食事時の異変
「どんな理由があっても人殺しは駄目ですからね! 分かってますよね!」
「当たり前だ! 私をなんだと思っている!」
などと終わりの見えないやり取りを続けていると、不意にどこからかチャイムの音が聞こえてきた。薔子さん曰く、近くに学校があるらしい。腕時計を確認してみれば、針はピッタリ十二時を指している。程良くお腹も空いてきた。
「何か食べるか、青年」
「そう言おうと思ってました」
僕が空腹なのだから、この人が空腹でないわけがない。
「正門の近くにレストランがありましたよね。そことかどうです?」
「全面的に賛成する。あそこはバイキング形式だ。私のような女には丁度良い」
「バイキング? 小さい頃来たときは普通のレストランだったんですけど、変わったんですか」
「変わったんだよ。実に素晴らしい改変だと思わんかね」
「……いや、変えたの薔子さんでしょう?」
「何のことかな」
「とぼけないでください」
ツッコミを入れつつレストランがある方へ。女性と一緒に植物園を回って、お昼になったら一緒にランチ。傍から見れば間違いなくデートなのだが、変に意識すると碌なことにならないので、努めて考えないようにする。
毒草コーナーを抜けた先。周りを花壇に囲まれた小高い丘の上に、レストラン『The Last Rose of Summer』は建てられていた。そういう題名の詩が実際にあるそうだ。建物の形は縦長の円柱形で、二階部分が展望台になっている。
店内は意外と広くって、中に入るやいなや美味しそうな香りが漂ってきた。受付の人に挨拶をしてから、手頃な席に腰掛ける。日の当たる窓際。バラ園やハーブ園が見える。
「良い眺めだろう?」
僕が景色に夢中になっていると、机に肘をついた薔子さんがクスリと笑った。
「ここに店を置くことを決めたのは、私の父なんだ。自分の花園を眺めながら食事がしたい。そう思ったらしくてね。二階に上れば、温室を含めた園の全域が見渡せる」
「じゃあ、昼ご飯を食べたら行ってみましょう!」
「いいよ」
薔子さんが首肯する。せっかく来たんだから、見ずに帰るのはなんかもったいない。
けれどその前に腹ごしらえと、僕たちは席を立ち上がり、店の奥へと向かった。バイキング、と一口に言っても、どんな料理があるかは店それぞれ。『夏の名残のバラ』は洋風がメインらしい。パスタ、ピザ、サラダ。よりどりみどりで、どれから食べようか迷ってしまう。
時間が時間だからだろうか。他のお客さんもそれなりにいる。大温室の短歌男や、ハーブ園で擦れ違った男女の姿もあった。向こうはこっちに気付いてなかった。
ひとまず無難なところをと、スープとペペロンチーノを取って席へと戻る。先に食べてて良いと薔子さんは言っていたけど、ガイドされる立場でそれは申し訳ないので、お手拭きを弄りつつ暇を潰す。
少しして薔子さんが帰ってきた。当然のごとく両手に皿。積まれたピザ。大量の肉。山盛りのサラダ。そりゃ時間もかかろうよ。
「待たせたな。……なんだその顔は」
「よく食べるなって思って。昔の自分を思い出します」
「現状に輪をかけて小食だったのだろう。間違いない」
「小さい頃は割かし食べてたんですよ? でもある日、家族旅行で泊まったホテルのバイキングで、調子に乗ってたくさん取りすぎて痛い目を見たんです。それ以来、自分の限界をわきまえるようになって」
「フッ……哀れなものだな。己の胃袋の小ささを嘆くといい」
「誰かさんは大きすぎますよね?」
「人としての器が大きいようにね」
はっはっは。面白い冗談だ。
「その自己肯定感の高さ、見習いたいです」
「否。自己肯定ではなく、ただの事実だよ。……さて食べるか。いただきますッ!」
「いただきます」
食前の挨拶を済ませてから、僕たちは料理に手をつけた。
単純な量だけでなく、食べる速度も薔子さんの方が上だ。多分、一口の大きさが違うのだろう。僕が一皿を食べ終えるまでに、彼女は二皿を平らげてしまう。下品にがっついたりはしない。食事を口に運ぶ姿も、いつもと変わらず凜として綺麗だ。見惚れて箸が進まない。
「うん! 美味い! 私は今、世界で二番目に幸せな時を過ごしているよ!」
「あはは……薔子さんが楽しそうだと、こっちまで楽しくなってきます」
「幸せは伝染するからね」
「ちなみに一番目は?」
「決まってるだろう。花を愛でる時間さ」
当たり前のように答えた薔子さんは、そのまま空いた皿を手にお代わりへと向かう。彼女が帰ってくるまで荷物の番をした後、僕は交代でお手洗いに行かせてもらうことにした。
トイレがあるのは店内の奥まった位置で、小さめながらも丁寧に清掃が為されているようだった。タイミング悪く出てきた金髪の青年と、入り口付近で危うくぶつかりそうになる。
「すいませんっす」「こちらこそ」頭を下げあい追突を回避。見た目は怖いけど、声は意外に優しかった。
トイレの床にはバラの柄のペインティングが施されていて、華々しいを通り越した奇抜な雰囲気が漂っている。鏡の横に活けてあるのは、可憐な白い花。……スズラン、だろうか? 詳しくないけど、多分そうだと思う。さすが植物園、一から十まで花尽くしだ。
用を済ませて席に戻ると、薔子さんは幸せそうな顔でデザートを頬張っていた。僕に気付くと、彼女は一旦食べるのを止め、「おかえり」と片手を挙げてみせる。そしてそのまま半透明の液体が入ったグラスを傾けた。
「薔子さんが飲んでるそれ、グレープフルーツですか?」
「はっさくだよ。知り合いの農家から買い付けたものを、極限まで絞り上げて果汁百パーセントのジュースにしたのだ」
瀬戸内沿岸で栽培されている柑橘類の一種だ。オレンジやリンゴなら分かるけど、はっさくジュースっていうのはあまり聞かない。
「珍しいですね」
「どこにでも売っているわけではないからね」
「どんな味なんですか?」
「実際に飲んでみるといい」
唐突にグラスを差し出してくる。流れでそれを受け取りかけた僕だったが、寸前でハッとなって手を引っ込めた。
いや、うん。分かってる。どうせこの人に深い意図なんか無いのだ。間接キスがどうとか、一瞬でも意識したのは僕だけで。ここにいるのがベロニカさんだったとしても、薔子さんは同じようにするだろう。
「なんだ、いらないのか」
僕の硬直を拒絶と受け取った薔子さんは、つまらなそうに肩を竦めて、グラスの中身を一気に飲み干した。あ、と思ってももう遅い。艶やかな喉が脈打つのに合わせて、はっさくジュースが彼女の胃の中へと消えていく。
おのれ。何故あそこで躊躇した、自分!
「どうして不満そうな顔をするんだ? ……ああ、分かったぞ。遠慮したけど本当は飲みたかったんだな? ピッチャーにまだまだ残っていたから、汲んでくるといいよ」
「そうじゃないんですけど……その通りっていうか」
「何が言いたいんだ??」
「要するにその……何でもないです」
口にして良いこととダメなことの区別くらいつく。薔子さんの追求を適当に受け流してから、僕は自分のグラスを手に取った。
「はっさくジュース、取ってきますね」
「私のも。お代わり」
「了解しました」
おつかい任務も承りつつ、僕が席を立ち上がりかけた時だ。
「誰か! 誰か来てくれぇ!」
慌てふためく男の声が、唐突に店内に響き渡った。




