来のことだ。
そして、この壮挙にあって全艦隊の総指揮を取るのは最先任の提督であるこのデルヴァンクールなのだ。
(邪教徒どもに対し、鉄槌を下す聖戦……その先鋒が私とは。名誉なことだ)
デルヴァンクールは既に齢50を越える初老の武人であり、先帝の御世から騎士として帝室に仕えてきた。
文人肌で、戦場よりも社交界を好んでいる節がある現皇帝は、彼にとって必ずしも最高の君主とはいえなかったが、このような晴れ舞台を得られたことは喜ばしく思っていた。
「各艦隊司令を呼び出せ」
デルヴァンクールの命令を受け、各艦隊旗艦に魔力波通信が発せられる。
それから20秒程度の間を置いて、デルヴァンクールの座する艦橋にいくつもの幻影が浮かび上がる。
最初、白々とした靄の形をとっていたものはやがて人の形となり、やがて鮮明な人物像を描き出す。
現れたのは青と白を基調とした空軍提督の軍礼装に身を包んだ男女3人だった。
第4艦隊将旗提督ダリウス・アンリ・オーリック男爵
第5艦隊将旗提督ジスレーヌ・カナート女子爵
第6艦隊将旗提督オリヴィア・アズナヴール女爵士
何れも30台前半の若々しい提督連を前に、デルヴァンクールは重々しく告げた。
「偉大なる主ラーナの照覧あれ。諸君らこそ、神の尖兵にして精霊の祝福を受けしグラゴールの解放者である。己の全能をかけ、任を遂行することを本職は望む」
朗々と謳い上げるように訓示を述べ、それから提督一人ひとりを見定めるように見ていく。
逸り立つような高揚感をにじませているもの。眉ひとつ動かさず平静を保つもの。獰猛なまでに戦意を漲らせているもの。
三者三様の姿を見遣ってから,デルヴァンクールは告げた。
「降下作戦開始を下令する。命令は一つだ」
厳かな表情でそこまで述べた所で一旦言葉を切り、老提督は表情を大きく歪めた。
――――邪教徒どもを誅戮せよ。
ここに、モラヴィア南方戦線の火蓋が切って落とされた。




