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「殿下。いい加減休んでください。エリーゼ嬢が目を覚ましたらすぐに起こしますから」
ゼインが夜会用の上着を無理矢理脱がせながらアシェルに話しかけるが、首を振られてしまう。
「さっきからそう言ってるんだけど、ずっとあの調子なの」
後ろから声をかけてきたのは、ドレスから楽な格好に着替えたクロエだ。ルルの真似をしているような間延びした口調が今はない。
「クロエ様ももう休んでいただいても大丈夫ですよ。他のお二方はもうお休みでしょう」
「二人とも怖くて震えていたから先に客間で寝てもらったの。あの様子じゃ寝てないと思うけど。エリーが死ぬわけないのにね」
確信を持ったクロエの言葉にゼインは一瞬だけ目を見開く。
「しかし、医者は油断できないと……毒も体内に……エリーゼ嬢は毒に慣らすようなことはしていないですから」
「嫌ねぇ、ゼイン様までそんな弱気じゃ」
クロエがあまりに普段通りなので、ゼインは感心するよりも不気味さを感じた。
「フライアもブルックリンも、エリーが目を覚まさなかったらどうしよう、死んじゃったらどうしようって心の声が聞こえてきそうなの。でもね、私はエリーがこれで死ぬわけないって勝手に信じているから」
食べすぎちゃったからもうちょっと起きて消化しないとね、とクロエはにこやかに腹に手を当てる。
「人はね、死に際は自分で決めるって私は思ってるの。私たちは学園のあの騒動で、正直しなくてもいい苦労をたくさんした。苦労の前借りってことかしら。だからね、私たちはこれから必ず幸せな人生が待ってるってわけ。エリーは今日でさらに苦労の前借りをしてるけど」
クロエはゼインが持ったままだったアシェルの上着を受け取ってイスの背にかけた。
「エリーがあの場で死にたいって思ってたなら仕方がないけど……でも、私は私を信じているから」
「……ありがとうございます」
「私たちは数時間おきに交代してエリーを見てるから、ゼイン様も休んでね」
「はい」
「ところで、犯人はもう大体分かってるんだよね?」
クロエの笑みが深く、いや黒くなる。ゼインはアシェルを振り返ってからクロエにまた向き直った。
「ここまで付き合っていただいた以上、明朝には分かっていることをお伝えしようと思っていました」
「ルルティナ王女殿下が絡んでる、いや主体なのは分かってるんだけど。でも、あの人のことだから誰か使うでしょ? 夜会の時は楽しそうにしていただけのようだし。下級貴族のご令嬢とお茶をしてたからそのあたりで誰か使ったと予想してるわ」
「そこは慎重にいかないといけません。なにせ他国の王女ですから」
ゼインの含んだ言い方にクロエはすぐに納得する。
「分かったわ。エリーを刺したメイドはもう捕まってるわよね?」
「はい。彼女を雇ったのはイーデン家です」
「イーデン……男爵家ね」
「はい。ザカリー・キャンベルの新しい婚約者の家です」
クロエはここで初めて表情を変えた。
「自白によると、ルルティナ王女から刃物を化粧室で渡されたそうですよ」
「王族なら会場に入る前にボディーチェックはないものね。入ってからはもちろん再チェックはない」
「えぇ、そして王妃殿下はどうもこの一連の流れをご存じだったようです」
クロエは表情を変えない。いや、どう反応していいか分からずに抑制しているようだ。
「ザカリー・キャンベルから協力を要請されたイライジャ・ストーンの密告によって」
「……嫌ね。あの学園の騒動ってまだ終わってなかったんだ」
「ここまでの話はまだ内密に。先ほど王太子殿下からあなた方に話す許可はいただいていますが」
「その二つの名前を口にするのも嫌だから大丈夫」
クロエが交代しに行くタイミングで、ゼインはまたアシェルに声をかけた。
「いつまでそうしてるんですか。休めるときに休まないと。犯人への処罰も明日から検討され始めるでしょう。しっかり重い罰を主張しませんと」
「ロレンスが言っていたことがやっとわかった」
「はい?」
ゼインは噛み合わない会話に慣れているはずなのに、初めてアシェルに対してイライラした。疲れているのと余裕がないからだからだろう。
「ロレンスは前の婚約者を亡くしてるから。祖父母を亡くした時、僕はそれほど悲しくなかった」
「そうなんですね」
「だからロレンスが死にたいって言ってるのがよく分からなかった」
ゼインは軽々しく相槌を打つのをやめた。そんな話題ではなかった。
「エリーゼはメイメイを庇った……彼女がその瞬間何を考えていたか分からないけれど。死を覚悟して身を挺したのかもしれない。婚約者になって人間関係に疲れてたのかもしれない。最近ちょっと悩んでる感じだったからね。その時にうまく寄り添えなかったから、今はエリーゼの痛みも苦しみも全部、一時も見逃したくないんだ」
ゼインは無意識に拳に力を入れていた。鼻の奥がツンとする。この人はなぜこうなのだろうか。
「ずっと、僕の楽しいことばかり共有してもらったから」
「いい加減にしてください」
ゼインは顔を背けて奥歯を噛みしめた。
「いつもの殿下でないと私の調子が狂います。エリーゼ嬢の母君にはすでに使いを出していて、伯爵とクリストファー様は落ち着けば顔を出すと思います」
「うん。分かった」
「オランジェットでも捕まえてきましょうか?」
「エリーゼがそれで目を覚ますならね」
「それはそれでトラウマになりそうなのでやめておきます」
部屋から出て思わずゼインは壁に沿ってしゃがみこんだ。
アシェルのことを子供っぽいとは思っていた。仕事はできるのだが。ゼインはこれまでずっと年齢より大人びて見られていたから。
大人びているなんて嘘だ。ただ、学んで知識を身に着けて常識と良識の皮をかぶって大人ぶっていただけだ。エリーゼを失いそうなアシェルを見て、こんな時に何をすればいいのか、気の利いた言葉でさえもゼインは出てこないのだから。




