大切なもの
悲しい事件があったあの日から、早いもので一ヶ月以上の時が過ぎた。
言うまでもないことだが婚約は破談となり、ロゼッタ女王国とシュタール王国の間には、一度大きな亀裂が入った。
それも当然。ロゼッタは国をのっとられかけたのだから。
戦争も秒読みかと思われたが、シュタールの王が計画に一切関与しておらず、全てディーノ王子の独断だったことが発覚したことで、大きく流れが変わった。
結局、二国が戦争をすることはなく、再び手を取り合うこととなったようだ。
その代わり、王子の処遇がロゼッタに委ねられ、以後百年もの間、鉱物を破格の値段で買い取られることになったという痛手をシュタールは負うことになったのだが。
まぁ仕方のないことだろう。
ちなみに国籍をなくしてしまった僕は、国に帰るわけにもいかないので、ロゼッタ城に居候させてもらっている。
女王陛下が“命の恩人だから”と、身元を引き受けてくれたのだ。
あとは……そうそう。僕の愛する王女様のこと。
ロザリア王女は、姉妹のような存在だったメリダさんを亡くして塞ぎ込み、部屋に閉じこもってずっと誰にも会わなくなっていた。
けれど、もう一人の大切な侍女、エリィさんが回復していくにつれて、元気をとりもどしてきているようで。
たまにだけれど、城内で歩く姿を見かけるまでになった。
どうやら短い髪のロザリア王女も臣下たちに好評で、あちらこちらで惚ける兵士や使用人が続出しているらしい。
ふぅ、と長いため息をついて、綿のような雲が漂う青空をぼんやりと見る。
剣術指南も終わってしまったし、あれから王女様と話すことすらできないまま。
何もやることがないというのは退屈で仕方がなくて、このままでは腐ってしまいそうだ。
暇をもて余してしまい、以前ロザリア王女がしていたように、庭のベンチで読みかけの本を開いた。
ここは静かだし、いまは肌寒い季節ではあるけれど日が当たって暖かくて気持ちがいい。
そよそよとそよぐ葉の音に思わず目を閉じてうつらうつらしていると、愛しい声が静かに響く。
「カイル、こんなところにいたのね」
静かにまぶたを開いていくと、ロザリア王女が目の前に立っていた。
「ロザリア殿下、おひさしぶりです。具合はもういいんですか?」
立ち上がって尋ねると、王女様はこくりとうなずいて、口を開いた。
「ええ。もう大丈夫」
以前、城内で偶然見かけたときは華奢な身体がさらに細り、いつ倒れてもおかしくないくらいに弱っているように見えたが、その頃よりはかなり回復されたようだ。
「よかったです。あれ、もしかして……お一人ですか」
いつもなら、侍女が遠く離れたところで見守っているはずなのに、どこにも侍女らしき者の姿が見当たらない。
僕の問いかけに、王女様は寂しげに笑った。
「いまの侍女はメリダでもエリィでもないし、まくのはあっけないくらいに簡単なの。それより、貴方に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? とりあえず、おかけになってください」
ベンチに王女様に座ってもらい、僕も隣に腰かけた。
「それで僕に聞きたいこと、とは?」
微笑みかけて尋ねると、王女様は聞きづらそうにモゴモゴと口ごもりながら話し始める。
「ねぇ、カイルはなぜ、ノースランドの国籍も、地位も捨ててしまったの? あんなにも大切にしていたものなのに……」
ロザリア王女はわけがわからないといった様子で、眉をひそめている。
僕が何度も王国軍の話をしてきたぶん、なおさら納得がいかなかったのだろう。
「ああ、そのことですか。それは……僕にとって、一番大切なものではなかったからです」
「一番大切な物?」
ロザリア王女は可愛らしく、小鳥のように首をかしげてくる。
いますぐ触れたい気持ちが沸き上がってくるけれど、それを必死に抑えて小さくため息をこぼした。
「あの時のあれで、察していただけるかなと思ったんですけど。まぁ、そんなに甘くはない、か」
「あれって、どれのこと? ちゃんと言ってくれないと、何がなんだかわからないわ」
王女様は本当にわからないようで、面白くなさそうに口を尖らせていく。
さりげないしぐさがいちいち愛らしくて、どうにも目が離せなくなってしまう。
ずっと言えずにいた想いを伝えたら、王女様はどんな顔をするのだろう。
楽しみな気持ちと不安な感情とが混ざり合うなか、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「つまり、僕が全てを捨ててもいいくらい大切に想っているのはですね……」
「ええ」
「貴女ですよ。ロザリア王女殿下」
距離が近いのをいいことに、そっと王女様の柔らかな頬に手を添えて言う。
ロザリア王女は、ぴくりと身体を震わせて目を丸く見開き、視線をぎこちなく横へとずらした。
無言のまま顔どころか耳まで真っ赤に染めているところを見ると、王女様にとっては予想外の答えだったのだろう。
この女はまったく……
どうしてはっきり伝えられるまで、自分がここまで好かれているとわからなかったのだろう。




