賭け
ロザリア王女は再び髪を掴まれて、拘束されてしまった。
目の前で短刀をちらつかされて怖い思いをしているだろうに、王女様は泣いたり怯えたりする様子も見せず、じっと僕を見つめてくる。
無言を貫く王女様は、折りたたみ式のナイフ胸元から取り出して手首を振り、刃を露出させた。
「うそぉ、それってナイフ? アンタ王女なのにそんな物騒なの持ち歩いてたの? うまく使えもしないくせにさァ」
ナイフを取り出されたところで、メリダさんは楽しげな笑みを崩さない。
それもそうだろう。
ロザリア王女は剣術指南を受けたことがないどころか、武器を握ったことさえない可能性の方が高いのだから。
「このナイフは、心配性のエリィが万が一のためにと渡してくれたの。だけど……使う時が来るとは思わなかった」
王女様は険しい顔をして、ナイフを強く握りしめていく。
自分の手の中で鋭く光る刃が恐ろしいのか、王女様はふいとナイフから視線を外した。
それを上から見ていたメリダさんは、余裕の表情を浮かべて笑い声をあげた。
「あは、そしたらはじめてのナイフ、記念に振りまわしてみるぅ? 当たるかな~」
だが、王女様は挑発に乗ろうとはせず、真剣な表情で僕に視線を送ってくる。
何か言いたげにも見える瞳だが、言葉にされない以上、王女様の想いはさっぱりわからない。
やがて戦っていた敵を殲滅したのか、続々とロゼッタ兵たちが儀式の間へとやってくる。
誰もが目の前の光景に困惑し、我先に王女様を助けようと足を踏み出した。
「止まんなさい! アンタたち、これ見えないの?」
メリダさんは兵士たちに言い放ち、持っていた短剣を王女様の細い首筋につきつける。
刃の先端が白く滑らかな肌にあたり、そこから深紅の雫が一すじ、つうと零れ落ちていく。
「っ……」
僕も兵士も進退ままならない状況に唇を噛みしめ、声も出せないままメリダさんを睨みつけた。
「ねぇロザリア。兵士にあっちにいけと言ってくれない? 交換条件は……そうねぇ、みっともなく命乞いして楽しませてくれたら、この手を離してあげてもいいわ」
「メリダ、本当に……?」
「ええ。前向きに検討してあげる」
「ロザリア殿下! そのようなことをなさる必要はありません、どうか、おやめ下さい!!」
一国の王女を侮辱するようなメリダさんの提案に、兵士が苛立ち大声をあげていく。
だが、メリダさんがゆらゆらと挑発的にナイフを動かしたことで、あたりはしんと静まり返った。
「ねぇカイル、聞いて」
静かな空間に、王女様の可憐な声が響く。
「はい……」
「私ほど、女王の資質を持つ者はこの世にいない。貴方、ずっと私を調査してきたから知っているでしょう? 臣下たちが私をどれほど慕っていたのか」
「王女殿下……?」
眉を寄せて尋ねると、王女様はナイフを強く握りしめて、声を荒らげた。
「ねぇ、ぼさっとしていないで、とっとと私を助けなさいよ! それが無理なら、お母様にシュタールへロゼッタの領土を渡す交渉をしてきて。民たちなんかより私の価値のほうが何百倍も上なのは、考えなくてもわかるでしょう!?」
王女様の利己的な発言に、兵士たちの目つきが変わる。
どこか侮蔑の色を感じさせるような、嫌悪の瞳だ。
それを見たメリダさんは、腹を抱えて大笑いをしていった。
「キャハハ、面白ぉい! さっきはあんなに誇りは捨てない、ってうるさかったのにねー。やっぱり、高貴なお方は違うわぁ」
「何とでも言いなさい。私は国なんかよりも自分の命が大事なの。だからカイル……お願い。五つ数えるから、ここから退いて」
「勝算はあるのですか?」
王女様の頼みに、苦々しい顔を浮かべて尋ねる。
「ええ」
きっぱりと言い放つ王女様に、深くため息を吐き出した。
「……わかりました。貴女様の望むようにいたします」
「ありがとう、頼むわ。……五、四」
王女様は不安げに微笑みかけてきてカウントを始め、静かな空間に、王女様の声とメリダさんの含み笑いの声とが響き渡る。
「三、二……」
兵士たちは、先程の王女様の発言が尾を引いているようで、未だ表情は苦々しい。
「一」
最後のカウントの声が聞こえた途端、僕は命令に背き、勢いよく地面を蹴って、剣を片手に駆けだした。
「わ、カイルが裏切った! 王女サマまた裏切られちゃって可哀そーっ。約束破ったから、ロザリア殺しちゃうね」
いかにも愉快そうにメリダさんが笑うと同時に、ざくっという音が聞こえ、金の糸が輝きながら辺りを舞っていく。
王女様が自身の拘束をとくために、掴まれている髪を思いきりナイフで切り落としたのだ。
メリダさんの手には金の髪束が握られ、髪が不格好に短くなった王女様がこちらに向かって駆けてくる。
「カイル!!」
「ロザリア殿下!」
儀式の間の中心で僕たちは合流を果たし、王女様を抱きとめた。
本当はずっと辛く苦しくて、怖かったのだろう。
ロザリア王女の身体は小さく震えていて。
安心させようと優しく抱き締め、短くなってしまった髪をそっと撫でた。
「――ッ! ろざりあぁぁぁぁッ!」
メリダさんは目を吊り上げて、怒りに満ち溢れた表情を浮かべ、憎らしげに叫んでいく。
左手に残った髪の束を地面に叩きつけるようにして捨てていた。
「ロザリア殿下はあちらへ」
身体を離して、兵士たちが待つほうへ逃げるようへと促す。
王女様は「わかったわ」と、まっすぐに駆けていった。
「なぁにアナタたち、事前に作戦でもたててたわけ?」
メリダさんの問いかけに、首を横へと振る。
「いいえ。ロザリア殿下が賭けに出られたんです。殿下は、ご自身の想いとは反対の言葉を言い続けておられました。伝えたい最後の頼みも、そうだと分かるように。まぁ何をするおつもりなのかまではわかりませんでしたが」
「あっそ……」
「もう諦めてください、貴女を斬りたくなどない」
「メリダ、もうやめて。貴女と過ごした日々のすべてが嘘だなんて思えない。貴女の減刑を陛下にお頼み申し上げるから、戻ってきて頂戴……」
「はぁ!? ばっかじゃないの!! アンタ、アタシにずうっとだまされてたのよ!? 戻ったところで、また寝首を掻くかもしれないのに、何を甘いことを……!」
メリダさんは目を見開いて、強く睨み付けていたけれど、王女様は怯むことなく、それどころか柔らかく目を細めた。
「貴女ほどの腕があれば、もっと早く私を殺せたはず。そうでしょう? それに、人は変われる。私たちが一緒に過ごす未来だって、あると思うの」
ロザリア王女は必死にメリダさんへと訴えかけていく。
一方のメリダさんは、困ったように視線を落として押し黙った。
そんなメリダさんを見つめながら、ロザリア王女は大きく一歩踏み出し、真剣な表情で前を向き、口を開いた。
「私はロゼッタを笑顔で溢れる国にしたい。老いも若いも、男も女も、貧富の差もなく、誰もが笑顔に。そのなかにメリダ、貴女もいてほしくて……だから……」
うつむき黙って聞いていたメリダさんだが、やがて肩を震わせ、くすくすと笑い出した。
「アンタはいつもそう。意地っ張りで負けず嫌いで。バカ真面目な上に騙されやすいお人好し……アンタほど女王に向かない人間はいない」
「メリダ……?」
「アタシ、やっぱりアンタのことなんか大嫌いよ。苦しむ顔をしないロザリアなんか、近くで見てても最高につまんないし、もう未練はないわ」
「何をするの、メリダ!」
はっと息を飲む王女様を横目に、メリダさんは彼女の背後にある大きなステンドグラスへと足を進めていった。
「もしかして……メリダさん、早まるな!」
慌ててメリダさんを追いかけるけれど、このままでは間に合わない……!
「そんなの絶対にやめて! メリダ戻ってきなさい、これは命令よ! 兵たちも早くあの子を捕らえて!」
王女様が必死に命令を下すのを見ていたメリダさんはステンドグラス前へとたどり着き、短剣を投げつけ割っていく。
ガラスの割れる鋭く派手な音がする中で振り返ってきたメリダさんは、青い空を背景に、にこりと柔らかく微笑んで口を開いた。
「ねぇ、ロザリア。今度は地獄からずっと見ていてあげる。アンタがこのまま“いい王女”でいられるのかどうかを、ね」
彼女はその言葉を最期に、背中から空へと身体を投げ出した。
割られたステンドグラスの前からメリダさんは消えてしまい、いまはどこまでも透き通る青い空が見え、風が吹き付けてくるだけだ。
「メリダ、さん……」
間に合わなかったことを悔やみ、顔をしかめてこぶしを強く握りしめる。
「いや……うそ、どうして……? メリダ――――ッ!」
遠く後ろからは、人が崩れ落ちるような音と王女様の悲痛な叫びが聞こえた。




