行き詰まりと追放
「結局なにも分からなかったな」
事情聴取を終えた後。期待外れだとでも言うかのように、座席の背もたれにふんぞり返り、薔子さんが不満げな顔で紅茶を啜る。
「立川の方はどうなんだ。興味深い情報は得られたのか」
「報告の限りじゃ特に何も。気になることは無い、普通に食事をしてただけ。もちろん自分はやってない……。教科書通りのお返事って感じだねぇ」
同じく紅茶を飲みながら、三千院警部が溜息を吐いた。レモンの果汁でも入っているのか、立ち上がる湯気からは微かに柑橘系の香りがする。
「まあでも、収穫がゼロだったわけじゃない。今しがた病院から連絡があった。毒の成分が判明したそうだよ。検出されたのは“コンバラトキシン”。強心性の猛毒だ」
「佐藤美香が心停止を起こした理由は、これで明らかになったな。ただ……」
「強いて言うならあの三人が怪しいってだけで、証拠があるわけじゃないんですよね」
唸る薔子さんに続いて、僕も紅茶をご馳走になりつつ口を開く。五日市さん、森永さん、一条さん。あの中に犯人がいるのか、いないのか。それすら曖昧なままだ。だからこそ物的証拠が欲しい。
薔子さんが思い出したかのように手を叩いた。
「ああそうだ、証拠だよ。私らが話を聞いてる間、お前の部下が店内を嗅ぎ回っていただろう。そろそろ何かしら見つかったんじゃないか?」
「さてどうだろうね……ちょうど終わったみたいだから、確認してみようか」
警部が指差した方に目を向けると、制服を来た巡査の一人がこちらに向けて歩いてきていた。僕たちの前で立ち止まると、背筋をピッと伸ばし、緊張した面持ちで敬礼をする。
「店内の捜索、完了いたしました」
「ご苦労さま。ブツはあったかい?」
犯人の立場からすると、佐藤さんが毒の存在に気付けばジ・エンドだ。だからこそ毒物の形式は、水に溶けやすい錠剤か粉、あるいは液体のどれかである可能性が高い。
小さくてなくしやすい錠剤は、普通ケースに入れて運ぶ。粉と液体は言わずもがなであるからして、犯人が使った毒の容器は、レストランのどこかにまだ残っている筈なのだ。
けれど巡査は首を横に振った。
「それが……警部のおっしゃっていたような物は、どこにも」
「なんだと? ちゃんと探したのか?」
薔子さんが食ってかかった。巡査はムッとした顔になる。
「隅から隅まで洗いざらい探しましたが、めぼしい品は何一つ見当たりませんでした」
「まさか。どこかにあるんだ、よく探せ」
「探しました」
「本当か?」
「県警の誇りにかけて確かです!」
薔子さんが表情を厳しくすれば、巡査も真っ向から言い返す。剣呑な雰囲気になってきた。予想を裏切る報告ではあったけど、取り敢えず喧嘩は駄目だ。
「二人とも落ち着いてください」
「そうだとも。言い争うのはよくない。イッツァピースフルワールドだよ、エブリバディ」
洒落た仕草で紅茶を口に含む警部。カップをゆっくりと机に置き、巡査に問い掛けた。
「……無かったんだね?」
「はい」
「分かった。じゃ、ボクは上司として、その報告を信用するよ」
飄々とした口振りに、薔子さんが勢いよく立ち上がった。
「お前まで何を言っているんだ! 毒を盛られたのはあまりにも明白だろう。だとしたら、それを入れておくための容器がどこかにある筈だ。お前は薬を素手で直に持ち運ぶのか」
「仕方ないさ。真実はどうあれ、探しても何も出てこなかった。これが事実。ボク達警察って組織はね、確固たる証拠と証言にもとづいて動くんだよ。その二つがナッシングな今、キミの主張がどれだけ筋道の通ったものでも、ボクとしては方針を転換するしかない」
「ならばお前はどうするつもりだ? 特高さながらに容疑者の爪でも剥ぐか?」
「あ、それ名案! ……冗談だよ? 冗談だから上にチクるとかやめてね」
割と真顔でとんでもないことをほざいてから、警部は音を立てて紅茶を啜る。
「ボク的にはやっぱり、佐藤美香のツレの立川が黒いと思ってる。理詰めで考えて立ち往生しちゃったから一旦頭をリセット。動機の面から改めて情報を集めていくしかないね。今一度、立川実と話をして、佐藤美香が目覚め次第、彼女にも色々訊きたいな。他の客も念のため留めておくけど」
これまでの思考から距離を置き、振り出しに戻って一から考え直す。それは裏を返せば、薔子さんの意見には何の価値も無いと、彼女はもう用無しだと、三千院警部が判断したって意味だ。
長い足を組み合わせ、警部はキザっぽく前髪を掻き上げた。
「動機か、論理か。正しいのがどちらかは、もちろん、まだ分からないんだけどね。ボク達の目が節穴で、毒の入れ物は隅っこの方に落ちてるのかもしれない。トイレでジャーッと流しちゃって、今は下水のどこかにあるのかもしれない。あるいは――」
もったいぶった沈黙の後、警部は静かに微笑んで続けた。
「キミの考えが根本から間違っていたのかもね、レディ・薔子」
お疲れ様。そう囁いて、紅茶のカップを小さく持ち上げる。彼なりの皮肉か、意趣返しだったんだろうか。乾杯の仕草に似ていた。
「……っ!」
歯を食い縛り、悔しそうに拳を握り締め、肩を震わせる薔子さんは、それでも感情をぶちまけることなく、一つ、長い長い息を吐いた。はらわたの煮えくりかえるような屈辱を感じていることが、その表情からありありと伝わって来る。
胸の奥がズキンと痛んだ。
「薔子さん……」
「なぁに、落ち込むことは無いさ! キミは頭は良いかもしれないけど、素人だからね。後はボク達プロに任せて、ゆっくりくつろいでくれたまえッ!」
「……」
「あーっはっはっは! あーはっはっはっは!」
いつも散々好き放題言っている薔子さんが、今は何一つ言い返さない。
きっと言い返せるだけの理屈が整っていないんだろう。整っていれば絶対に言い返す。そして、僕が見てきた茨薔子という人は、破綻した論理を押し付けることを好まない。
「……事件の速やかな解決を期待する」
最後にせめてもの社交辞令を述べて、薔子さんはその場を立ち去った。店の奥にある階段を上り、二階の展望台へと消えていく。
いつもより小さく見える彼女の背中を、僕は呼び止めることが出来なかった。




