毒の在処
時計の針が三時を回ろうかという頃。
レストラン『夏の名残のバラ』一階は、静けさに満ちていた。
客と警察、合わせて数十人の視線が、店内の一点に注がれている。
それだけの注目を受けて、なおも動じず知的に微笑むのは、長い足を組み、上半身をピッと反らせて、偉そうな態度で椅子にふんぞり返る一人の女性――薔子さんだった。
「紳士淑女の皆さま、本日は当園にお越しいただきありがとう」
透き通るような声が緊張を裂いて響く。その余韻を自ら味わうかのように、彼女は辺りをゆっくりと見回してから、胸の膨らみに手を当てた。
「私は茨薔子。こう見えて此処の園長だ。警部、この私に改めて時間をくれたこと、心から感謝する」
「いいよいいよ! 失敗した人にだって挽回のチャンスはあるし、話を聞かずに物事を判断するのは、ボクのポリシーに反するからね。……にしても雰囲気違わない? 変な薬でも飲んだ?」
「はーはっはっは!」
薔子さんが高らかに笑う。僕に言わせると、この薔子さんは調子が良い時の薔子さんだ。百万馬力のスポーツカーが、コーナーを曲がり終えて直線に突入した、その瞬間の勢いを想像してほしい。
「私は薬など飲んでいないがね、誰が佐藤美香に毒を飲ませたかは判明したよ。今からそれを、この場で皆に語ろうと思うのだ」
集められた人たちの間にざわめきが走る。その反応に気を良くしてか、薔子さんの口元がニヤリと歪んだ。
「よろしいのですか、警部! この女性は一般人です!」
「まあまあまあ、堅苦しいことは言わずに。取り敢えずレディの話を聞いてみようじゃないか。犯人を言い当てたらめっけモンだし、どっちにしろ手柄はボク達のものになるんだからさ」
不服そうな巡査を宥めてから、三千院警部がどっかと腰を降ろす。手の平を上にして『ほれ、話してみたまえ』の仕草。警部からの挑戦状ともとれるそれを、薔子さんは青の瞳で一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「では、警部の期待にお答えするとしよう。まず結論から話そうか。佐藤美香が口にした毒は、どのような形態であったのか。その答えは、液体だ」
「……液体ねぇ。だったら尚更、それを入れておくための容器が必要になると思うけど。そんなもの、探してもどこにも無かったよね」
「そうだな」
「じゃあどうして液体だって言えるのさ」
警部が疑問を投げかける。薔子さんは指をピンと立てて答えた。
「花だよ」
「花??」
「実物を見せよう。青年! あれを持って来てくれ!」
ここで僕の出番である。薔子さんの隣を離れ、店の奥へ。周りから激しく見詰められていることを感じつつ、僕が入るのはトイレの中。目的の物を両手に抱え、急ぎ薔子さんのところに戻る。
落とさないよう細心の注意を払いながら、それを机の上に置けば、警部がヒュウと口笛を吹いた。
「ボーイ、それはもしや……」
「はい。男子トイレに飾られている、スズランです」
鈴を逆さにしたような花が、いくつも集まって咲いている、花屋なんかでよく見掛ける花だ。知名度は高く、人気もある。花壇に植えられていたり、花束になったりと、植物に縁の無い人々にとっても、比較的身近な花だろう。
けれど――。
「可愛らしい見た目とは裏腹に、スズランは青酸カリ以上の毒性を持っている。有毒成分は全部で三十八種あり、その筆頭は“コンバラトキシン”。佐藤美香の体内から検出された、強心性の猛毒だ」
過去には死亡事故もあったという。トリカブトやドクウツギと同じ、容易に人を死に至らしめる魔物。それこそが、スズランの持つ裏の顔なのだ。
「私としたことが、こんなあからさまな毒の存在を見落としていたなんてね。女子トイレの方はシラユリだから、気付けなかったよ」
灯台下暗しだね。自嘲気味に呟いてから、薔子さんは喉を震わせて笑った。
「知っていると思うが、スズランは全株くまなく有毒だ。葉、根、茎、花粉、更には活けていた花瓶の水ですら、間違えて飲めば命を落としうる。そんな凶悪な植物なのだよ」
「……つまりレディはこう言いたいんだね? 佐藤美香は、その花瓶の中身を飲んで中毒に陥った」
「そうだ」
あっさりと薔子さんは断言した。
「犯人はスズランの水を汲み、隙を見計らって佐藤美香のコップとすり替えたのだよ。おそらく、彼女らが料理を取りに行ったタイミングを狙ったのだろうね。あまり匂いがある花じゃないから、知らねば気付かぬのも無理はなかろう。その証拠に……」
花瓶からスズランを引き抜き、近くにあったグラス中に入っていた水を注ぐ。見た目の容量では花瓶の方が遥かに上だ。しかしちょろちょろと音を立てて流れ出る水は、グラスの半分を満たした時点で、唐突に止まった。
「どうだ? この大きさの花瓶にしては、中身があまりにも少なすぎるだろう」
体感にして花瓶全体の一割程と言ったところか。この量では、茎の先が水に浸るかさえ怪しい。
「点検表によると本日午前八時、清掃員の立花さんが男子トイレの掃除を行っている。このスズランは、その際に新しく活けられたものであり、同じ時点で花瓶には満杯まで水が注がれる筈だ。女子トイレの方も確認したが、そちらは水が規定量だけ入っていたよ」
薔子さんが机に肘をつく。ちなみにだけど、スズランの存在に気付いたのは僕だ。
小さい頃に、スズランは毒を持つと本で読んだことがあった。花瓶の水さえ危険だと知り、幼心にゾクッとした経験があった。薔子さんに水を汲もうとした時、それをふと思いだしたのである。
「ウェイト。ちょっと待ってくれよレディ。仮にスズランが使われたとして、犯人が上手いことすり替えに成功したとして、どうやってその人物を特定するんだい? 防犯カメラも目撃証言もアテにならない。佐藤美香のコップだって、もう片付けちゃったんだけど」
「簡単だよ。毒が回るまでの時間を考えればいい。スズランの場合、摂取から発症まではおよそ一時間以内と言われているがね。すなわち、ある程度の間が空くということだ」
警部の問いに即答して、薔子さんはそのまま口を止めることなく続ける。
「先刻、私たちは容疑者を三名に絞った。この内、森永は女だから除外していい。残るは男二名。五日市と一条だ。トイレにアクセスした時刻を見てみると、佐藤美香が倒れる四十分前に一条、五分前に五日市となっていた」
二人とも手元は映ってなかった。だけど、もしも犯人は五日市さんだった場合、佐藤さんが毒を飲んでから倒れるまでの時間があまりにも短過ぎる。そもそも彼は日本一周の途中で、此処にも偶然立ち寄っただけなのだ。つまり。
「一条隆俊。あなたが犯人だと思うのだが、何か申し開きはあるだろうか」
呼ばれた一条さんは、がっかりしたような溜息を漏らしてから、憮然とした態度でチョビ髭をつまんだ。
「荒唐無稽も甚だしいですな」




