記憶
警察が完全に撤収した後。サービスエリアのベンチに腰掛け、僕たちは一息吐いていた。
「なーんか、色々と大変でしたね」
「そうだな」
チーズバーガーに食らい付きながら、薔子さんが答える。ついさっき、屋内のフードコートで購入したものだ。三千院警部から解放された喜びか、彼女の機嫌は目に見えて良い。
「ちょっと前に昼ご飯食べましたよね?」
「頭を使うと腹が減るんだ」
「美味しいですか」
「悪くない。至高の一品というほどではないが、そこそこの味と手軽さが両立されている。ファストフードかくあるべしだ」
よく入るな、と僕なんかは思うけど、本人が満足してるならそれで良いのだろう。ジューシーな香りに鼻をくすぐられながら、僕は薔子さんの横で、今日起きた出来事を振り返ってみた。
首吊り死体の発見に、三千院警部との遭遇。薔子さんの推理と、明らかになった悲しい事実。どうしようもなく後味は悪いけど、せめて西城若菜さんの魂が、安らかに眠ってくれることを願う。
「本当なら、薔子さんの蘊蓄を聞きながらバラを愛でる予定だったんですけどね」
「まったくだ。色々と語りたかったのに、要らぬものを見つけてしまった」
「そんなことないですよ。誰にも見つからないままでいるより、ずっとマシです」
少なくとも女性とそのご家族にとっては、そうであると切に信じたい。
「……なあ、青年。無理をしていないか?」
「えっ」
いきなり訊かれて、僕はビクリと肩を縮めた。
「表情に陰がある。死体を見つけたときからずっとだ」
「だ、大丈夫ですよ」
「本当か? 今はだいぶ落ち着いたようだが、昼食の時など酷かったぞ。本当のことを語るべきだ、と思い詰めた顔で言われてな。さすがの私も断れなかった」
そうか。普通に振る舞っていたつもりだけど、僕、そんなに酷い顔してたのか。知らなかった。
「……すみません」
「謝らなくていい。理由は察しが付く」
俯く僕に、薔子さんは抑揚を殺した声で語りかけた。あの日の出来事を思い出しそうになって、拳に自然と力がこもる。気まずい沈黙が僕たちの間に流れていく。
数秒か、それとも十数秒かそうしていただろうか。
言葉を注意深く選びながらといった様子で、薔子さんが口を開いた。
「……ご家族か」
「……姉です。僕が十五の時、自宅で首を吊りました」
五年前のことだ。僕の七歳上の姉、東雲桜は、ちょうど今日みたいな春の日に、自らの手で命を絶った。
理由は不明。遺書にあったのは、僕や両親に向けた謝罪の言葉のみ。会社に原因があったんじゃないか、とか。プライベートで何か、とか。父も母も僕も色々と探ったけど、結局最後まで分からないままだった。
僕の前では死ぬ素振りなんて見せたことも無かったから、なおさら理由が知りたくて知りたくて……反吐が出るような無力感に、僕の心は絶え間なく磨り減っていった。
姉弟の仲は、悪くなかったと思う。姉さんには可愛がってもらえてたし、僕も姉さんを慕っていた。だから余計に辛かったのだ。自殺する前に、どうして僕に相談してくれなかったのか。高校生に出来る事なんて知れてるけど、それでも力になりたかったのに。
姉さんは真面目な人だった。生きていれば今年で二十七。薔子さんと同じくらいの歳になるだろう。
そんな感じの重たい過去を、話している内に止まらなくなって、いつのまにか全部吐き出していた。
頬を伝う涙を手の甲で拭うと、ぼやけていた視界が多少クリアになった。今更ながら、知り合ったばかりの人にこんな話をしてしまって、とんでもなく申し訳ない。
「あくまで推測に過ぎませんが」
そう前置きをしてから、ベロニカさんが言った。
「大切な相手だからこそ、秘密にしたいこともございます。お姉様にとって、弟の伊吹様は自分が庇護すべき存在。悩み苦しむ己の姿を、見せたくなかったのかもしれません」
「だとしても……! 死ぬくらいなら見せて欲しかったですよ!」
声を荒げてしまって、またしても罪悪感に襲われる。ベロニカさんが小さく頭を下げた。
「伊吹様のお気持ちもごもっともでございます。部外者が出過ぎた真似を」
「そ、そんな。ベロニカさんは悪くなんか――」
悪くなんかない。悪いのは僕の方だ。僕が姉さんの苦しみに気が付いていれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに。
情緒不安定になってるのが自分でも分かる。五年が経った今でさえ、あの日のことはトラウマだ。思い出したくない。だけど忘れられないし、忘れるわけにもいかない。相反する感情がグチャグチャに混ざり合って、にっちもさっちも行かなくなるのだ。
「あの……すいません、ホントに。僕のことは、ほっといてくれれば落ち着くんで」
声にもならない声でたどだどしく呟く。するとその時、薔子さんが唐突に立ち上がった。
「薔子さん……?」
「そこで待っていたまえ」
僕の眉間を指差したあと、足早にどこかへと歩いていく。スラッとした背中が人混みの中に紛れ……しばらくして、また戻ってきた。手に何かを持っている。コーンの上に乗った薄ピンクの物体。漂ってくる濃厚なバラの香り。あれは……。
「バラの、ソフトクリームですか?」
「そうだ。甘くて美味しい。食べろ」
強引に押し付けてきて、僕は「えっ」と当惑した。いきなりどうしたんだ。
「何を遠慮している? 心配せずとも私の奢りだ。君に代金を請求したりはしない」
「そ、そうじゃなくて。昼ご飯さっき食べたばかり」
「だったら別腹に詰め込めばいいだろう。そんなことも分からないのか?」
腕を組み、傲慢な態度で指図してくる。是が非でも僕に食べさせたいようだ。普段なら、僕の分まで横取りしちゃいそうなのに、どういう気の迷いなのか。
「えっと、いいんですか?」
「そう言ってるだろうが」
「でも、なんで突然こんな」
「……バラは湿っぽい場所を好かん。それだけのことだ」
答えたきり黙りこくってしまって、僕は戸惑った。この人は何がしたいのか? ベロニカさんなら意図を汲み取れるだろうか。
「薔子様なりに励ましているのですよ。いささか不器用でございますが、どうかご了承くださいませ」
励ましてくれてる。薔子さんが僕を……。それを聞いた瞬間、手足が鳴るように痺れた。もしかすると違うのかもしれないけど、願わくばそうであって欲しい。
「そうなんですか?」
「別に」
僕が訊けば、薔子さんは肯定とも否定ともとれない素っ気ない返事をする。なんだよこの人……。訝しみながら、僕は薔子さんがくれたソフトクリームにパクつくことにした。ミルクの風味とバラの香りが合わさって、独特な味が口の中を満たす。
「あの……ありがとうございます、薔子さん」
「別に」
「思えば今日なんて、最初から気を遣ってくれてましたよね? 昼ご飯の時も、僕が落ち込んでるの見抜いて、気にするなって励ましてくれたし。さっきだって」
「別に」
「薔子さんにはそんなつもり無かったとしても、僕は嬉しいです。刺々しいように見えて実は優しいところ、本当に素敵だと思います」
「へっ……!? べ、別にッ……」
ぶっきらぼうに吐き捨てたかと思えば、つーんとそっぽを向いてしまう。一体どうしたんだろうか?
「あの、薔子さん? もしもーし」
「…………まったく、君の言動はナデシコが過ぎるな! 真っ正面から、素敵だのなんだのと。私を口説いているのか!?」
「は、はぁっ!? んなわけないじゃないですか! そんな、薔子さんを口説くとか、そんな……っ!」
「今のはそう解釈されても文句言えないと思うぞ! 下心が毛頭無いのであればな、もう少し口を慎みたまえ!」
「っ、薔子さんにだけは言われたくないですね! だいたいナデシコって何ですか! また花言葉ですか!」
「『大胆』という意味だ! 君を表わすに相応しい花だと思うがね!」
典型的な、売り言葉に買い言葉。そこに恥ずかしさも合わさって、互いに引き際を見極めるのが難しくなる。
感情の行き先に困った僕は、ソフトクリームを食べることで己を誤魔化した。それを見た薔子さんが、再びどこかへと歩いていく。
言い過ぎたかな。と後悔した僕だけど、単に自分もソフトクリームが欲しくなっただけだったようだ。両手に花ならぬ両手にソフトクリームを持って、満足げな笑顔で薔子さんが戻ってくる。片方をベロニカさんに渡し、ベンチに座っていそいそと食べ始めた。
「甘いですねこれ」
「そうだろう」
僕も彼女も、もう落ち着いている。正確には、僕だけ落ち着いたフリをしながら、さっきの反応は何だったのかなって、心の中で考える。
照れ隠しであれば良いなって、そんな自惚れた想いまで抱く。
だけど人の心は読めないから、真相は永遠にバラの下だ。
※
後日、裏付けがとれた事の真相を、僕は人づてに聞かされた。
西城さんの交際相手は、自分から警察に出頭してきたらしい。そこで彼が話した内容は、薔子さんの推理と寸分違わないものだった。一度は怖くなって逃げ出したけど、恋人だけをむざむざ死なせてしまった事実に押し潰されそうになって、自首を決めたのだという。西城さんの魂も少しは救われるだろう。
ちなみに情報の出所は、自称「千里眼」こと三千院警部だ。首吊り死体発見から数日後、彼とは期せずして再び出会うことになるんだけど……当時の僕は、そんな未来知る由もないのだった。




