お出かけ前
シャワーを浴びに行った薔子さんに代わり、ベロニカさんが応接間へ僕を案内した。ワイン色の絨毯が敷かれたその部屋は、天井を小ぶりのシャンデリアで飾り、中央の机を取り囲む形で高級そうな椅子が三脚、置かれている。壁際の振り子時計は歴史を感じさせる見た目だ。極めつけは部屋の隅でカバーを被ったピアノ。薔子さんが弾くのだろうか。
「うわぁ……! すっごい……」
「少々、手狭でございますが、しばしこちらの部屋でおくつろぎくださいませ」
「そんなことないですよ! 実家のリビングより広いし、メッチャお洒落……。むしろこんな朝早くからお邪魔して申し訳ないです」
「招いたのはこちらですから、伊吹様はお気になさらずに」
「名前言いましたっけ?」
「事前に薔子様より伺っております」
エプロン姿のベロニカさんに促され、僕は椅子に腰を降ろした。柔らかすぎず固すぎず、絶妙な座り心地に自然と緊張がほぐれる。
「朝ご飯は食べられましたか?」
「はい。パンと目玉焼きだけ、簡単に」
「でしたら飲み物をお持ちしますね。コーヒーと紅茶、どちらにいたしましょうか」
「あ、いえ別にお構いな」
「どちらにいたしましょうか」
「じゃ、じゃあ、理由あってコーヒーは飲めないので、紅茶で」
こちらの遠慮を封殺し、ベロニカさんが足早に台所へと向かった。かと思えば、すぐさまお盆にカップとティーポットを乗せて戻ってくる。洗練された動きで紅茶が注がれていくのを見ると、まるで異国の貴族にでもなったかのようだ。
「わたくしの顔が珍しいですか?」
「え?」
「伊吹様の視線に好奇心が込められているのを感じました」
「すいません、そんなつもりじゃ。ただその、ベロニカさんが、今までに会ったことのないタイプの女性だったので」
「よろしいのですよ。茶髪に翠眼、この国では目立ちますもの」
「というと、ベロニカさんは日本生まれじゃないんですか?」
「イギリスです。ロンドンで孤児だったのを、十歳の時に薔子様に拾われました。それ以来こちらで。……紅茶をどうぞ。冷めない内に」
サラリと語られた過去に呆然としつつ、差し出された紅茶のカップを受け取る。お礼を言って一口飲んだ。家のと違って渋くない。それどころか、
「甘い……?」
「抽出の際、三分ほど待つのがコツでございます。ポットとカップの余熱も忘れずに。お湯が熱ければ熱いほど、茶葉の持つ風味を効果的に出すことが可能です」
「へー……」
そうなんだ。今度試してみよ。
「あれ、でもさっきは、紅茶を持ってくるのに一分もかかってませんでしたよね?」
「はい。インターホンが鳴った時点で準備をしておりました」
「コーヒーもですか?」
「二つ用意して、残った方は自分用にしようかと」
「薔子さんがシャワーを浴びるのも……」
「もちろん、想定済みでございます。トレーニングの後は、いつもああして汗を流されますので」
滲み出る有能さよ。この人が仮に二十歳として、十年近くも一緒に暮らしていれば、互いのルーチンは何となく分かるんだろうけど。
「トレーニングって言いましたけど、薔子さんは何かスポーツをしてるんですか?」
「キックボクシングをエクササイズ程度に。山のフィールドワークには体力が必要とのことで、身体作りには熱心でございますね」
「道理でお姫様抱っことか出来る訳だ……」
「何か?」
「いえ何でも」
ばら祭での一件は、流石に恥ずかしいので口にはすまい。そもそもあれだ。立場が逆。
「ベロニカさんは、薔子さんと二人で暮らしてるんです?」
「はい。薔子様の父君は東京に、母君はロンドンにいらっしゃいますので。わたくしも滅多にお会いしないのです」
「そうなんですね……」
「伊吹様は大学生とお見受けしますが、実家から?」
「学生向けのアパートで一人暮らしです。気楽でいいですよ」
美味しい紅茶をいただきながら、そんな感じでベロニカさんと会話を弾ませていると、着替えを終えた薔子さんがやって来た。ベージュのパンツに赤のノースリーブのニット。上から羽織ったデニムのジャケット。中身はともかく、今日もカッコいい。
その足下で何かが動いたので見てみると、にゃー、という聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
「さっきの猫!」
「おや、『グレートブリテン』の出迎えを受けたのか」
グレートブリテン??
「その子の名前ですか?」
「背中の模様がユニオンジャックに似ているだろう。だからそう名付けた。かつて七つの海を支配した、誉れ高き帝国と同じ名だ」
家といい庭といい英国尽くし。お手伝いさんの名前までイングリッシュだ。そう言えば薔子さん、イギリスに留学してたんだっけ。
僕の顔を一瞥したグレートブリテンは、不遜な態度で机の上に跳び上がると、「そこをどけ」と言わんばかりに僕を見詰めてきた。仕方なく別の椅子に移る。誉れよりプライドが高そうなグレートブリテンは、僕が座っていた椅子を満足気に占領すると、大欠伸をかましてから眠り始めた。
ペットは飼い主に似るという。本当だ。
「君は猫派か?」
「猫派です」
犬も良いけど、やっぱり猫の魅力には負ける。人間を見下したような冷淡さと、たまに見せるデレのギャップが堪らなく可愛いのだ。
「良かったな。グレートブリテンは君を気に入ったようだぞ」
だったら撫でても許されるかな? そう思って手を近付けてみたら、凄まじい形相で睨み付けられた。すみません。若造が出しゃばりました。
「くっくっく……君は距離の詰め方が強引過ぎだ」
薔子さんは可笑しそうに笑った後、首を伸ばしてティーカップの中を覗き込んだ。
「紅茶はもう飲み終えたようだな。そろそろ出掛けるか。ベロニカ、車を回してくれ」
「出掛ける? てっきり庭を紹介されるんだとばかり思ってました」
「それも考えたが、この快晴だ。生け垣の内側に引きこもるよりも、市内を駆けずり回る方が有意義だと思ってね」
指をパチンと鳴らしてみせる。薔子さんと一緒にドライブ……うん、悪くない。賛成。いや、大賛成だ!
「青年はそれで構わないか?」
「どっちにしろ丸一日暇ですし、大丈夫です。で、どこに?」
「福山サービスエリア上りだ」
何ですと?
「サービスエリアって、山陽自動車道の?」
「そうだ」
「わざわざそんなとこに行くんですか?」
改修されたばかりの福山城とか、鞆の浦とか。ちょっと遠くだと、尾道の寺巡りや倉敷の美観地区だって。デート、じゃなくて、観光なら他に良い場所があるのに、どうしてサービスエリアなんだ?
「福山サービスエリア上りには、小ぶりながらも手入れの行き届いたバラ園がある。美しい色彩に浸りながら、敷地内のレモネード専門店で買ったレモネードを呑むのが私のお気に入りなんだ。レモンは自家製のものを使っているそうでね。たかが売店と侮るなかれ、なかなか美味いぞ?」
説明されてもいまいちピンとこない僕。薔子さんはしばらく考える素振りを見せた後、気が変わったようにふと肩を竦めた。
「ま、行けば分かるさ」




