契約、遠い約束
夢を見た。
それは奈落。
それは光も吸い込む闇。
それが世界のほころび。
「これが溢れれば、無にかえる。だから、何もかもイヤになったら終わらせるといいよ」
彼は淡々と事実だけを伝える。
「案外、世の中、何も起こらないかもね?」
首をかしげ、それが彼の真白い髪を揺らした。
「無駄とは言わない。だって、こんなに世界は平和だろう」
そう、確かに、あの時まではそう信じていた。
裏切ったのは世界ではなく、自分だった。
目を開いたという事実に自分で衝撃を受けた。
フェルベライトは天井を見上げた。見慣れたはずの自分の部屋の天井であるはずだった。しかし、やけに豪華な天蓋付きのベッドであった。
「……んんっ?」
体を起こそうとしてその重さにおかしさを感じる。そして、やけに小さい体に違和感を覚えて思い出した。
サラではなく、これはフェルベライトだ。サラとしての記憶が薄れ、フェルベライトであったときの記憶が全面に出てくる。双樹と話したこともともすると忘れそうだ。
なるほど、だから、サラであったことを思い出すことが少なかったのだ。死んだと言われてもぴんと来るはずもない。
同じであったと信じたいがこれはもう違う生き物だ。記録の海に潜るときだけサラに戻れる。
覚醒してくればサラとしての意識が追いやられる。全く違うものではないから気がつかない。知らずに揮発していく水のように。溶けて混じり合う氷水のように。
「なるほど」
双樹が最後に妙な提案をしてくるわけだ。このままでは、サラであったことすら消えてなくなる。そう言えば、そう言うことがあったねと言い合う相手もいなければなおさら。
双樹が言ったのは魔力摂取量を増やして別の体を用意する。ということだった。分裂に近いと言われて魔物は分裂で増えるのかと気が遠くなったが。確かに兄弟とは分裂していた。スライムみたいな何かがほよほよと。
理論上は可能であるが、やる魔物はほとんどいないらしい。それは弱体化を意味するのだから。
それでもそれを提案されたのは双樹の好意の表れのようだ。
利害の一致でもなく、貸しを返すというニュアンスではあったが。
フェルベライトはため息をついた。それを果たすには途方もない量の魔力が必要であるという事実が重たい。
いっそ、このままと思えるほどに。
彼女は小さく頭をふってその件を頭から追い払う。今は場所の把握だ。フェルベライトは閉じられていた天蓋の布の隙間から外を覗いた。
ベッドルームとして考えれば大きい部屋だ。
薄暗いのは既に夕方だからだろうか。フェルベライトは首をかしげた。どのくらい眠っていたというのだろうか。
誰もいない部屋。おそらく王城の一室だろう。そろそろとベッドから降りると柔らかい絨毯の感触が伝わってきた。
昔泊まった高級ホテルの一室のようだとフェルベライトは思う。そして、整理してきた情報が自然に出てくることに気がつく。
覚えて居るというよりは、索引がようやくついて引き出せる情報が増えたということ。
つまり気を付けないとこの世界では不要な知識をばらまくかも知れないということにもなる。便利だが、やはり少々頭が痛い。
フェルベライトはため息をついて、部屋の外へとつながるであろう扉に手をかけた。王城で、ということならば、誰か廊下にいる可能性はある。
「……ん? あれ?」
扉は押しても引いても反応がなかった。ぴたりと閉じて隙間さえ出来ない。フェルベライトは扉を叩いた。
「誰か、開けてください!」
それに対する反応は返ってこない。扉には鍵穴はなく、外で別の鍵をかけられているようでもない。試しに肩からタックルをしてみるも痛いだけだった。
「……監禁?」
まさかと思いながら、窓へと駆け寄る。ガラス窓は開かない仕様になっている。そして、この部屋が少なくとも一階以上の位置にあることがわかる。
フェルベライトは表情を引きつらせながら、部屋を見回す。暗くなりつつある部屋の中に別の扉を見つけるとそこに駆け寄る。
その扉はあっさり開くも暗くてよく見えない。
「灯り」
少し集中をし、彼女は灯りの魔法を使う。指先にこぶし大の光が現れる。フェルベライトが意図した光量より弱々しいものは明滅を繰り返す。
それでも室内を見るには問題ない。
居間としての部屋のようでソファやテーブルが見える。そして、別の部屋への扉は見あたらない。
彼女はとぼとぼと元の部屋に戻る。監禁と考えるか、外部からの干渉を避けるための措置かどちらにしろ誰かが気がついてくれなければこのままだ。
幸いにして食事が必ず必要な体ではない。どうにも我慢できなければ、窓を破って外に出るかしないが、この子供の体でそんなことをしては目立つことこの上ない。怪我はそれほど負わないだろうが、そのこと自体が異常である。
灯りを窓際に置き、ベッドルームのイスの上に膝を抱えて座る。膝の上にあごを乗せて目を閉じた。部屋の外からの音は聞こえず、窓の外も沈黙を守っている。フェルベライトはそう言えば完全なる一人は久しぶりだと思い至る。
干渉されるわけではないが、気配を感じれるくらいの場所にはアッシュかミンのどちらかがいることが多かった。王城では人がいないところのほうが珍しい。
とても静かだ。この部屋の外には誰もいないように。
まさか、数百年たって誰もいないままに一人残されているのではないだろうかと恐いことを考えてしまうくらいには。
しかし、それもすぐに忘れてしまうくらいに騒々しい音が聞こえてきた。
いや、それは音ではない。
濃厚な魔力の気配。空間を切り裂く音が聞こえる。くらくらするほど甘くスパイシーな香りが場を占めていく。
フェルベライトが頭をあげると黒衣の男が立っていた。
彼女の顔を見ればほっとしたような顔をして、それから嬉しそうに笑う。
「おかえり」
優しく甘い声にフェルベライトは一瞬意識が真っ白になった。寝起きでなく、通常モードでこれを食らったことは今までない。素でやってるとしたらとんでもない破壊力だ。
少し魂が抜けていそうな気さえしながらフェルベライトはなんとか口もとを笑みに変えた。
「ただ今戻りました」




