表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茨薔子は不可能を可能にする   作者: どくだみ
第3株:毒と棘
34/37

幕引き

「園長さんの仰ったことは、あくまで『お前だとすればこのようにやったのだろう』という論理に過ぎません。スズランの水が本当に用いられたのか、証明する術が無い。結論ありきの妄想。小説まがいの空想。エラリー・クイーンの足下にも及びませんな」

「自覚はしているよ。穴だらけの理屈を押し付けるほど、私も愚かではないつもりだ」


 一条さんの挑発じみた発言にも、薔子さんは表情を崩さない。腕を組み、悠然と構え、一条さんを正面から見詰め返す。


「毒についてはひとまず忘れ、犯人の動機を検討してみよう。ところで知っているかな。被害者の佐藤美香はだね、数ヶ月前まで、ストーカーの被害に遭っていたそうだよ」

「……ほう、それは災難です。警察はこのことを把握されておるのですかな?」

「もちろん把握してるよ。レディの持ってる情報は、基本的に、ボクら警察のそれと大差無いと考えていい」


 話を振られた警部が頷く。佐藤さんお目覚めの第一報が入った後、警部は部下を通じて、僕と薔子さんは電話越しに、佐藤さんから話を聞くことが出来た。立川さんの言ったストーカーの件も含めて、色々と。

 薔子さんが「さて」と呟いた。


「ストーカー行為に及んでいた男は、佐藤美香の元恋人。名をハシモト。橋本(はしもと)隆行(たかゆき)というそうだ。おや、あなたの名前とは違うね?」

「当然ですな。わたしは一条隆俊。橋本など過分にして存じ上げません」


 一瞬、表情が固くなったが、すぐに笑顔を浮かべて一条さんが答えた。そこで、薔子さんがいきなり立ち上がる。迷いの無い足取りで一条さんに詰め寄り、携帯を取り出して彼の眼前に突き付けた。


「大切なことを言い忘れていたよ。先ほど佐藤美香の意識が戻ってね、今ビデオ通話で(・・・・・・・)繋がっているんだ(・・・・・・・・)。手っ取り早く本人に確認してもらおう」


 ……うわぉ。事前に知らされていたけど、やっぱ容赦無いな。


「どうだ佐藤美香、画面に映っている男に見覚えは?」

『……あります(・・・・)


 女性の声で返事が返ってきた。一条さんの顔が険しくなり、対する薔子さんは妖しげにほくそ笑む。


「この男の名前を教えてくれ」

『橋本。橋本隆行。私の交際相手だった人です』

「そうと断ずる自信はあるか?」

『はい。変装をしているようですが、その目付きと声、間違いありません。どうして気付けなかったのかしら、近くにいたのに……』

「無理もない。ストーカーが収まって四ヶ月、今日まで一切の音沙汰無し。誰だって警戒も緩むだろうさ」


 ちなみにこれには裏がある。スズランの水を確かめた際、僕は薔子さんの命令で、密かに一条さんを盗み撮りしていた。その写真を、職員さん経由で佐藤さんに見て貰い、知っているとの証言をあらかじめ得ていたのだ。だからこのパフォーマンスは、薔子さんの自己満足だったりする。


「ベラ坊な! あなたたちの仰りたいことがまったく理解出来ない!」


 一条さんが声を荒げた。だけどここまでくればもう、形成逆転は不可能だ。


「まだごねるか。では本人確認をしよう。免許証を見せたまえ」

「……本日は徒歩で来ましたので、生憎と持っておりませんな」

「そうか。なら保険証だ。社員証、キャッシュカード、クレジット、何でもいいぞ。お前の本名が記載されている物、1つくらいは財布に入っているだろう?」

「……」

「まったくのゼロか? 財布を見せてみたまえ。何も無いなら見せれるだろう? それとも何か、お前にとって都合の悪い物でも入っているのか?」


 薔子さんが更に詰め寄ると、一条さん……いや、橋本さんは口を引き結んで黙ってしまった。

 黙秘権を行使するつもりだろう。けれどその沈黙は、下手な答えよりもずっと雄弁だった。

 そうして追い詰めた獲物に、薔子さんがトドメを刺す。


「佐藤美香さえ死んでいれば、無関係の客を装うのも容易かっただろうがね。己の不運を牢獄で嘆くといい。もしくは、偽の名をでっち上げて切り抜けるのも、お前の計画の内だったのか……。ところでこれも偽物らしいな?」


 橋本さんのチョビ髭を引っ張る。ペロリと顔(・・・・・)から剥がれた(・・・・・・)それを、薔子さんは指でつまみ上げてから、ゴミを見るような目付きで机の上に放った。


「仮装大会はここまでだ。どうしてこんなことをした? 理由を聞かせてもらおう」


 いつになく低い声色で、問い質す薔子さん。


「……全部あの女が悪いのですな」


 苦虫をかみつぶしたような顔で、橋本さんは答えた。


「あの女、とは佐藤美香のことか?」

「ああそうですな! あれだけ尽くしてやったのに! あいつはこの私を捨てていきやがった!」


 橋本さんの口調が唐突に荒っぽくなる。万一に備えて僕は薔子さんの隣に移動した。警察の前とはいえ、彼が薔子さんに手を出すかもしれない。少しでも抑止力になれたらいい。


「ではお前は、自分が橋本隆行であることを認めるのだな」

「認めますとも! いかにも私は橋本隆行! かつて美香の恋人であった者です!」


 文学人然とした風貌を、引き攣った笑いで歪ませて、男が叫ぶ。


「知っておりますかな園長さん、あの女は花屋を営んでいるのですよ。花は素晴らしい。心が安らぐ。毎日は華やぐ。それを売る彼女は実にご立派だ。結婚してからも続けたいと言うまでは(・・・)、私も心から応援していた」

「応援すればいいじゃないか。何の問題があるのか分からない」

「大ありですな! 夢を追う? 結構なことです。ですが彼女まで働けば、家のことは誰がするのでしょうな! 男は金を稼ぎ、女は家を守る。それこそが日本の伝統的な生き方、立派な家族の在り方ではありませんかな!」


 あー……なるほどなぁ。


『……そういうところよ、隆行さん。私があなたを見限ったのは』


 電話の向こうから、震える声で佐藤さんが言う。


『あなたがどんな考え方を持っていても、私はそれを受け止めようとしたわ。でもあなたは! 自分のイデオロギーを私に押し付けるばかりで、少しも私の気持ちを理解してくれなかった! だから後戻り出来なくなる前に、別れを切り出したのよ。なのにしつこく何度も何度も……』

「お互いのためにならないからですな! 正社員故の安定した収入、安定した将来。私にはそれが約束されているのに、見捨てて逃げるのはあまりにも奇妙! ましてや私と別れてすぐに別の男と!」

『別に誰と生きようが私の勝手でしょう!? 私はあなたのお世話係でも、愛玩動物でもないの!』


 要するに根本的な価値観が違ったわけだ。佐藤さんは、この人と一緒には暮らせないと思って関係を終わらせようとしたけど、橋本さんはそれが理解出来なくて、逆恨みしてしまったと。


「……だから殺そうとしたのか? 自分の手から、花が離れていったから」


 薔子さんが訊くと、橋本さんは勢いよく机を叩いた。


「ええそうですな! ここには二人で何度も来ていた。男子トイレにスズランが飾られておることも知っていました! 美香が好きだったこの場所で、好きだった花の毒で! 逝かせてやろうと思ったのですな! ストーカーがやんだ? いいえ、そう見せていただけです。欲を言えば、立川(あの男)に罪を着せたかったのですが、まさかこれほど頭の冴えた女性がいたとは、予想外でしたな」


 最後の一言は嘲りの滲む口調で。薔子さんの顔を見ると、彼女は苛立つでもなく、動じるでもなく、ただ乾いた視線を目の前の男に浴びせていた。

 好きな人から見捨てられるのは、確かに辛い。失意、哀しみ、怒りだって抱くだろう。だけどそれはそれ、これはこれだ。


「どんな理由があっても、人を殺そうとするのは犯罪です」

「黙っていただきたいですな! 社会人にもなってない若造が、偉そうに!」


 凄まじい剣幕で罵られた。佐藤さん、あなたは別れて正解だ。


「人生経験の浅い人間には分からないかもしれませんが、女性とは得てして自分勝手なのです。東雲さんと言いましたかな? あなたも気をつけるとよろしい。お隣で咲いておられる青薔薇の、魔性の毒気に当てられぬように」


 は? なんだこいつ、薔子さんを侮辱してるのか? 勝手なこと言うなよ、彼女のこと知りもしないくせに。


「園長さん、あなたは聡明であられるが、本質的には有象無象と同じでしょう。それだけの外見をお持ちなら、これまで数多くの男が言い寄ってきた筈。にも関わらず、指には指輪をしていない。未だ独身であられるのでしょうな。実に! ご立派な! ご身分でいらっしゃる!」

「……」


 薔子さんが肩を竦める。どうして言い返さないんだろう。いつものように思い切りやっちゃえばいいのに。こんな男に口で負けるあなたじゃないのに。


「そういえばこの園には食虫植物室なるものがありましたな? 園長の気風を実によく表わしておられるようだ。男という虫をおびき寄せ、喰らい、むしゃぶり、吸い尽くして、都合が悪くなったらゴミ同然に捨てる。食虫植物と同じです。次なる獲物はお隣のボウヤですかな? どうなるやら今後が楽しみだ……ははははは」


 陰険な笑い声が店内に響く。

 橋本のご高閲を黙って聞いていた薔子さんは、淡々とした動きで、佐藤さんとの通話を終わらせた。携帯をポケットに仕舞い込む。そして。


「――言いたいことはそれだけか」

「は?」

「言いたいことはそれだけか! 愚か者!」


 空を割るような雷が落ちた。いいぞ! やっちまえ!


「橋本隆行! 貴様が誰を想い、何を信じ、誰を憎むかは貴様の勝手だ! 私が魔性に見えるか? そうか好きなだけ(ののし)るといい! だがな、侮蔑(ぶべつ)の喩えに植物を持ち出すのだけは、我慢ならん!」


 満杯になったダムがついに決壊するように、薔子さんが怒りを(あらわ)にして、のけ反る橋本の服の襟を掴んだ。


(けだ)し草花というものは! いかに苛酷な環境であれ置かれた場所で咲こうとする! バラしかり、スズランしかり、食虫植物しかりだ! とりわけ食虫植物は、本来ならば被食者たる身でありながら、天敵の虫を喰らいてまで生きようとする勇ましき種族なのだ!

 彼らがどうしてそんな生き方をするか分かるか? 養分に乏しい湿地帯では、そうでもしなければ生きていけなかったからだ! 娯楽や自己顕示欲のためではない!

 いいかよく聞け。貴様が唾棄(だき)する食虫植物とは、誇り高き戦士であり、貧しき大地の開拓者であり、食物連鎖への反逆者だ! 断じて貴様が思うような、魔性の女ではないのだ!」


 爆発のような魂からの叫びに、僕は薔子さんの“根っこ”を垣間見た気がした。

 座ればバラ、黙ればナデシコ。好きなものを語る時はヒマワリの笑顔。そんな花のような人が、氷の魔女もかくやの冷ややかな視線を以て、橋本を睨み付ける。


「貴様の根っこは腐っているよ。これでは美しい花は咲けまい」


 抑揚の消えた声で、淡々と吐き捨てた。


「……うるさい。うるさいんですなぁさっきからぁあぁああ! 鼻持ちならないことをゴチャゴチャと! 所詮おまえらは勝ち組のくせにい!」


 絶叫した橋本が薔子さんの手首を掴んだ。理性の吹き飛んだ表情で、握り拳を振り上げる。

 ――まずい。

 考える間もなく、僕は二人の間に割って入った。


「薔子さん! ――――ぐあっ」


 衝撃が脳を揺らす。瞼の裏側でチカチカと星が瞬き、平衡感覚が失われた。視界が一瞬真っ白に染まる。

 殴られた。そう気付いた時には、既に床の上だった。僕の身体はなぎ倒された椅子の上に転がっていて、顔を真っ赤に怒らせた橋本が、もう一発を食らわせようとこちらに歩み寄ってくるところだった。

 立ち上がって逃げようにも、意識が朦朧として動けない。


「伊吹!」


 聞こえるのは、薔子さんの悲痛な叫び声。名前で呼ばれた。などとどうでもいいことを考えていると、ぼやける視界の中で薔子さんが動いた。

 何をする気かと思う間もなく、そのまま橋本の顎目掛けて蹴りを放つ。


「――フッ!」


 気合いと共に振り抜かれた足は、目標の頭を的確に捉え。今まさに僕を踏みつけようとしていた男は、無様にもその場へ崩れ落ちた。

 薔子さんが短く息を吐く。光る汗。(なび)く黒髪。身体は油断なく橋本に向けたまま、顔だけでこちらを振り向いた。

 つっよ。

 そういえば、キックボクシングやってるってベロニカさんが言ってたな。にしても一撃か。咄嗟に庇ったのはいいけど、もしかして僕、殴られ損なのでは……?

 驚きで開いた口がふさがらないでいると、駆け寄ってきた薔子さんがすぐ横に跪いて、優しく僕を抱き起こしてくれた。


「青年」


 いつもの呼び方に戻ってしまった。戻らなくていいのに。伊吹って呼んでくれて構わないのに。


「薔子さん」

「ああ。私はここだ。もう大丈夫だからな」

「……はい」

「痛むか?」

「つっ……少しだけ」


 嘘。結構痛い。殴られた頬はジンジンと熱いし、口の中を切ったか血の味までする。父親にも殴られたことないのに。


「腫れているな。病院へ行こう。大丈夫とほざいても連れて行くぞ」


 有無を言わさぬ口調で、そう告げられる。痛みで心がダメージを受けていた僕は、大人しく首を縦に振ることしか出来なかった。


警察(ボクら)の目の前で暴行とは、いい度胸をしてるね」


 その横で、ようやく動いた三千院警部が、手錠を取り出して橋本の腕に填めた。


「現行犯だ。他にも色々と聞きたいから、パトカーまでご案内しよう」

「……何ですと。私は悪くありませんな!」


 橋本の振り回した腕が警部に当たる。すると警部は楽しそうな笑みを浮かべて、


「殴った! 今ボクを殴ったね!? 公務執行妨害も追加だッ!」


 二人がかりで連行していく。それは役目を終えた演者が幕の裏に下がっていく光景さながらに、僕たちの演目に一旦のピリオドを打つ合図のようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ