おまけ:茨薔子は不可能を可能にしたい
メイドの三箇条。
一、主人の手となり足となれ。
二、万一の時には盾となれ。
三、主人の動向に敏感たれ。
いま述べた三つの事柄は、あまねくこの世のメイド候補生たちが、メイド高校メイド学科に入学して一番最初に叩き込まれる、メイドの心得です。
メイドとはいかなる存在か。どうあるべきか。大企業の重役、金持ちの坊ちゃん、汚職まみれの政治家連中。いかな主人、いかな命令であれど、与えられた指示には百二十パーセントの成果を叩き出し、必要とあらば靴を舐め、地べたを這いずり、ただただ主を崇め奉る。それこそメイドの本懐。メイド高校に入学したうら若き乙女たちは、例のお題目を一日一万回暗唱し、巌のごとき揺るぎない奴隷根性を心身に刻まれることとなります。メイドという機械はかくして出来上がるのです。
この話は、皆さま初耳だったかと思います。
そんな事情があるのかと、驚かれた方もいるでしょう。
でっち上げなので知らなくて当然です。
ですが少なくともわたしは、従者の端くれとして、以上の三点を心に刻み、毎日を生きて参りました。
そうして十年連れ添って分かったのですが、我が主は非常に負けず嫌いです。
本日は、そのお話をしようかと思います。
……え、そもそもお前は誰なのかって?
申し遅れました。わたしはベロニカ・イングリッシュ。愛の花を愛する女こと、茨薔子さまに仕えるメイドにございます。
はじめまして。
既にお会いしたことのある方は、お久しぶりです。改めてよろしくお願いします。
さて。
わたしの顔は初見という方も、薔子さまの名前には聞き覚えがある筈。
簡単に紹介しておきましょう。
愛しの我が主、茨薔子さまは、私立植物園『茨フラワーパーク』の園長及び、ガーデナーとしての職をお持ちです。
好きな物は、花。とにかく花。団子より花です。団子も好まれますが、一番を決めろと言われれば、迷わず花を選ぶでしょう。
外見。我が主ながら最高です。街灯に集う羽虫のごとく、身の程知らずの女どもがしょっちゅう寄り付いてきます。同性のご友人から口説かれたこともあるそうです。
頭脳。これは言わずもがな。
中身。賛否両論あります。わたしや、最近よく来る東雲伊吹さまなどは、薔子さまの性格を受け入れておりますが、心地良きバラの香りも度を過ぎれば悪臭となるもの。
何しろ薔子さまは遠慮ということをなさいません。相手が誰であれ仰りたいことはズケズケと仰います。なんか唐突に笑い出します。花の話題になれば目の色を変えて一方的に語り出します。更には同年代の女性と比べて、極めて多くの栄養素を摂取なされます。
語っていけばキリがありません。
キリが無いので、さっさと本題に移りましょう。
これは先日、わたしが薔子さまの部屋にお邪魔した時の話です。
※
「薔子さま。洗濯物をお持ちいたしまし……た?」
扉を開けてすぐ、奇怪な光景が目に飛び込んできて、わたしは思わず、手にしていたお召し物を落としそうになりました。
「ベロニカか。そこに置いといてくれ」
わたしの存在に気付いた薔子さまが、顔だけで振り向いて応えます。いつ聞いても素敵なお声。出来るならわたくしの耳元で、ベロニカ、ベロニカと、我が愚名を囁いて欲しいのですが……はい。妄言はさておきまして。
顔だけ振り向いた、すなわちわたしが入室した際、薔子さまはこちらを向いてはおりませんでした。
ではどこを向いていたかというと、姿見でございました。
一人で姿見に向き合って、目をパチパチ、パチパチと。取り憑かれたかのように。
本人は真剣な表情でしたから、なおさら事情をお聞きしたくなるというもの。
「……何をなさっておられるのですか?」
「見れば分かるだろう。ウインクの練習だ」
「目薬を差すのをしくじった訳ではないのですね」
いきなりどうしたというのでしょう。薔子様のウインクが下手くそ……失礼、可愛らしくていらっしゃるのは、ここ十年の間、頑として揺るぐことのなかった事実。それが今になって練習とは、いかなる風の吹き回しでしょうか。
「伊吹がいるだろう。あいつと初めて会った日にな、「ウインクがお上手ですね」と明らかに皮肉と分かる語調で笑われたんだ。気に食わない。ウインクごとき私にも出来るということを、あいつに知らしめる必要がある」
「それで練習に励んでいたというわけですか……。進捗は芳しくないようですが」
「ああ、頑張っているのだが停滞の極みだ。片目だけを瞑るのがこれほど難しかったとはな」
長い溜息を吐いて、薔子さまはベッドに寝転がりました。
匙を投げるのは結構ですが、一言苦言を呈させていただきます。
お腹が見えています。
割れた腹筋チラリズムです。
ああ薔子さま、従者の理性を試すのはおやめください。
「もう、薔子さま! だらしのうごさいますよ!」
「いいじゃないか。誰に見られるでも無し、ここには君しかいないんだから」
「そういう問題ではありません。お身体を冷やすのは、毒にごさります」
風邪を引いて欲しくはありません。時に厳しく接することも、メイドの務めなのです。
「……何か打開策はないものか」
洗濯物をタンスにしまっていると、寝転がったままの薔子さまが、なんとなしにポツリと独り言ちました。
「無闇に練習を重ねるよりも、コツを掴むことが重要なのではないでしょうか? 指をパチンと鳴らすあれ、薔子さまはお上手でしょう。同じでございます」
「ウインクのコツか……。理屈を聞くだけで不可能が可能になるとは、到底思えないのだがね」
確かにそうでしょう。実はわたくし、指パッチンを成功した例しがありません。あんなのどうやったら出来るのでしょうか。
出来る人は本当に人間なのでしょうか。
「むしろ君はどうなんだ? ウインクしてみたまえ、ベロニカ」
「わたくしですか??」
不肖ベロニカ、齢二十の人生において、ウインクをした経験などほとんどございません。生まれ育ったロンドンの裏路地では、ウインクより他に、身につけるべき技術があったのです。
けれど主人の命令は絶対。土下座しろと言われれば土下座をし、靴を舐めろと言われれば靴を舐める。それがメイドの定めです。ウインクから逃げることは叶いません。
「……こんな感じでしょうか?」
取り敢えず感覚でやってみましたところ、薔子さまはガバリと起き上がって、
「どうして出来る!? 君は本当に人間なのか!?」
人間です。この人は何をおっしゃっているのでしょうか。
「そもそもどうして人間には、瞼を閉じる機能が備わっているのだろうね」
露骨にふてくされた薔子さまが、言い訳がましい口調で、そうぼやきます。
「乾燥を防ぐためならば、わざわざ片目だけを閉じる意味は無いわけだ。まばたきにしても、眠るにしてもそう。蛇のように瞼を持たない生き物もいるが、彼らは眼球の表面を透明な鱗で覆うことによって、外部の脅威から目を守っているわけだね。ウインクの技術など、生物として生きる上ではまったくの不要だと思うんだ。目を保護したいなら、両目を閉じれば済む話なのだからね」
「舌と頭がよく回りますこと。でしたらウインクの練習をする意味はございませんね?」
わたくしが訊くと、薔子さまは悔しげに歯を食い縛ります。負けず嫌いなのですね。なんと分かりやすいお方でしょう。
「ベロニカ! その問は卑怯だ!」
「はい」
存じております。
「おのれ……いっ、今に見ていたまえ! 必ずやウインクを習得し、君と伊吹に目にもの見せてくれる! 必ずだ!」
腰に手を当て、わたくしを指差し、上擦った声で薔子さまが宣言します。
「楽しみにしております、心から」
そこでわたしはエールの意味を込めて、パチリとウインクを返したのでした。




