THE OUTER MISSION
この世の何かを怨めばいいのか。
アッシュは今日という日の巡りの悪さに舌打ちする。城というものは彼にとって居心地の良い場所ではない。ありとあらゆる場所に魔除けと魔法を巡らせ罠を張ってある。廊下ですら一歩ごとに歩く場所を判断しなければならない。
もっとも真面目に歩いていたのはずいぶん前の話だ。今は廊下より微妙に浮き上がることで回避している。それも疲れるのだが致し方ない。
フェルベライトが全く頓着してないのは人とも魔物とも判定されていないせいだろう。その身に宿す魔力は王族と同質であることのせいの気もするが。
いずれ注意を与えなければいけない。
この魔物に敵対的な城の構造を理解すれば全く近寄らなくなるだろう。
「……ああ、面倒だよね」
独り言はアッシュの習性だった。一人の時間が長くなりすぎて言葉を思い出すことに苦労して以来、時々言うようにしている。ミンやフェルベライトが時々びくっと反応しているので今は抑えようとしているが、気を緩めると出てくる。
誰も彼を見ず、彼の声を聞かない。そう魔法をかけることにしているから気がゆるんでいたことは否めない。
それを見破る人間はまずいない。
例外的に数人いるが出会うことは滅多にないはずだ。
「アッシュ」
低く名を呼ばれ、彼はびくりと肩を震わせた。
アッシュはため息をついて今日という日を呪った。今年の領主会議の時期にぶち当たっているとまでは思い出せなかった。
深い青の服が目についたら逃げるべきだ。思い出すべき教訓がアッシュの脳裏をよぎるが全く見ていなかったのだから今更仕方がない。
背の高い男だった。薄い青の髪はあまり見かけるものではない。冷たい印象を受ける顔立ちはやや記憶より年をとったようだ。
青の一族当主セレスト。それが彼の肩書きだった。
幸か不幸か同じ時代に学生をしていた関係で知人以上友人未満のつきあいをしている。
ここにいるアッシュを見逃すような人物ではない。
辺りに人がいることを思えば近くの部屋に入った方が良い。姿を消したままアッシュは部屋の戸を開ける。後ろからついてくる男が戸を閉めるとアッシュは姿を見せた。
「用が終わったら帰るよ。セレストの邪魔はしない」
「そう願いたいものだな。魔法使い殿も今日は来られているのだから、なにかあったのだろう?」
「……会ったんだ?」
「不本意ながら」
セレストは眉を寄せて言う。アッシュはミンの機嫌を思って目を閉じた。皆等しく厄日だ。
セレストとミンはお互い注意深く避けているだけに不本意極まりないだろう。嫌っているわけではないが、穏やかに話す間柄にはなり得なかった。
「アクアを妻に渡すよう預けた」
アッシュは絶句する。アクアとは彼の娘である。それを預けるとは思えず、しかもその妻にあわせようとするなどあり得ない。
「どういう心境の変化?」
辛うじてアッシュは尋ねるが、セレストは心外だと言いたげに片眉をあげた。
「アクアは魔法使い殿がお気に入りだからな」
城の女の子は大体、ミンがお気に入りである。見た目や身分などの理由もあるが、作り物めいた印象とは裏腹な優しさやうっかりなところの落差がいいらしい。
アッシュは無意識に微妙に優しい魔法使いを心の中で責める。特別に優しいわけでも平等に優しいわけでもない。ただ、ものすごく落ち込んでいる人を見れば気にかけるくらいの優しさは持ち合わせている。身分を問わず、性別、年齢を問わず。
城には滅多にこないアクア嬢さえも虜にするミンについて物申せというのか、わずか4歳で女の子なアクア嬢について先行きを考えればいいのか。
たぶん、特別優しくしているのだろう。しかも無意識に。
「しかし、魔法使い殿に娘がいたとは知らなかったが」
「……うん?」
「黒髪の娘がいるだろう?」
連れてきていたではないか。当たり前のように言うセレストを見上げる。策でも揺さぶりでもなく見たままを言っているかのような態度に違和感を覚えた。
「……そうだね、まったく、想定していなかったよ。見通す目だったね」
セレストはこの国の貴族としては圧倒的に魔力量が少なかった。少ないが故に、魔力に騙されない。彼自身に魔法をかけることも彼の目に偽りを見せることもひどく難しい。
だから、フェルベライトを猫と見間違うこともない。
そして、それが誰かと無分別に聞くようなこともない。相手がアッシュだから。かつての学友であり、ミンと近しいことが聞く理由であろう。
同じくらい親しい王には聞かないのは、煙に巻かれるからだろう。あれが正直に語るとも思えない。アッシュはその判断が正しいかはわかりかねた。アッシュとしても正しく答える気はない。
ただ、セレストを敵に回す気も利用する気もないだけだ。
「まだ、隠されているべき娘だったけど今はもう無理だろうね。ミンはなんて?」
「聞いてどうする。うちの娘より年が上のように見えたが」
「……ああ、そっち。存在も知らずにいたのは確かだよ。だから、あのころは問題ないはず。しかし、今は自分のモノなのにずいぶん心配性だね」
「当たり前だ」
そう言うくらいには素直になったものだ。アッシュは笑った。素直ではない彼をどうしてもあきらめ切れずに頑張った彼女はほめられてもよいと思う。
その傍らで傷を負ったものも多かったが。
「しあわせそうで良いことだね」
「……嫁が必要か?」
「いらんわ」
それにはアッシュは即答する。彼のささやかな、しかし、確実に成果を上げる趣味が仲人というのが笑える。
元々は自分に来る縁談を断るついでに別の人間を紹介していたことらしい。当時は合理的に追っ払うものだと思っていたが。
アッシュは全く結婚するつもりはない。出来る気もしない。そもそも同じように生きることが不可能だ。
魔物同士も結婚という概念がない。しかも、近くの強い個体は性質が男性だ。例外があればフェルベライトであろうが、一部をおいしくいただいてしまった以上、自分と近すぎて縁があるとは思えなかった。
「とりあえず、陛下にお会いしておきたいんだよね」
「ついてこい」
「姿を消しておくから見えても話しかけないように」
彼は面白くなさそうな顔で肯いた。




