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饒舌なスチュアートにエリーゼはうまい返しを思いつかないでいた。
「でも……殿下は本当は王太子に……なりたかったのでは?」
ルルにはなりたいと言っていたと聞いている。スチュアートは薄く笑った。
「誰だってなりたいんじゃないか? 手が届きそうで絶対に届かないものには。王族で三番目に生まれて、無能は王太子になれないと分かっていても。目の前にそれがあれば手を伸ばすものだ。お前だってナディアみたいになりたいだろう。いや……ナディア妃だな」
ちゃんと言い直すスチュアート。しかし、相変わらず最初はナディアと呼び捨てなのは気になるところだ。
「それは、そうですね……」
王妃から教育を受けていても、エリーゼがお手本にしているのはナディアである。今、気の利いた切り返しができず悔しいのは、勉強をしても何をしてもナディアに近付けた実感がないからだ。
「はは。見ろ。アシェル兄上の好きなものが窓にいる」
少し沈黙が下りたが、突然スチュアートが窓を指差した。窓の外側に四本足がへばりついている。
窓が開いているわけではないので中に入ってくることはないが、侍女達は嫌そうに窓から距離を取った。
「兄上がいたら捕まえに行っているな。大体、子供の頃は食事を途中で放り出してまで捕まえに行っていた。今はさすがに……そこまではしないか」
時と場合によってはするだろう……。学園ならご飯食べている時でも捕まえているはず。
「あぁ、あれはヤモリですね」
そんなアシェルを想像しながら、エリーゼは窓にへばりつくものを見て答えた。
「……は? え? ヤモリ?」
「はい。壁を登るトカゲはいるにはいるようですが、基本的にあのようにツルツルしたところをトカゲは登れないそうです。あれはヤモリですね。指の形もふっくらしていますし。一番の違いはまぶただそうです。トカゲにはまぶたがありますが、ヤモリにはありません。まぁ、ヤモリはトカゲの一種ではありますが……」
そこまで話してハッとした。スチュアートはポカンと間の抜けた顔でこちらを見ている。
アシェルが図鑑を読みながら延々話す内容を聞いていたら覚えてしまっただけなのだが……普通はこんな会話はしないのかもしれない。
侍女達も含めて何とも言えない空気が漂う中、スチュアートが声を上げて笑った。
そこまで笑われるとさすがに傷つく。エリーゼもまさかここでトカゲかヤモリか論争をするなんて予想外だ。アシェルならついでにイモリのことも喋るだろう。
「いや、悪い。アシェル兄上と仲が良いようで何よりだ」
ひとしきり笑った後、スチュアートは偉そうにフォローする。あまりフォローになっていない。
扉がノックされ、男性の使用人が入って来た。
「もうそんな時間か」
スチュアートが立ち上がる。エリーゼも慌てて立ち上がった。この際、足を上げる際に脱いでいたヒールは無視することにする。
入ってきたのはスチュアートの侍従のようだ。中庭でスチュアートと遭遇した時に見たような気がしなくもない。
「一応、俺にも誰がやっても問題ない公務が婿入り前まで割り振られている。そろそろ取りかかる時間だ。母上は来ないからお前ももう帰るといい」
めんどくさそうな様子でポケットに手を突っ込みながら、スチュアートは扉に向かう。その途中でエリーゼの方を振り返った。
「今日は久しぶりに他人と会話をした。最近、限られた人間としか話していなかったからな」
これはお礼なのか、嫌味なのか……。どうしても疑ってしまう。
「貴重なお時間をありがとうございます」
「いや、それを言うのは俺の方だ。あと、一つ。お前、変なウワサが出回っているから注意しておけ。今日の様子を見たらまったくのデタラメだと分かるが」
スチュアートなりのお礼だったようだ。だからやけに饒舌だったのか。それにしても気になることを最後の最後に言う方だ。
「変なウワサ、でございますか?」
「アシェル兄上とのことだ。兄上の本命は別にいてお前はお飾りの婚約者だとか偽りの婚約者だとか。実は兄上は男色だとか。そういえばウワサをしていた人間がここにもいるな」
スチュアートは窓にへばりつくヤモリに面白そうに視線を投げた後、王妃付きの侍女達を見た。ほとんどは表情を変えないが、若干表情が乱れた侍女もいる。
「王族の婚約者を蹴落としたい奴らはたくさんいる。今はエリアス兄上たちもいない。注意しておけ。落ちぶれた俺からの余計なアドバイスだ」
「はい……ありがとうございます」
ヒラヒラと手を振ってスチュアートは部屋から出て行く。会話の中には皮肉が垣間見えるのに、どこか諦めを含んだその背中をエリーゼは見送るしかなかった。
ヤモリかトカゲか論争するのはうちだけ? うちは窓にいたらいつもするんだけど……。




