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乾燥した空気に指先がかさつく。ミンはため息をついた。旧城の一角に書庫は設けられていた。城の書庫より古く重要な書物が収められている。彼の調べ物にはこちらの方が都合が良かった。
書庫は閲覧席と書棚がガラスの引き戸で隔てられている。書棚側は湿度も灯りも制限され内容を確認しながらの本探しには向いていない。
「ん?」
不意に彼は顔を上げた。
空気の波がふわりと体にあたる。
まるで金属を水面に落としたように盛大に波としぶきが散ったような気がした。波は大きくうねって広がってゆく。
ミンは手にしてた本を元の場所に戻す。書庫の中で風が動くことは滅多にない。天井近くに設置された窓が開けられることは日に一度、壁は石壁で、すきま風が吹くこともないはずだ。ガラス戸のほうは魔法で空気を遮断している。
空気の動きではなく漂う魔力が大きく動いた。魔力の関知力の高い者なら誰でも気がつきそうなほど。
それに該当する人物がこの王都に他にいるとは思えない。
少し目を離した隙になにをしたんでしょう。
そう心の中で呟く。苦笑にたものを浮かべて彼は書庫を出た。魔力の制御を誤るのは子供であれば当たり前のことであったが、フェルベライトの魔力の量は桁外れで結果甚大な被害をもたらす。そのため、外で使うことは許されていなかった。
魔力の流れを感じるところをみると約束を破ったようだ。
遠くから微かに音が聞こえ始め、段々と音を大きくしていく。その音量にミンは顔をしかめた。しかし、廊下を行き交う人々には聞こえていないようで慌てた様子もない。
それもそのはずだ。彼の耳に聞こえる音は特定の人しか聞こえないようになっている。森の結界の存在すら公表されていない。関わるものなど数えるほどだ。
廊下を足早に通り抜けている間に警報の種類が変わり止まった。魔力の揺らぎは既に大きすぎるほどになっている。
何かまずいことになっているのは確実のようだ。
ミンは眉を寄せる。常に落ち着きを払っている魔法使いの珍しい姿に視線を向ける人にも気がつかない。ただ旧城の出入り口へ向かう。
「おや、魔法使い殿。どうなさったのですか?」
旧城の入り口で誰かが彼に声をかける。いぶかしげに視線を向ければ顔見知りだった。入ったときには見かけなかったのだから人員の入れ替えがあったのだろう。
明るい金髪の男は生真面目な顔で返答を待っていた。
「少々問題が発生しました。こちらで処理出来る範囲なのでカイレンの手を煩わせることはありません」
「我が君にも?」
「そう思いたいですね。詳細は不明ですから」
「城へ向かわれるのですか?」
いつもなら行く先まで聞かれることもないカイレンの言葉にミンは嫌な予感がした。
彼は手帖を取り出す。間違いないと呟くと苦笑する。
「お忘れと思いますが、今日は定例の日ですのでお気をつけください」
ミンの表情が固まり城へと視線を向ける。保護の観点から重要人物には印を付けている。これが見えるのはミンや王ぐらいで、血縁に近いものならばちらっと色が見えるかもしれない程度だ。
城のあちこちが色づいている。何カ所か色が混じっているように見えるので集まりつつあるのだろう。
うんざりした顔でカイレンを振り返る。
「確かにお集まりですね。巣に帰りましょうか」
「問題はほっといていいんですか?」
「よくはありません。帰りたいです」
並列に欲求が並ぶ。ミンは定例を避けている。要は家族会議の日なのだが、人が多いのは苦手としている彼にとっては良い日ではない。立場を利用して回避しているのだから、今日行こうものならば拉致され、嫌味を言われるに決まっている。
カイレンもそれは承知している。だからこそ警告をしたのだ。
「そもそも足で移動なんて珍しいですね」
「魔力の乱れが補正できる域を超えました。これで転移などしたら、どこにつくかわかりません」
「ああ、なんか、あっちからイヤな雰囲気がするのはそのせいですか」
「それは別件ですが……」
そちらを優先しようかとミンは一瞬考える。城には厄介ごとしかない。無理をして行く必要もない。
だが、新たな魔力の波が城からやってくるのを見過ごせない。このさざ波のようなものはアッシュのものに他ならず、今日はずっと森にいると宣言していたはずだ。予定を変えるはずもなく何か起きたのだろう。
しかし、気持ちの上では。
「行きたくないですね」
「……時々ものすごくものぐさなんですよね」
「あなたなら行きたいですか?」
「お断りですね。夏日にぶっ倒れるような任務の方がマシです」
「仕方がありません」
暫定、娘のために放置するわけにもいかない。ミンはため息をついて城にいくことを決めた。
「ご武運を」
ややふざけたように敬礼をするカイレンに少し腹が立って、ミンは口元だけ笑みの形をつくる。
「そうそう。そのうち娘を紹介しますね」
「ああ、でもばーちゃるりありてぃーでは慣れてるから大丈夫!」
ヴァーチャルリアリティー、略してVRとか言われてしまう何か。尚、現在は二次元専用で現実化されていない技術だ。おもいっきり日本語の発音なのはさておこう。
彼はため息をついた。電波少女が空から降ってくるってなんてテンプレ。
騒動の種でしかない。
目の前の少女はニコニコ笑っている。それはもう、わくわくしていると言っても過言ではない。これから起こるかもしれないコトを楽しみにしている。
「ええと、この世界の文明レベルは低いのだけど理解してくれる?」
「はい。劣ってるけど、まあ、楽しいし」
なんだか、文化をけなされたようで少し心がささくれる。彼は引きつりそうな顔をなんとか笑顔に持って行き続きを口にしようとした。
「あ、ちょっと待って。ご主人から連絡が」
彼女は慌てたようにワンピースのポケットに手を入れるとごそごそといじり始めた。携帯電話持参かと彼は自分のコーヒーを口に含む。甘いキャラメルラテが脳みそに染み渡る。
「異界間通話装置」
ぽぽん。妙な音がしたと思えばごつい受話器を持っている。古式ゆかしき黒電話の受話器だけごつくなったようなブツだ。尚、有線で先はポケットにつながっている。
明らかにポケットのサイズと出てきたものの大きさがあってない。
「ご主人、ご主人、どうすれば戻れる、え、戻らなくてもいい? 迎えに行くから百年待てってひどくないですか。ご主人っ!」
続いて彼女は電話先と言い合っていたが、彼はそれらすべてを聞かないことにした。
曲がりなりにも文化圏で、未開の土地にいるかのように言われるとさすがに心が折れそうだった。




