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「殿下、いい加減に休んでください。酷い顔ですよ! もう一つソファを運び込むって言ってるのになんで拒否するんですか!」
「嫌だ」
「一週間。もう一週間です! 仕事も、その顔色もなんとかしてください! 目覚めたエリーゼ嬢を驚かすつもりですか! どれだけ心配かければ気が済むんですか!」
「まぁ、ゼイン様ってば優しい」
「そ、そうなのかしら?」
「離れた隙にエリーゼが死んだらどうするんだ」
「医者が峠は越したと言っているんですから大丈夫です! あとは意識が戻るのを待つばかり。しかし、何でカエルやらトカゲやらヘビやらの話ばっかりベッドサイドでしててエリーゼ嬢が起きると思うんですか!」
「いつもしてるから」
「こーゆー時はキスしたりするもんじゃないんですか! って真剣な顔して私の前でしようとしないでくださいよ! ほんとに何考えてるんですか!」
「まぁ。いつも冷静なのにあんなに荒ぶるなんてゼイン様は大変お疲れだわ」
「あぁ、ブロワ公爵家の方ね。確かに……」
優雅に紅茶を飲みながらお菓子を摘まむクロエの隣で、エリーゼの母であるハウスブルク伯爵夫人は困惑していた。
側近が第二王子の首を絞めかけており、二人ともちゃんと寝ているのか怪しい顔色だ。領地から先ほど城に到着して部屋に入った時からそんな状態なので、眠るエリーゼの姿を確認してからクロエに促されるままにソファに腰を下ろしている。
「私たちは三人交代でいるんですが、アシェル殿下はあの通りエリーにつきっきり。ブルックリン・レヴァンスは教会へお祈りに行ってます。ブルックリンは信心深いとは決して言えない子ですが『ナディアは信心深いから神に祈るでしょう。だからナディアの代わりに私が祈るわ。でも、私は神を信じてない。私は姿も形も見えない存在が疑わしい神よりも、これまで一緒に時間を過ごしてきた友人たちを信じてる。だから教会に行って自分を信じるために祈るんだ』って。アルウェン王国に嫁いだナディアは調子が悪いと聞き及んでいますからね。なんだかカッコいいです」
「そう……娘のためにありがたいわね」
「フライア・ウェセクスは婚約者が王太子殿下の側近なので、彼のところに脅し……じゃなくて発破をかけに行っています。本日はやっと主犯の王女殿下の取り調べがありますしね」
「脅し?」
「うふふ。脅しなんて気のせいですわ、ハウスブルク伯爵夫人」
「そ、そう? それで、私の夫は娘がこんななのに相変わらず仕事に逃げているわけね」
「ハウスブルク伯爵はいつも夜中にいらっしゃいます。正直、アシェル殿下がいらっしゃるのでいづらいのかもしれませんが、毎晩エリーの様子を見にいらっしゃいますよ」
「そう、なのね……」
「ハウスブルク伯爵夫人も到着したばかりでお疲れでしょう。エリーは峠は越えて、あとは目覚めるのを待つばかりです。医者の見立てではもう目覚めてもいいころなのにおかしいと言っていますが……とりあえずあのお二人が争いをやめてからエリーに話しかけに行きましょう?」
「それがいいわね」
「到着したばかりですから、まずは落ち着いてくださいな」
到着したばかりのハウスブルク伯爵夫人はクロエのペースにすっかり乗せられて、紅茶を飲んだ。ゼインもアシェルもハウスブルク伯爵夫人も正直疲れていて思考が鈍っているせいもある。
「ゼイン、このままエリーゼが目覚めなかったらって考えないのか?」
アシェルの言葉にゼインはさすがに動きを止める。
「それはないですわ、殿下。エリーは必ず目を覚まします。王太子の婚約者を命懸けで守ったエリーへの褒美は何か考えておいた方がいいです」
離れたところに座るクロエがなぜか自信満々に口にする。
「どうしてクロエ夫人はそう思えるんだ?」
「だって私、エリーの作ってくれるお菓子まだあんまり食べていないんですよ? レモンパイとオレンジピールの入ったクッキーくらいしか! フライアとナディアはエリーの領地でいっぱい食べていてずるいんです。殿下だってそうです。すっごくずるいです」
「え? 菓子が理由?」と言いたいが言えない空気が部屋に流れる。
「エリーゼが倒れてからずっと考えてる。目を離している間にエリーゼが死んだらどうしようって。そう考えたら眠れないし何も手につかないんだ」
弱弱しいアシェルにクロエは微笑を浮かべた。
「エリーゼが目を覚まさないのは、もしかしたら目を覚ましたくないんじゃないかって。彼女は死にたいのかもしれない。平気で自分を投げ出した人だから。僕はエリーゼの弱さは全く構わないんだ、全部受け入れたつもりだった。別にエリーゼが何もできない人で良かったんだ。公務とか社交とか何にもできなくて良かった。ただ、いてくれるだけで良かった。だから、彼女のこんな強さは望んでなかったよ」
「失う恐怖。それは誰でも持っているものです。私にもあります。でも、殿下。エリーにそれを感じているということはちゃんとエリーを愛しているってことですわ。ちゃんとエリーに伝えてください」
ハウスブルク伯爵夫人はすっと目を伏せた。夫が死んだとイメージしてみる。動揺はするが、目の前のアシェルほどショックは受けないだろうなと夫人は心の中だけで結論付けた。
もともと政略結婚だ。愛も恋もない。情さえも微かに燃えてもいない。
でも、子供たちだけは。どうか、私たちのようにならずに幸せに生きてほしい。
***
暗い空間をエリーゼはただひたすら歩いていた。立ち止まると静かすぎて耳が痛くなり、不気味だ。疲れて立ち止まっても、不安に襲われるのでひたすら歩き続けていた。
「ここってどこ?」
声を出してみても大して響かない。洞窟ではないらしい。
しばらく進むとぼんやり明るい場所が見えた。エリーゼはそちらに向かって歩を進めた。




