第七話 御前試合にございまする
御前試合の日が来た。
「遅い!」
上ノ方城虎口先の広間では、真兼が弟の登城を今か今かと待ちわびていた。
「もしや臆病風に吹かれて逃げ出したのではあるまいな?」
こたえたのは、彼の妻、椿姫だ。
「さすがにそれはございますまい。しかし、御前試合であられますのに、御館様がご不在とは」
「そうぼやくな。『留守にするが、かまわず行え』というのが、父上からのお達しじゃで」
二日前、国境で小競り合いが起き、これを平定するために領主の上ノ方守自らが兵を率いて出陣したのである。
「ほんに父上の戦好きにも困ったものよのう。ちっぽけな諍いなんぞ、わしに任せてくださればよいものを。おかげでつまらぬ試合の方に出ねばならぬ破目になったわ」
口ではそう言いつつも、真兼の顔はにやけっぱなしである。
年に一度、心行くまで弟を叩きのめし、生き恥をかかせるのが、なによりの楽しみなのだ。
ちなみに、彼も彼の取り巻きの武士たちも、みな上半身をはだけたスタイルである。
他所ならうつけ者呼ばわりされるところだが、ここ上ノ方では、肉体美こそが正義。日々鍛えた己の体を晒すのが、御前試合における作法となっていた。
――さあて、今年もみっともなく弛んだ弟君の体を拝ませてもらおうかのう……
その時、虎口の方でどよめきが上がった。
どうやら、待ち人がきたらしい。
真兼のニヤニヤ笑いがさらに深まる。
隣に侍る椿姫も同様にニヤニヤし始めた。
彼女も彼女で、笑い者の妻となった姉の姿を見るのを、心待ちにしていたのだ。
――しかし、妙だな。囃し立てるにしては妙に歓声が大きいような気もするが……
真兼はふと違和感をおぼえたが、その時、一人の男が視界に現れた。
…………………………んん!? あやつは誰だ?
大胸筋は金剛石。
僧帽筋は富士の山。
腹直筋はノミで刻んだような見事な六分割。
居並ぶ観衆を割りつつこちらに向かってのし歩いてくるのは、仁王像と見紛うばかりの瘦身の美丈夫であった。
「影雪様、ずいぶんご立派になられましたね!」
「うむ、すべて妻のおかげよ」
「これはもう国一番の益荒男と言っていいのでは」
「すべて妻の手柄じゃがな」
「なにか特殊な鍛錬をなさったので?」
「わしは妻の言い付けの通りに特訓しただけじゃ」
今まで影雪を馬鹿にしていた家中たちが、掌を返して誉めそやす。
苛烈な反応は男性陣のみに留まらなかった。
きゃーと黄色い声が、方々で上がる。
女中、未婚の武家子女、果ては奥方連中までが、みな一様に影雪に釘付けになっていた。
なにしろ元々顔立ちはこの世の物ならざる見目麗しさなのである。
鼻血を吹いて卒倒する者、目が完全に恋色になる者、今の亭主と離縁するにはどうすればいいか真剣に考え始める者など、常軌を逸した乱痴気騒ぎが巻き起こっていた。
「こ、これはどうしたことだ……」
わなわなと震えながら、真兼がぼやく。
――あの体の仕上がり具合……まさか自分よりも――
「い、いや、認めぬ。認めぬぞ。あの軟弱者の弟が、わしより美丈夫になるなどありえぬ! あやつは弟の影武者に違いない」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「誰か他人が成りすましているのだ。そうに決まっておる!」
「恐れながら申し上げます。普通、影武者は、本人と見分けがつかぬ者を選んで仕立てるのでは? 本人の身代わりなのですから」
……たしかにそうだ。
「そんなことにも気づかぬとは、相変わらずでございますねえ……」
小声ながらも、しっかり聞こえるように煽られ、こめかみをぴくつかせる真兼。
――しかし、この声どこかで聞いたような……
彼は自分に具申した者に、目を向けた。
舞姫だった。
「そなた!?」
「お久しゅうございます、若君。それから奥方様も」
彼女はにっこり笑みを浮かべ、妹夫婦に挨拶した。
「……姉上、お元気そうで」
椿姫が、押し殺した声で応じる。
平静を装っていたが、笑いものにしようと手ぐすね引いていたところに、自分の旦那より美男子を連れて来られ、内心激しく動揺していた。
「……その後、お変わりはございませぬか?」
「ええ。おかげさまで」
「いや、そなた、だいぶ変わったのではないか!?」
真兼が口を挟む。
彼の言う通り、舞姫の容貌もまた以前と大きく様変わりしていた。
妹のカロリーという呪いから解放され、普通の食生活を送り続けた結果、幼き日に「下ノ方の蝶君」と称されていた容姿をほぼ完全に取り戻していたのである。
パサパサだった黒髪は、さらさらの天使の輪を頂く長髪に。
血色の悪かった顔は、色白でありながらも生気に満ち溢れた表情に。
そして、深い隈に囲まれていた目は、黒曜のように深みのある怜悧な眼差しに。
傾国の美女と称するにふさわしい美貌の持ち主は、泰然とした笑みを元婚約者に向ける。
「そんなことはございませんが?」
真兼は束の間、すべてを忘れ彼女に魅入った。
――俺は嫁を選び間違えたのか…
そんな思いが胸中をよぎり、遅まきながら後悔が沸き起こる。
少し離れた場所では、いまだに彼の弟が多くの者に取り囲まれ、質問攻めにあっていた。
――まてよ、あやつ……先程から嫁のおかげだ嫁のおかげだとそればかりを繰り返しておるな? 舞姫が変わると同時に、弟も変わった……これはなにか関係があるのではないか?
愚鈍な彼にしては珍しくそのことに勘付くと、いよいよ舞姫への未練が激しくなる。
「舞姫、近う寄れ」
そう言って手招きするが、相手がその場を動かないので、自分からすすすっと彼女に歩み寄る。
「わしは慙愧に堪えぬ。そなたのような愛い女を誤解とはいえ手放してしまったことをのう」
「………………」
「どうじゃ、わしの元に戻って来ぬか?」
気色の悪い猫なで声で、いけしゃあしゃあと耳打ちする真兼。
背後では、椿姫が唖然とした顔で夫を眺めている。
「まずは側室ということになってしまうがどうじゃ? なに気の利かぬ女はそのうち追い出してもよいぞ?」
ばきぃ、と大きな音が響いた。
椿姫の手にしている扇子が真っ二つにへし折れた音だ。
舞姫は、臭いものを前にした人間の常で、鼻と口元を袖で覆った。
横から腕が伸びてきたのはその時だ。
「兄上、いかがなさいましたか?」
ぬうっと大きな手が、真兼の顔を掴んだ。
そのまま、舞姫から引き離す。
「拙者の妻がなにか粗相でも?」
「い、いや、ちと気分がすぐれぬでな……奥方殿に介抱してもらっていたところよ」
「……それは一大事にござる。では、拙者が介抱をば」
見え見えの嘘に、影雪は手の位置を兄のこめかみへとずらす。
そのまま親指と小指で挟み込んで、強く力を込めた。
「だ、大事ない。大事ないぞ」
真兼が告げるが、構わずメリメリメリと強烈な顔面羽交い絞めをする。
「だいじな……い、いだだだだだだだだっ!?」
たまらず後ろに逃げ、尻餅をつく真兼。
「お戯れは愚弟にのみなされよ」
影雪は妻をかばうように前へずいと一歩出て、言い放った。
高身長の弟に、頭上から圧をかけられ、普段の威勢はどこへやら、真兼は「ひいっ!?」と情けのない声を上げる。
今までとは真逆のその光景に、居並ぶ家中からも遠慮がちな失笑が上がった。
――くそっ、くそっ、あやつめごときが……
尻餅をついたまま、顔を真っ赤にして、夫妻の後姿を睨む真兼だったが、そんな彼に歩み寄るものがいた。
「殿、しばしお耳を」
椿姫だ。
彼女は目に酷薄な光を宿らせながら、夫にそっと囁いた。
「殿、舞姫を側室になさいませ」
「な、なに!?」
「なにを驚かれることがございましょう? 真兼様ほどの御方でしたら、側室の一人や二人、お召しになって当然です」
「し、しかし弟がだな――」
椿姫は夫の唇にそっと人差し指を当てた。
そして、嫣然と笑む。相変わらず瞳に冷酷な光を湛えて。
「ご安心ください。椿に考えがございます」
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