はじめて見た笑顔
笑いの波が収まっていくのと同時に、ふとこんなことを思う。
ロザリア王女の笑った顔を見たことがない気がする、と。
よくよく思い返してみると、作り物の笑顔は嫌になるほど見ているけれど、自然な笑顔というのは一度も見たことがない。
こうやってツンツンしているこの女は、一体どんなふうに笑うのだろうか。
大口を開けて笑うというのは想像できないが、柔らかく微笑む顔も正直あまり想像できない。
そんなふうに考え出してしまうと、気になって気になって仕方なくなってしまって。
こうなるともう、意地でも見たくなってしまう。
どうにかして笑ってくれないだろうか、と、あたりを見渡していると、池の近くをのそのそ歩いている亀を見つけた。
ロザリア王女が亀を見て、『可愛い~』と笑ってくれるとは到底思えないが、城の中ではなかなか見かけないし、気にはなるかもしれない。
池のほうへと向かい、小ぶりな亀に近寄ってしゃがみこんだ。
「ほら、ロージィ。亀がいますよ」
「そんなの、見ればわかります」
願いもむなしく、ツンとした顔で返された。
ま、そりゃそうか。
ウサギやリスならまだしも亀じゃ、無理だよな。
お前がウサギなら良かったのに。
甲羅を軽くつつくと亀の頭がにゅんと伸びてきて。
それをぼんやり見つめていたら、亀は僕の指に勢いよく噛みついてきた。
「痛ッて――! 何すんだ、この野郎」
予想外の痛みに声をあげて手を振ると、噛みついてきた亀は僕の指を離れて宙を舞い、ぽちゃんという音をたてて池の中へと消えていく。
くそッ。あいつ、反撃してきやがった。
亀が落下した場所から大きく広がっていく波紋を睨みつけていると、後ろから微かに声が聞こえてくる。
「フフッ、バカな人」
優しげな声に振り返ると同時に言葉を失い、一瞬にして目を奪われてしまった。
柔らかく口角を上げ、目を細めている王女様の頬は、ほんのりと薔薇色に染まっている。
初めて見たロザリア王女の笑顔は花のように優しくて、とても綺麗だと、そう思った。
きらきらと輝いて見えたのはきっと、太陽の光のせいだけではないだろう。
「やっと笑ってくれた」
見惚れて立ちつくしたまま、理性が止める暇もなく本音が口をついて出てしまう。
僕の言葉に王女様はぴくりと身体を震わせて、照れたようにうつむいてくる。
その姿がまた、いじらしくて可愛くて。
ツンとした顔を、もっともっと崩させてしまいたくなってしまう。
「ロージィは、そうやって笑っていたほうが可愛いですよ」
自分でもキザだとは思ったけれど、そう伝えずにはいられないほど、彼女の笑顔は魅力的だった。
それに何より、王女という仮面に隠された、ロザリア王女の本当の顔をもっと見てみたかったのだ。
「ば、バカにしないでくださる!?」
動揺と怒りが混ざったような瞳で睨みつけてくるけれど、そんなふうに睨まれたって凄みなんか全くない。
ただ、バカにするなという言葉には、少しばかり悔しい気持ちになってしまった。
どうも僕はハタから見たら、いい意味で言えばひょうひょうとしていて、悪い意味で言えばいい加減に見えがちというか、どこか真剣みが足りないように見えるらしい。
いまさらそれを注意されたって悲しくもないし、悔しくもなんともないはずなのに。
どうしてロザリア王女に誤解されるのは、少し寂しいような気がしてしまうのだろう。
疑問はふとわき起こるけれど、深く考えないままあっさりと結論は出た。
まぁどうせ、気のせい、だろう。
またツンとした顔に戻りつつあるロザリア王女の腰かけるベンチに向かい、その隣に腰掛けた。
「ロージィが、普段町に来ることは?」
問いかけると、王女様は首を横に振ってくる。
「ほとんどないわ」
「どうしてですか?」
「王族の威厳が地に落ちるからよ」
当然のことのように王女様は言った。
ああ。今回もまた『王族』か。
毎度のことながら彼女は、民が王や女王に何を求めていると思っているのだろうか。
小さく息を吐きだして、彼女に視線を送る。
「王族の威厳って何でしょうか。そもそも王や女王とは何なのでしょう?」
僕の問いに、ロザリア王女は口を閉ざしてうつむいた。
恐らく、自分でもその答えが見つけられずにいるのだろう。
言葉を失ってしまった彼女に、穏やかに微笑みかけてまた口を開いていく。
「威張って力を見せつけても人はついてきませんし、誰も認めてくれやしませんよ。強いふりなんかしなくても大丈夫です。ほら、肩の力を抜きましょう」
「別に力を入れているつもりなんかないわ」
「そうですか? 僕には無理をしているように見えますけど。昨日も庭で泣いてましたよね」
「ち、違ッ……」
慌てて繕おうとする王女様を横目に、僕は池へと繋がる水路を指差した。
「あの水路をご覧になってください。あれがロザリア王女殿下のなさったことです。民が清潔な水を使って生活できるのは、あの水路があるから。殿下は必要なものを見極める力もありますし、賢さも持ち合わせています。ですが……一番大切な仕事を蔑ろになさっている」
「何が言いたいの」
ロザリア王女は珍しく真剣な顔をしている。
これまでとは違うその瞳は、どこか揺らいでいるようにも見えた。
「女王に最も求められていることとは、民と国を想うこと。僕はそう思います。殿下も、まずは臣下や民の心に寄り添うことから始めませんか? それさえ出来れば、ロザリア王女殿下なら良い女王になれると、僕は調べさせていただいて思ったのですが」
「そんなの、今更よ。失った信頼は取り戻せない」
うつむいて寂しげに話してくるけれど、その顔は諦めた人がするような顔ではないと思う。
「そうでしょうか? 生きている限り、人はいつでも変われると思いますけど」
そう言い終えた途端、ぴくりと身体を震わせる。
表情を険しく変化させ、辺りを見まわし、気配を探っていった。
鋭い視線と殺意にも似た感情を、どこからか感じたのだ。
「カイル、どうしたの?」
不安げに問いかけてくるロザリア王女に、にこりと微笑んで立ち上がり、左腰に下げた剣の柄に手をかけていく。
「いえ、たいしたことはありません。ですが、僕から離れないでくださいね」




