騒動の予感
「薔子さん!」
「不思議そうな顔をしていたからね、気になることでもあるのかと思ったんだが。いかがかな」
「え……その、大したことじゃないんですけど。ここ、バラの根元に透明なビニールが巻いてあって。何だろうなって」
すると彼女はいきなり身体を近付けてきた。ふわりと漂う甘い匂いが、僕の心をイタズラに掻き乱す。文字通り目と鼻の先に、美しくて涼しげな青色の瞳。疑いようもなく整った横顔。
「……ああ、これは『接ぎ木』の名残だね。聞いたことはあるかい?」
我に返って、僕は首を横に振った。薔子さんがピンと人差し指を立てる。
「接ぎ木というのは、二つ以上の植物を接着して、一つの個体にする園芸の技法だ。その際、上部にくる植物を穂木、下部にくる植物を台木という。この株だと、花を咲かせているアンブリッジローズが穂木。台木はおそらくノイバラだ」
「な、なるほど」
「君がビニールと言ったのは、接ぎ木に使う専用のテープで、穂木と台木が馴染むまでの間、これで固定をしておくんだよ。見たところ接合から半年かそこらか」
「へええ……! 花を増やす方法って、種を蒔くだけじゃないんですね。初めて知りました」
プロにとっちゃ常識なんだろうけど、僕には新鮮な知識だった。別々の植物をくっつけて一つにするなんて、まるで魔法みたいだ。
「君はなかなか良い反応をするな。ボランティアそのものだけでなく、今のような新しい発見も書き記しておくと、レポートの完成度が上がるんじゃないか」
「そうですね……って、どうしてそれを!?」
驚きで声が跳ね上がる。名前しか教えていないのに。もしやどこかで会ったことがあるのか? 大学の関係者とか……?
「なに、簡単な推理だよ。まず初めに、君は学生だ。名簿に名前と大学名が書いてあったからね。次に、君は先程まで接ぎ木を知らなかった。園芸を少しでも囓った者なら、およそ常識である筈の知識だ。ここから導くに、伊吹青年。君はバラにも園芸にもさして興味が無い」
その通りだ。実家に庭はあったけど、あくまで母や祖母の領分で、基本的に関わってこなかった。
「では何故、君はこのボランティアに参加したのだろう。そういうサークルに入っていたから? 否。だとすれば普通、友人と連れ立って来る筈だ。君は激しい人見知りというわけでもなさそうだし、友達がいないという可能性も低かろう」
人並みにはいると自覚している。緊張はするけど、初対面の相手とも普通に話すことが出来る。ちょうど今みたいに。
「故に。最も有力な理由は大学の講義関係だ。演習科目の課題として、ボランティアへの参加が命じられたのだと推察出来る。授業の一環である以上、何らかの成果物は求められて当然。――こんなところだ」
「す、すごい……」
何から何まで正解だった。同級生にも頭の良いやつはいるけど、薔子さんと比べれば足下にも及ばない。自信ありげに鼻を鳴らす彼女を見て、僕はただただ呆けることしか出来なかった。この人は、脳の作りが別格だ。
「違ったかな?」
「いえ……あの、全部、薔子さんの言うとおりです」
「そうだろう。私は天才だからね。君自身は秘密にしている気でも、様々な情報が湯水のように溢れ出ているよ。望むなら、他にも色々と当ててみせよう」
「ぼ、僕のことはもういいですって! ……そ、それより、薔子さんは普段、何をしてるんですか」
「私かい? 本職はガーデナーだが、『茨フラワーパーク』の園長でもあるよ。元々は父が創設した園なのだがね。昨年から私が受け継いだんだ」
「あ、そこ行ったことありますよ! 一度だけ、小学校の社会見学か何かで」
市の北部、小高い丘の上にある、こぢんまりとした私立の植物園だ。あのときも確か今くらいの時期で、入り口にかかるバラのアーチが、別世界へ続く門のようでワクワクしたのをよく覚えている。
「そうだったのか。最近、青いバラが新しく我が園にやって来てね。よければ見に来てくれ……と言いたいところだが。確か此処にも、一株植えられていたかな。君さえよければ、後で案内してあげよう」
「いいんですか? お願いします!」
こんな美人なお姉さんに、付きっきりでガイドをしてもらえる。男として乗らない理由があろうか。
「はっはっは! 君は本当に反応が良いな!」
薔子さんが笑った。姫というより王子様然としていて、美しいけど口調の節々にキザっぽさを感じる。そんな彼女には、バラの花がよく似合う気がした。
そうして僕たちが他愛のない会話を続けていると、不意に空からカラスが舞い降りてきて、花壇の土をくちばしで突き始めた。「餌を探しているんだよ」と薔子さんは言う。繁殖期のド真ん中らしい。
いつの間にか鬼ごっこを始めだした小学生たちをよそ目に、彼女は「ところで」と僕の肩を叩いた。
「まーくんと呼ばれている、あの少年を見たまえ」
「キラキラ鉛筆の子ですか。どうかしました?」
「ばら祭実行委員長の息子だよ。以前、鼻の下を伸ばした親バカ面で、写真を見せ付けられたから覚えている」
「えっと……つまり彼らは」
「“サクラ”さ。本人に自覚は無いと思うがね。我々があの子たちを案内して回れば、それだけツアーの存在を知る人も増え、参加者が集まり出すと踏んだのだろう。あのタヌキ爺め、火付け役に子どもをけしかけたと言ったところか」
くっくっく、と薔子さんが喉を震わせる。独特な笑い方をする人だ。何がそんなに面白いのか、僕にはよく分からなかったけれど。賢い人は笑いのツボも違うのかもしれない。
ともあれその時点で、僕は当初薔子さんに抱いていた印象を修正しつつあった。
クセの強い、変人。だけど一方では博識で、洞察力も深く、好きな事となると話が止まらない。さっき見せてくれた彼女の笑顔は、花が咲いたように無邪気で可憐だった。
サバサバした物言いは時として鋭利になる。だけど総じて、悪い人ではないように思う。
「あの……薔子さん」
彼女のことをもう少し知りたくて、僕が口を開いた時だ。
「ぜったいに、けーくんがとったんだよ!」
ひとときの平穏を打ち破り、子どもの叫び声が僕たちの耳に届いた。




