恩人だから
ジェームズ中佐から警告と忠告を受けたものの、少しも前に進めないまま数日が過ぎた。
ロザリア王女にアプローチを仕掛けたくても、真面目な王女様は、休んでいた間に溜まっていた仕事をこなすため自室にこもるようになってしまっていたのだ。
焦る気持ちを抱えながら渡り廊下を歩いていると、いつものベンチに王女様が腰かけているのを見つけた。
久しぶりの愛しい人の姿に心は躍るけれど、王女様の表情はどこか暗い。
首をかしげた僕は、逃げられてしまわないように後ろから近づくことにした。
「どうされたんですか?」
「ひゃう!」
ベンチの後ろからひょっこり顔を覗かせて尋ねると、王女様は身体を大きく跳びあがらせて、いままで聞いたことのない叫び声を上げてきた。
いつもは気品で溢れている彼女の素の姿が見られたようで、少し得をした気分だ。
「あの、そんなに警戒しないでくれます? 避けられているみたいで悲しいんですけど」
ベンチを半周まわり、王女様の隣に向かいながら呟くように言う。
でもまぁ……実際避けられているのだろう。
あれから王女様の姿をちっとも見かけなかったし。
「そんなこと言われたって、警戒するわよ。だってまた……」
ロザリア王女は薔薇のように頬を赤く染めて、ごにょごにょと言葉を濁していく。
尖った唇が子どもっぽいのになぜかひどく扇情的で、懲りずにまた欲しくなってしまう。
「この方はまったく……僕を煽ってるんですかね」
「どうしてそうなるのよ!」
王女様は慌てて立ち上がって真っ赤な顔で睨みつけてくるけれど、凄みなんか全然ないどころか、むしろその様子が面白くて、可愛くて。
思わずくすくすと笑ってしまった。
「それが無自覚って、ホント恐ろしいですよ。それでどうされたんです? 悩んでらっしゃるように見えましたけど」
微笑みながら尋ねると、王女様は返事に詰まる様子を見せてきて、どこか苦しげに目を伏せた。
「実は……今度、ノースランドに行くことが決まったの」
「ノースランドに?」
「ええ。なんでも、クライブ陛下が前回の訪問のお詫びをしたいんですって。いろいろ事件もあったし、落ちつけなかったから」
なるほど、とうなずく。
ロザリア王女が前回ノースランドを訪問した際、ティア王妃殿下が井戸に落とされる事件が起きた。
犯人はクライブ陛下の叔父にあたるダリル殿下と、貴族のグリント卿だったのだが、陛下はロザリア王女もこの事件に関わっているのではないかと思案を巡らせておられたのだ。
「よかったじゃないですか。ついでに誤解も解きにいけますし。この時も、ディーノ王子がいろいろ裏で手をまわしていたのでしょう?」
「……恐らくだけど、勘のいい陛下のことだから今回の婚約の解消と侍女の死で、ある程度誤解も解けたんじゃないか、とは思っているの。他にもいろいろ話したいことがあるって書いてあったから」
「さすがクライブ陛下です。それで、何を悩んでおられるんです?」
陛下から誤解されるのが怖い、ということでなければ、ノースランドの訪問を恐れる理由はないように思う。
ひたいにしわが寄ってしまうほど、ロザリア王女は何をそんなに悩んでいるのだろう。
「……あのね、以前ティアにしおりをもらったでしょう? だから私も何かお返しをしたいのだけれど、何を返せばいいのかわからないの」
ロザリア王女はまた、困ったように視線を落としていく。
「ロザリア殿下がお選びになったものならば、何でもお喜びになってくださると思いますけど」
ティア王妃殿下はお優しいお方で、ロザリア王女を怖がっている部分はあるけれど、嫌ってらっしゃるようにはとても見えなかった。
実際、花壇の花を摘んでお渡ししても、喜んでくださりそうな気さえする。
「でも、私はティアにずっとひどいことをしてきたのよ。許してくれるのか心配なの。それに……」
王女様はまた口をつぐんで、苦しげに背中を丸めていった。
「それに、どうされたんです?」
「……カイルも連れてきてほしいと言われたわ」
どうしたらいいの、と、王女様は頭を抱えるような仕草を見せてくるけれど、僕はあっけらかんと笑った。
「僕、ですか。いいですよ、ご一緒いたします」
「な、ご一緒するって、貴方よくそんなお気楽に言えるわね!」
王女様は跳ねるように顔を上げて、驚いたような顔をしてくる。
「うーん。お気楽、なんですかね?」
「お気楽じゃなかったら一体何なのよ! 大尉が勝手に国や軍を抜けて、無事でいられると思っているの!?」
その言葉に自分の目が丸く見開かれていくのを感じると同時に、胸が高鳴り口元が緩んだ。
あの王女様が、僕のことを気にかけてくれているのだ。
「心配してくださっているんですか?」
“そんなわけない”だとか“うぬぼれないで”といった言葉が返ってくるのを承知で問いかけると、王女様はふくれっ面で僕を睨み付けてきながら口を開いた。
「そんなわけ…………あるわ」
「え?」
予想外な言葉に言葉を失い、苦しげに視線を落とす王女様をただただ見つめることしかできない。
「貴方をひどい目に遭わせたくないし、それにノースランドに帰ってほしくない」
「帰ってほしくない、とは、どういう意味で……でしょうか」
高鳴る胸を必死で抑えつけながら、平静を装って尋ねる。
すると、王女様は顔をあげて僕から視線を外し、わたわたと慌てるようなそぶりを見せた。
「貴方はその、お母様と私の恩人だから。まだ、ちゃんとお礼もできていないでしょう?」
もう少しというところではぐらかされて、大国の王女殿下の前だというのに深いため息がこぼれてしまう。
「恩人、ですか。貴女はいつになったら、僕のことを好きだと言ってくれるんです?」
視線が外れているのをいいことに、短くなった髪を撫でていく。
そのまま顔を近づけ、おでこに口づけを落とした。
「──っ! だから、気安く触らないで頂戴ッ!」
王女様は一歩大きく飛び退いてまた睨み付けてくるけれど、その瞳はどこか切なげに潤んでいて。
僕を遠ざけたいのなら、そんな態度は完全に逆効果なのに、と苦笑いをすることしかできない。
「はいはい、すみません。それに、大丈夫ですよ。僕のことは全て手紙に書いて陛下にお伝えしていますし、陛下も全て承知の上で僕の国籍をはく奪したんですから」




