地位を憎む男の話
結局それから僕は一時期、決めた女を作らず、とっかえひっかえして遊び回っていた。
本気で誰かを想うことなんて面倒事でしかなくなっていたし、好きになられる前に別れて、好きになる前に別れて。
そんな恋愛の真似事を繰り返し続けた。
けれど、そんなことをしていたのは半年から一年ほどだけだっただろうか。
僕は次第に女ではなく、国に興味を持つようになったのだ。
あの頃、ユーリア三国はジュピト帝国軍と長きにわたって国境争いをしていた。
兵士にとっては戦の毎日だったのだろうが、田舎貴族の僕にとっては何の影響もなかった。
だけど、日常のことだった国境争いが長引いて激化し、徐々に交易品が高騰するようになり……
ヨソ事だった戦争を身近に感じるようになった僕は、各国を渡り歩く交易商に戦況を聞くようになった。
その一ヶ月後には、ナナメ隣の家に住んでいたオジサンが戦死したことを聞き、交易商からも思わず吐きたくなるような話を、何度も聞いた。
『守られてばかりじゃいけない。大切なモノはこの手で守り抜きたい』と、僕の足は自然と王国軍の方へと向かい、温室にいた僕の手は剣を手にとっていった。
元々、僕は上流貴族の婿には向いていなかったのだろう。
剣を手にして兵士となった僕は、上官とともに水を得た魚のように戦場を駆けまわり、数々の戦功をあげることとなる。
女性がどんな風に踊りたいのかを察することは苦手でも、敵・味方の兵の動きは手に取るようにわかった。
楽譜を読むのは面倒でも、戦術や地理の勉強をしたり、兵糧の補給法や人員の配置を自分でも考えてみたりするのは楽しいと思えた。
父親の言うことより、参謀の言いたいことの方がよくわかったし、もっともだと思っていた。
居場所を手に入れた僕は上流貴族の婿ではなく、死ぬまで兵士として生きていくのだと思っていた。
成り上がりとはいえ下流貴族を脱出したし、もう二度とあの頃のように自分の地位がどうのと考えることもないと、そう思っていたのに――
長く続いた戦争もようやく終わり、大尉の地位をいただいた僕の元に、数か月前だろうか。
もう二度と会うこともないと思っていたあの女が現れたのだ。
「カイル! やっと会えた……」
城外の見回りをしている時に、路地裏で突然声をかけられて振り向くと、どぎつい赤色をしたドレスに、きらびやかな宝石をいくつも身につけた女性がいた。
宝石やドレス自体の質はかなりいいものなのだろうが、そのどれもが派手で主張しすぎるせいだろうか。
品の良さはひとかけらも感じられない。
そんな見覚えのない女性に声をかけられて、わけもわからないまま僕が立ちつくしていると、目の前の女性は娼婦のような真っ赤な唇を引き上げてにこりと笑った。
「十年近く前に、貴方と付き合っていたジェーンよ。久しぶりね。大尉になって、上流貴族の仲間入りを果たしたんですって?」
その言葉に、驚きを隠せなかった。
僕と一緒にいた頃のジェーンは、こんなふうに派手ではなかったし、その笑顔ももっと可愛らしく、宝石なんかなくても輝いていて、地位は低くとも品があったように思う。
「ジェーン? 本当にあなたが、ですか……」
信じられずにそう問うと、彼女は嬉しそうにうなずいていく。
だが、僕には彼女が微笑みかけてくる意味がよくわからなかった。
どう考えたって、捨てた男に向ける顔だとは思えなかったのだ。
それに、彼女は僕にとって、あまり会いたいと思える相手ではない。
社交辞令的に少しだけ話をして、さっさと帰ることに努めることにした。
「君は、伯爵夫人になったそうだね」
さぞ楽しい毎日を送っているのだろう。
そう思って尋ねたのに、彼女の表情はなぜかつまらなさそうに歪んでいった。
「ええ。でも、こんな毎日はうんざり」
「なぜ?」
「なぜって……」
言い淀む彼女を見つめながら、ふと昨日のことを思い返した。
「ああ、そういや君の夫は、クライブ陛下に目をつけられているようだったね」
昨日、クライブ陛下と廊下で話した時に『ラウド伯爵が税をくすねている可能性がある』という話が、ちらと出ていたような気がする。
「あの人ってば、不正でもしているのかもね」
「心配じゃないのか?」
ふんと鼻を鳴らし、蔑むように笑うジェーンに驚き、思わず尋ねる。
「妻としては、心配したほうがいいんだろうけど……」
「けど、何」
僕が問うと、それまで視線を落としていたジェーンは顔を上げて、まっすぐに僕を見つめてきた。
「私の愛は、別れを告げたあの日からもずっと、アナタにある」
「ジェーン……?」
予想外過ぎるセリフに僕の眉は中心へと寄っていき、二の句がつげなくなっていく。
「カイル、アナタは忘れちゃったかしらね。この結婚は親が決めた結婚だったの。私、別れたくなんか、なかったの」
「……何が言いたい」
小さな花を見つけては喜び、長い髪を揺らしながら風のように駆けまわるジェーンが、僕は好きだった。
意地っ張りで、素直じゃなくて、誰にもわからないように隠れて努力する彼女を、僕は誰よりも愛していた。
けれど、十年ぶりにジェーンと再会し、彼女の言葉を聞いたことで、改めて理解してしまったのだ。
僕が愛したジェーンは醜い欲に殺され、完全にこの世からいなくなってしまったことを。
「カイル、アナタは本当に魅力的よ。そのめずらしい銀の髪も、深い森のようなグリーンの瞳や精悍な顔つき、そしてたくましい腕も、大尉の地位も全部。情けない白豚のラウドなんかより、アナタがいい。お願いよ、私をまた愛して」
ジェーンはうっとりとした表情で近づいてきて。
僕のほほにその右手を添えて、唇を近づけてくるけれど、僕は彼女の肩をつかんで引き剥がしていった。
「悪いが僕はもう君を愛せないし、正直君のことを軽蔑している」
「あの結婚は、仕方なかったのよ!」
すがりつくように彼女は飛びついて来たけれど、それをひらりとかわしていく。
どたりと音がして、地面にジェーンが転がっていった。
頬に砂をつけた娘に手を差し伸べず、見下しながら冷ややかに笑った。
「上流貴族の夫人になるという夢がかなってよかったじゃないか。そもそも、政略結婚なんかじゃなかったんだろう?」
「――ッ! どこでそれを」
「そんなのどこだっていい。それよりも、夫ともども沈まないように気をつけろ。かつて愛した女に僕が最後にしてやれるのはこの忠告だけだ」
顔面から一気に血をひかせた彼女を一瞥して踵を返し、また見回り業務へと戻っていく。
「まってよ、カイル。ねぇ! このままじゃ私……!」
「さようなら、二度と僕の前に顔を出さないでくれ」
吐き捨てるように言うと、彼女の泣き叫ぶ声はさらに大きくなり、人気のない路地裏へうるさいほどに響き渡り続けていったのだった。
――・――・――・――・――・――
そして、結局ラウド伯爵は不正を続け、ジェーンも一緒に没落したらしい。
自分でも冷たいやつだとは思うが、そのニュースを聞いたところで何の感想ももてなかった。
「戻るか」
空に浮かぶ欠けた月を見て、呟く。
仮面舞踏会もそろそろお開きの時間だろう。
月明かりが照らす庭で一人ゆっくりと立ち上がる。
「生まれついた地位、か。そんなものなければいいのに……」
小さく吐いた息とともに、本音がこぼれて夜闇へと静かに消えていった。




