触れたぬくもり
徐々に日は陰り、武器庫の中も暗くなりつつあった。
さっきまでははっきり見えていた場所も闇に包まれ、よく見えなくなってきている。
もうすぐ夜が来るのだ。
突如として、くしゅん、と控えめなくしゃみの音が響く。
隣を見ると、小さく縮こまったロザリア王女が微かに震えていた。
彼女がまとう水色のドレスは薄手のもののようで、さらには首から肩のあたりもあらわになっている。
気温も落ちてきているし、このままでは朝まで寒い思いをさせてしまうことになってしまう。
「気付けなくてすみません」
軍服のジャケットを脱いで、王女様の肩にかけようとしていくけれど、その手はすんでのところで止められてしまった。
「結構よ」
僕に悪いと思っているのか、僕の上着を羽織るのに抵抗があるのかはわからないけれど、こうなってしまうと強情な彼女を変えるのはなかなか困難だ。
それに、あんな話を聞いた後で『ティア王妃殿下だったら受け取ってくれるのに』といつもの手を使う気には到底なれなかった。
「申し訳ないのですが、女性に風邪をひかせたくないので、借りてやってはくれませんか? 男の意地みたいなもんなので、借りていただけたほうが僕は嬉しいんですけど」
恐る恐る問いかけると、王女様はくすりと笑った。
「なぁにその変な意地。なんだかいいように丸めこまれたような気がするけど、そう言ってくれるのなら借りさせていただくわ」
王女様に言葉の裏を読まれてしまったのは誤算だったが、それでも上着を貸すことには成功出来て、安堵のため息をついた。
細い肩に上着をかけると、王女様は身頃をきゅっと前に寄せて顔をうずめ、幸せそうな顔を見せてくる。
「あったかい……」
王女様は呟くように言う。
その頬は夕陽のせいか、ほんのり赤く染まっているように見える。
僕にはぴったりの上着が、ロザリア王女にとってはこんなに大きいサイズになってしまうのか。
そんな些細なことで彼女に女を感じ、心臓がまた強く脈打った。
そして、さっきまでは気にならなかったのに、お互い無言になると、王女様のことが気になって仕方なくなってしまって。
触れたいという思いを必死に押し殺していると、突然もぞもぞと王女様が動き出す。
やがて、左側に柔らかな圧迫感と暖かさを感じた。
「こうすれば、貴方も少しは寒くないでしょう?」
すぐ隣から、ツンとしつつも照れが混じったような声が聞こえてくる。
王女様は僕の身体にぴったりと自分の身体を横付けしてきたのだ。
さっきのように下を向いて上着を顔に寄せているため表情はわからなかったが、下を向いていてくれて本当によかったと思う。
よそ行きの顔でごまかせないほど、僕の瞳はきっと完全に男の目になっていただろうから。
彼女の温もりを感じれば感じるほど、この腕で抱き締めてしまいたいという強い衝動が沸き上がり、理性が揺れていく。
無言のまま葛藤していると、今度は王女様が船を漕ぐようにゆらゆらと動き始める。
恐る恐る左隣に視線をやって苦笑いし、呆れと愛しさが混じりあったため息をついた。
「人の気も知らないで……」
恐らく眠ってしまったのだろう。
不安定に揺れる王女様の左肩を抱いて、ぐいっと僕の方へと寄せ、揺れていた身体を安定させる。
先ほどよりも更に距離が近づいたこともあり、規則正しい呼吸の音が聞こえてくる。
王女様はどうやら、本格的に眠ってしまっているようだ。
腕の中で安心したように眠る、無防備な彼女にまた愛しさが募る。
いつもはつり上がっている眉毛も、いまばかりはふにゃりと下がっていた。
もし貴女が女王となり、どこぞの王子を夫に迎えたら、その男の腕の中でこうやって眠るのだろうか。
その日のことを思うと、胸がつきりと痛む。
決して結ばれることはなくとも、叶わない想いだとしても、僕はこの想いを無かったことには出来ない。
どうか今だけは、触れることをお許しください。
王女様の肩をぐっと抱き寄せ、さらさらと指通りの良い髪を一束すくう。
そして、一つだけキスを落とした。
――・――・――・――・――・――
「やべぇ、やべぇぞ!」
日が暮れて一時間はしない頃だろうか。
遠くから焦ったような声と、ドタドタとうるさいぐらいの足音が聞こえてくる。
「ロザリア王女殿下、起きてください」
肩を軽く叩き、彼女を起こした僕は、武器庫の出入り口へと向かい、頑丈な扉を乱暴に叩いた。
「誰かそこにいるんですか? 武器庫に閉じ込められているんです」
「そ、その声はカイル大尉!? やべぇ――ッ! 本当にスンマセン!」
慌てた声が扉の向こうから聞こえ、ガチャガチャと鍵を回す音が響きわたる。
扉はすぐに開き、目の前には武器庫の内部を確認せずに鍵を閉めた兵士が冷や汗を垂らしながら立っていた。
「スンマセン、本当にごめんなさいっ、申し訳ないです! 中を確認するの忘れてたの思い出して、慌てて返って来たんです。ご無事ですか!?」
「とりあえず、思い出してくれて良かったです……このまま朝までコースかと思いました。でも、僕より先にあちらの方に謝ったほうがいいと思いますよ」
そう言って、後ろのほうへと視線を送る。
つられるように兵士も武器庫の奥を見つめていき、すぐにその顔を青白く変化させていった。
「あちらの方……って、ろ……ロザリア王女殿下!?」
いらいらとした様子を見せたロザリア王女は、少しずつ兵士のほうへと歩んでいく。
真顔の彼女が一歩足を進めるたび、兵士の顔はだんだんと恐怖で歪んでいった。
「あなたが閉じ込めてきた兵士ですか? おかげで私は、はじめて入った武器庫の中を完璧に把握できるようになりました」
ガクガクと足を震わせた兵士は崩れ落ちて床に膝をつき、はいつくばるように平伏する。
「申し訳ございませんッッ! 悪いのは俺だけです。どうか、弟は王国軍にいさせてやってください! 国のために王国軍で尽くすのが弟の夢だったんです。どうかご慈悲を!」
彼の顔はまるで死人のように血の気が一切なく、相当王女様のことを恐れているということがわかった。
ロザリア王女は彼に、なんと言うのだろう。
隣で見守っていると、王女様は小さくため息をついて、呆れたように笑った。
「ロゼッタに尽くしたいと願うのは、弟だけだったのですか?」
「え……?」
思いもよらない柔らかい声に驚いたのだろう。
兵士は顔を上げ、きょとんとした顔で王女様を見つめている。
「誰しもミスはします。ですが、ここを確認するのは決まりごとだったのでしょう? 次からは、このようなミスをしないようにすることです」
「え、あの……」
「返事はどうしました?」
強い瞳で見つめる王女様に、兵士はしっかりとした声で返事をしていく。
「はい! 二度とこのようなことはいたしません。お、俺も王国のために死力を尽くさせていただきます」
「私も国のために奮闘しますから、そうしてくれると嬉しいわ」
王女様が微笑むと、兵士はぽうっとした表情を浮かべて、また平伏し何度も礼の言葉を言っていた。
一方の王女様は、くるりとドレスを広がらせて僕の方へと向き直る。
羽織っていた上着を手に取り、僕に差し出してきた。
「カイル、ありがとう。貴方とゆっくりお話が出来て本当によかったわ。それじゃあ、ね」
王女様は凛と背すじを伸ばし、真っ直ぐに廊下へ向かって歩いていく。
その後ろ姿はこれまでとは違い、堂々とした女王の風格が漂っているように見えた。
――・――・――・――・――・――・――
「もう立って大丈夫ですよ。あなたは、スコットと言いましたっけ」
平伏する兵士に声をかけると、彼は立ち上がって僕に向かって敬礼をしてきた。
「は、はい。スコットと申します!」
「ロゼッタ女王国は、近い将来、さらに発展して素晴らしい国になりますよ。僕はその場にいられないのが残念です」
ほんの少しの寂しさを混ぜて微笑むと、彼は不思議そうな顔で見つめてくる。
そんな彼を置いて、僕もゆっくりと廊下へ向かう。
歩きながら、王女様から返された上着を羽織っていくと、微かにロザリア王女の香りが広がっていき……決して叶わぬ恋に、胸が締め付けられたかのように苦しくなった。




