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光が一か所だけ、ぽっかりと当たっている場所。
そこにはぬいぐるみを抱いた子供の姿のエリーゼがいた。
え?と思ってもなぜか喉の奥に張り付いて声が出ない。
「おとーさまは今日もかえってこないの?」
子供の姿の私を若いメリーがなだめ、部屋に連れて行って寝かしつけている。
うろ覚えだが、過去の記憶を見ているみたいだ。仕事漬けで帰ってこない父を健気に待つ自分。こんな時期があったのか。だって、物心ついたころには父が家にいないのが普通だった。帰りを待つことなんて諦めていた。
続けて幼いころの記憶がどんどん流れていく。
領地にこもった母の姿は当然だが一度も出てこない。記憶にないからだ。
出てくる頻度が多いのは圧倒的にメリーと兄クリストファー。父は出てきても少しばかり言葉をかわして部屋に戻っていく後ろ姿が、目立つ。
私って本当に家族のイメージがないんだわ。幸せな家族のイメージが。
両親の会話さえ見たことがない。一緒にいるところも見たことがない。
私の自信のなさの根幹はここかもしれない。
傷つきすぎた結婚観、そして親からの愛のまなざしを知らないこと。愛された実感がないこと。
こんな私が幸せな結婚ができるわけがない。だって愛が分からないんだから。
目の前の記憶の中では、とうとう父はほとんど出てこなくなった。
そういえば婚約解消の後はしばらく家にも早く帰ってきていたが、最近の父はまた元のように仕事漬けになっている。癖というのはすぐ復活してしまうらしい。
「自分自身への愛のために」とナディアは言った。でも、私の中に愛が一滴もなかったらどうしたらいいんだろう。どうやって器に愛をためたらいんだろう。
自分の中に確固たる愛がないから私はアシェルの婚約者として頑張れなかった。周囲にいろいろ言われて、王妃様にも態度などで示されて、私の中に芽生えた小さな感情は簡単に萎れてしまった。外側に左右されすぎて。
それでも、最後に少しは強くなれただろうか。メイメイを私は守ることができただろうか。
私は自分の命を捨てることでしか強さと愛を示せなかった。恐らく、私の感情は愛じゃない。だって、もう死にたいと一瞬でも思っていたのだから。
愛を知らないはずなのに、愛じゃないことはなぜか分かる、この矛盾。
流れている記憶の時はすすんで、仮面舞踏会の池の様子が映っている。
アシェルがオタマジャクシを捕まえて、私が持っている袋に入れる。正確には持たされた袋なのだが。懐かしい記憶だ。
腕を引かれて流れるように引き寄せられる。記憶の中のアシェルは仮面をさっと外した。
そういえば、彼とはこの時にまともに話したのだった。
目の前で流れている記憶に手を伸ばして触れようとしたが、実体がなくて触れられない。
ここは真っ暗だ。きっと私は死にかけている。もう彼に会えないかもしれない。
そう考えたら、刺されたであろう右肩が酷く痛んだ。呼吸も急にしづらくなる。
伸ばした手を慌てて引っ込めた。その拍子に涙がこぼれ落ちる。
おかしい、涙が止まらない。
どうして私は涙を流しているんだろう。分からない。
第二王子の婚約者の立場に疲れていて、逃げたかったはずなのに。願いがかなったのに。
足元をするりと冷たいものが撫でた。驚いて後退ると、白く太いヘビがずるずる地面を這っている。
オタマジャクシの次はヘビの記憶なのか。こんなに大きなヘビはどこにいただろうか。
眺めていると、ヘビはずるずると真っ暗闇の奥に進んでいく。途中でぴたりと動きを止め、首をもたげてエリーゼの方を振り返った。白い姿が記憶の光に照らされて暗闇に浮かび上がっており、不気味でありながら美しいとも感じてしまう。
あぁ、そうか。
これが愛じゃなくても、やっぱり私は彼に会いたい。これが執着でも独占欲でも同情でも打算でも、なんでもいい。婚約者でも、そうでなくても。あの立場にいなくても。
たとえこの愛が偽りだとしても、今この瞬間だけはもう一度アシェルに会いたい。このまま私が逃げたら、彼が傷ついてしまうから。そして、なによりも私が彼に会いたいと、会えなくなるのが嫌だと感じてしまったから。




