293.始動(3)
将棋連盟会長の任期は2年。海外の大統領のように再任の制限はない。だから短い場合は1期で辞めるし、かつて伝説の大名人は、玉将のタイトルを持ちながら会長に就任し、その後会長職を12年以上務めた。
現在の会長は梅原宗助九段。静香は奨励会時代からお世話になっており、現在は4期目。近年では結構長く会長を務めてらっしゃる。お疲れ様です。
その梅原会長と穏やかに話をしているのは千夜担のご意見番こと魚住さん。ふたりともにこやかな表情で会話が交わされている。
「私の一番の仕事は将棋をいろんな人に知ってもらい、指してもらうことなんですよ」
梅原会長は分類すれば豪快系の人物なのだけど、今日は猫をかぶっているようだ。
「はい、わかります。組織の維持だけでなく文化を振興するのは大変ですよね」
静香視点だと会長は将棋サークルという身内の代表者だし、魚住さんは千夜担の立ち上げ時から頼りにしているこれまた身内なのだけど、このふたりが会うのは初めてかもしれない。
「だから将棋の普及のためならば全面的に協力させて頂きます」
「将棋の普及のため」これは静香にとっても譲れないものであることは、このプロジェクトの根幹。だから会長の発言は満額回答というべきで、表情も穏やか。でもそれだけじゃない往年の勝負師が発する存在感、静香はそれをひしひしと感じる。
「それは大変ありがたいことです」
魚住さんも出されたお茶を少し口に含みながら嬉々として答える。でもこの人もいろんな修羅場をくぐって来た人だということを今の千夜は知っている
いいの? 私ここにいていいの?
一番の当事者である千夜がなんだか場違いな気がするのは多分気のせい。御厨先生みたいに若いのに貫禄がある人もいるけど、どうやったらああなれるのかな。名人を取ったら成れる?
「では舞鶴さんのスケジュールはもちろんですが、他の棋士、女流棋士の方々の予定も個別で調整させて頂きます」
棋士、女流棋士はみな個人事業主。対局以外の仕事は連盟そのもの、あるいは連盟経由で来るものが多いけれど、イベントや執筆など、当人に直接依頼があることもある。
個人事業主なのだから、勝手に仕事を受けて良いだろう。そう思うかもしれないけれど実はそうではない。事前にちゃんと連盟の許可が必要。千夜の活動についても静香が連盟から許可を得ている。
そして今回の話合いで、このプロジェクトに関しては他の棋士も大丈夫との承認、お墨付きが出たということになる。もちろんその前に将棋連盟の建物の撮影許可も得ている。
今回の作品、当然役者が演じるパートが多いのだけれど、本物の棋士が指しているシーンも欲しい。そうルフェーブル監督がそう主張しその意見が通った。なお今回は複数監督制、複数演出制、複数脚本製で、ストーリー全体に関わることは合議するが最終的に一人のプロデューサーがまとめる形式になっている。
だが会議は結構な頻度で紛糾していると聞く。一流のクリエイターたちはこだわりも強いからだ。だが実際の対局動画を権利者から(有償で)借りて、足りない構図だけ再現撮影で補えば良いのではないかと千夜は思ったけれど、その点について妥協する監督はひとりもいなかったと聞いた。
それだけ本気で取り組んでもらえるのはとてもとても嬉しいことだ。
『ホンモノの棋戦の名前を(有償で)借りて、ホンモノの棋士が実名を出して出演するのが良いだろう』
それがリアルだとオンライン会議でルフェーブル監督が言う。
『プロに本気で対局させるためにはやはり賞金が必要よね。どれくらいのお金があれば良いの?』
ブラスキ監督も基本的には同じ考えのようだ。
実際の棋戦と違うのは公式戦としての名誉がないこと、対局中のカメラの数がとても多いこと、スタジオの中で撮影すること、スタッフが終始ウロチョロすること……そんな中で指すのは結構気が散りそう。
『私は男性より女性のキモノの方が良いと思うの。見た目が華やかじゃないと』
これはマクラウス監督。女性の和服の方がビジュアル的に華やかなのは静香もそう思う。でも普通の棋戦と女流棋戦は違うのだけど、この人たちも勉強してくれているはずだよね?
いやそれよりも、千夜は事前に確かめておきたいことがあった。
『まさか演技力を求めてないですよね?』
対局メインとは言え、ドラマチックに仕立て上げるのであれば、そこに到るまでの人間模様を描写する必要があるのでは?
『そしてノンフィクションじゃないんですから、棋士も役名で良いのではないでしょうか?』
千夜がおそるおそる訊ねてみたところ、それは追い追い検討すると先送りにされてしまった。
これまで千夜と一緒に仕事をしてきた監督たちはアドリブ重視の人が多く、細かな脚本が変わることも日常茶飯事。今回はこんな大所帯なのにそんな低予算映画のような作り方で上手くいくのか?
棋士は仮装したりすることも多いけど、海外の人も見るドラマに耐えうる演技力を持つかは大いに疑問だとだけ述べておいた。もしかしたら意外な人が意外な才能を発揮するかもしれないし、次に監督に聞いた時には驚いたように「なんのこと?」と聞き返されることもあり得る。
この方々ある意味自分の創作欲望に忠実な人たち。やはり将棋については日本人の監督がいて欲しい。渕上監督が早く今の撮影を終えて、この場に入ってくれないかな。
今月の週末の予定がかなり埋まってしまったので、今回が年内最後の更新となります。
大変申し訳ありませんが、年明けに再開予定です。
かなり早いですが、皆様よいお年を。来年もよろしくお願いします。




