王女を思う侍女
……いまのは、いったい何だったのだろう。
エリィさんの姿が見えなくなって深いため息をつくと、今度は大木の陰に、突如として人の気配を感じた。
急に気配が現れたということは、それまでは隠れて潜んでいたということだ。
面倒事に巻き込まれるのだけはごめんだと思いながら、口元をゆがめて視線を送った。
幹の裏の誰かは、姿を見せようとしてこない。
木を見つめていても、赤く色づいた葉がはらはらと物悲しく落ちていくだけだ。
「僕に用事があるんじゃないんですか? 出てこないのなら帰りますよ」
しびれを切らして深く息を吐きだすと、隠れている者も意を決したのだろう。
かさりと落ち葉のすれる音がする。
やがて、幹の端から若草色のスカートが覗き、赤茶髪を後ろにまとめた侍女が現れた。
「こんなことをして、申し訳ございません……」
「メリダさん、どうして」
王女様の護衛件侍女のメリダさんを見た途端、自分の顔が強張っていくのを実感する。
じつは、僕はメリダさんのことが苦手なのだ。
キス未遂のあの日『ヨソ者が余計なことをするな』と、こっぴどく叱られたこともあるけれど『城下の様子を知る必要はない』などと、彼女は本気で思っているようで。
この人とは相容れないと思ったのを、いまもはっきりと覚えていた。
ああ。エリィさんに続いて、メリダさんにも殺気を飛ばされ、説教をされるのか。
美女二人から嫌われるというのもなかなか辛いものがあるな……なんて思いながら、小さくため息をついていく。
すると、予想に反して、彼女は僕を叱責してくることもなく、深々と頭を下げてきた。
「カイル様、申し訳ございません。エリィが無礼なことを……」
「な、どうしたんです!? 僕のことを責めに来たのではないのですか?」
慌てて顔を上げさせると、メリダさんは困ったように微笑み、首を横に振ってきた。
「どうして貴方様という恩人を責められるでしょう。カイル様がいらしてから、ロザリア王女殿下は心を入れ替えられたかのように、お優しくなられました。きっと、あと一・二か月もすれば、臣下たちの見方も変わるでしょう」
以前は『ズタズタに引き裂いて殺してやる』というほどの勢いで僕を責めてきたのに、その時とはまるで別人のようだ。
今の彼女からは殺気の『さ』の字も感じられないほどで、あまりの豹変ぶりに困惑を隠せなくなってしまう。
「あんなに僕のことを嫌ってそうでしたのに、いきなりどうされたんですか。なんだか腑に落ちません」
思わず口に出してしまうと、彼女は『勘違いされたくない』とでも思ったのだろう。
慌てたように反論をしてくる。
「嫌いだとかそういうことではなく、あれは王女殿下を危険な城下へと連れ出そうとしたからです! 私、王女殿下に何かよからぬことが起こるんじゃないかとすごく心配したんですよ。でも、今思うとカイル様に失礼でしたね……すみません」
ずいぶんと雰囲気がふんわりとしたものに変わったメリダさんを、ぼんやりと見つめていく。
もしかしたらこの人は、厳しい人というわけではなく、王女様に対して過保護なだけだったのかもしれない。
「いえいえ。あれは間違いなく僕が悪かったです。まずは周囲の方々に相談するべきでしたね」
「次はそうして下さると助かります」
メリダさんはホッとしたような顔で、柔らかく笑った。
「ところで。気配を消してまで、僕に一体何の用事があったのですか?」
ずいぶんと話しやすくなったメリダさんに疑問を投げかけていくと、彼女は周囲を気にする様子を見せ、声をひそめた。
「ここだけの話にしていただきたいのですが、エリィにはいま、ロザリア王女殿下を陥れようとした疑惑がかかっています。彼女の母親はサウス王国の出身でして。エリィがサウスの闇商人と繋がり、マバルの葉を王女殿下に渡した。その可能性が浮上しているんです」
「彼女が、ですか?」
「ええ。先程カイル様がエリィに提示されたお願い。あれは全て、ロザリア王女殿下をこれ以上変えさせないため、つまりは臣下からこれ以上支持を得られないようにするために言ったのでしょう」
メリダさんは、苦しげに顔をゆがめていく。
僕に話しかけてきたエリィさんはずいぶんと刺々しかったけれど、王女様の前ではよく笑っていたように思う。
それに、侍女の仕事だってきっちりやっている真面目な人に見えた。
母親がサウス王国出身というだけで疑うのは、彼女に対して失礼ではないだろうか。
「エリィさんが、そんなことをするなんて信じられません。先入観から決めつけるのは、良くないと思いますよ」
「先入観……ですか。カイル様は、これを見てもそう言えますか?」
視線を落としたメリダさんは、ポケットに手を入れ、僕の目の前に差し出してくる。
彼女の手の平には信じられないものがのっていて、ただただ静かに目を見開いた。
「これは、マバルの……」
見覚えのあるケースにぎゅうぎゅうに入っていたのは、マバルの葉巻だった。
「ロザリア王女殿下の部屋の引き出しに入っているのを、先月掃除担当の侍女が発見しまして。幸い、私がすぐに奪い取ったので、中身は他の者には知られていません。ただ……侍女が言うには、エリィの部屋にも似たような箱があった、と」
「そんな、信じられません……」
「私も、です。なので、何者かに陥れられた可能性も考慮し、慎重に調べています。どうか、このことは内緒にしてくださいませんか? 王女殿下の周りでマバルの葉が動いているなどと、婚約交渉中のシュタール王国に知られたくないのです。この結婚はロザリア王女殿下にとって必ず良いものになります。絶対に成功させたいのです」
メリダさんは苦しそうな顔をしてうつむいていく。
そんな彼女を安心させようと、にこりと微笑んだ。
「わかりました。決して他言はしないと、ここに誓いましょう」
その言葉にぱあっとメリダさんの表情は明るくなっていく。
あのメリダさんがこんな顔を見せてくれるなんて、夢にも思わなかった。
「ありがとうございます。申し訳ないのですが、危険ですのでなるべくエリィには近寄らず、刺激しないようにお願いいたします」
深々と頭を下げたメリダさんは、ほっと安心したような顔をしていたのだった。




