嵐の予感
魔物は知らなかった。
家族というモノを。
魔法使いは思い出した。
過去の自分を。
王はため息をついた。
遠からず去る世界の行く末を。
彼女は、新しい生活を始めた。
フェルベライトは途方にくれていた。
辺りを吹く風は口笛のように音を立てている。偶然ではなく意図的な音に聞こえる。
見渡す限りの平原の数歩手前は確かに森の中であった。切れ目があったわけでもないのにいきなり景色が変貌した。
原初の森と称される一帯は禁域である。彼女が最初に知らされた情報はそれだった。結界に阻まれ、通常出入りが制限される。所定の手続きを済ませない場合には警報が鳴り響く。そのため、領域の端には近づかないことを注意された。
されたのだ。ご丁寧にも目印まで新設してもらって。近づくと警戒音を立てる腕輪ももらっていた。
領域の端の目印を見落とした結果に違いない。
「……怒られる。怒られる」
たまたま腕輪も忘れるなど失態もいいところだ。
包囲網を狭めるように音が近づいてくる。ひやりとした風が頬をなで周囲の草を揺らしていた。警報だけでは済まない予感に彼女は顔を引きつらせた。
風に清涼感のある匂いが混じり始めることに気がつき彼女は、まずい、と呟いた。彼女には魔力に匂いがあるように感じていた。
今、この場には特定の属性の魔力が満ちている。その結果魔法は発動し、世界に現象を起こす。
ミントに似た匂いは風の属性魔法の前兆だ。
フェルベライトは目を閉じ、迫り来る風に対処する方法を形にする。内側からすくい上げるように魔力の塊をぎゅっと固めて外に出すようにイメージする。
辺りにほのかに生姜に似た少し甘い匂いが漂いだす。
第一段階は問題なく処理出来た。フェルベライトは目を閉じたまま結果を想像する。
「石の盾!」
彼女の周りを取り囲むように地面がせり上がってきた。無事、風の魔法が何かするまえに発動した。ほっと息をつく。
これで当面の安全は確保されたのだろう。暴風にも似た音が壁の外から聞こえてくるが聞こえないふりをした。それもすぐに聞こえなくなり、しんと静まりかえる。
ほっと息をついたのも束の間、甲高い音が一度響く。
警戒レベルが上がった、かも? 周りの壁を一度壊して状況を確認すべきだろうか。フェルベライトが躊躇している間にぴしっと壁に亀裂が入り崩壊していく。それも内側に。
残っていた魔力を慌てて練りあげる。
「ええと、空気の壁」
壊れた壁の土砂が空中で止まりちりぢりに消えていった。魔力で作ったものであるから空中に還ったのだろう。うっすらと漂っていたミントの匂いも空気に溶け込む。
平原は平原のまま代わりはないが、壁があったところだけ草が無残に刈り取られていた。かまいたちのたぐいだろうか。切れた草の断面を見ようと屈んだのは誤りであった。
再び甲高い音と平原を揺らす風の流れが見えた。
「鉄の壁!」
慌てて魔力を練るが間に合う気が全くしない。
ぎゅっと目をつぶって痛くありませんようにと祈るのみだ。
ふわりとシナモンに似た匂いが漂う。そして、視界が真っ暗になった。
「きっと、一回はやると思ったんだよね。僕は」
ああ、しかし、痛いな。これは。続いた声は彼女には聞き覚えのあるものだった。暫定同居人たるアッシュの声に他ならない。
恐る恐る見上げようとすれば布地しか見えない。
「ごめんなさい」
謝罪の言葉の返事は返ってこなかった。こんな状態でも小言がやってくると思ったのにもかかわらずだ。代わりにうーうーと唸っているような声が聞こえる。
「……痛いの我慢してます?」
「聞くな。バカ娘。移動する」
「大丈夫ですか?」
「平気だよ」
むっとした声が返ってきてフェルベライトは眉を寄せた。息をするほど簡単に魔法を使う魔物が、身を挺してかばったようだ。
「では、ありがとうございます」
「貸しは高くつくよ」
アッシュは彼女を離し、代わりに手をつなぐ。見上げれば顔をしかめ、背中を気にしている。わずかに血のにおいがした気がした。しかし、それはすぐ別の匂いにかき消された。
空間を移動するときは複雑な匂いがする。スパイスの効いたハーブティのようでやや癖が強い。しかし、この匂いがわかるのは今のところフェルベライト、ただ一人のようだった。
魔物歴300年を越えるアッシュですら謎現象と断言した。過去には色彩として見た事例もあったらしい。
「やばっ」
空間に放り出される気配と共に聞こえた声はいささか不安になるものだった。体は地面につかず頼りない上空感を覚える。
一瞬後に地面とご対面する。受け身を取れる気もしなかったが、思ったよりも痛くはなかった。起き上がって辺りを見れば、見たことのない場所だった。
正確には見たことのない部屋のど真ん中で、部屋は空き部屋ではなかった。
「その子、誰ですの?」
「だれだれ?」
「ねえさま?」
「アガット?」
四人兄妹なのであろう。三人はこちらを興味津々に見ているが、年長の一人が扉の前へ視線を向ける。
つられて彼女が視線を扉の前に向ければ見たことのある赤毛の男が唖然とした顔で立っている。
フェルベライトはとりあえず、笑ってみることにした。ごまかしきれるとは思えないが、名乗って良いのかすらわからない。
ただ、面倒ごとに首を突っ込んだことを感じながら。
落とし物は警察に届けましょう。
彼の脳裏には現実逃避ぎみにそんな言葉がぐるぐるしていた。
そもそも、コレはモノではない。人である。人間やめてるんじゃないかと思うような青い髪は肩で切りそろえられているし、目の色は黒だがネコのように瞳孔が動いたりする。首に鈴のチョーカーをつけ、空色のワンピース、の下は黒のスパッツだった。いささか残念な気持ちになった。
推定彼女の証言はこうだった。
「いきなり地面が陥没して落下したの。よくわからないけど、こういうのゲームにあった! VR小説にもあった! 現実にありえるのね」
すごいなぁととぼけた調子で言い、倒す魔王とかいないの? ときらきらした目で見てきた。
ないと返答すればしょぼんと肩を落とした。あまりにも可愛そうなくらいの落ち込みっぷりにそこら辺のカフェに誘ったのがいけなかった。
すっかり世の中に定着した感のあるシアトル系のチェーン店である。財布もあるかも怪しいと思い何を飲むか聞いて注文したまではよかった。
彼の度肝を抜いたのは。
「レトロ趣味なのね。対面販売ってだいぶ廃れたと思ってたわ」
ココアを可愛らしく飲みながらのたまった。




