H-666 明後日に出発する
たっぷりとした食事を食べ終えると、士官室の一角でビールを酌み交わす。つまみがビーフジャーキーとはねぇ……。アメリカには枝豆の文化が育たなかったのかな?
「噂の人物と一緒に戦えるとは思いませんでしたよ。最初にサイカ大尉を見たのはペンデルトン基地でしたが遠目に見ただけですからねぇ」
「悪い噂でないことを願っていますよ。でも俺を見てがっかりしたんじゃないですか?」
「およそ海兵隊とは言い難い容姿ですからねぇ。本部付きの技官に思えましたが、後で聞いたらペンデルトン基地からゾンビを駆逐した人物だと……」
それが一般的な印象なんだろうなぁ。せめてニックぐらいの体格があれば良かったんだが、あの夏の日からの成長は背が2cm延びたことと、体重が1㎏ほど増えただけだ。貧相な様相に変わりは無いからなぁ。
「ですが、あの動きは我等には出来かねます。これでもマーシャルアーツのブラウンを持っているのですが……」
「格闘戦の流派が違いますからね。ゾンビ相手には今までの白兵戦訓練は役立たないかもしれません。そもそもゾンビに掴まれて噛みつかれたらお終いです。可能な限り距離を取ることが大事ですよ」
西洋では棒術はあまり発達していなかったようだ。
その割には使いこなすにはかなりの練習が必要なハルバートなんてものがあるんだよなぁ。武器がどんどん特化していったからだろう。その点日本は刀と槍それに弓に大きな変化は無かったからね。
「そう考えると、兵士にナイフを持たせるのは考えてしまいますね」
「ナイフは多目的に使えますから携行したほうが良いと思いますよ。でも、『バヨネット!』なんて指示を出さないでください。人間なら胴を突き刺せばその場に崩れるでしょうが、ゾンビはそれを掴んで離さないでしょう。引き抜こうとしているところを他のゾンビに襲われるのが落ちです」
その点、棒は使い易いんだよなぁ。叩く、突く、払うが出来るんだからね。
だけど棒を持って歩く姿は、なんとなく情けなく見えてしまうらしい。ニックが棒ではなくホッケースティックを使っていたのはそれが理由だったようだ。
見た目で戦うわけではないんだろうけどねぇ。
「明日はクロスボウの練習ですよ。だいぶ様になってきました」
「通路に2,3体なら銃を使わずに済みます。音が出ませんから多用するかもしれませんよ」
「特注のボルトケースを作りましたよ。20本を携帯しますが、いろいろと装備がかさんでしまいました。軍曹がキャリングカートを見つけてきたぐらいです」
どんな品かを聞いてみたら、キャンプやバーベキューの荷物運びに使う折り畳み式の4輪車という事だ。
そんな品もあったなぁ。あまり強度が無いように思えたけど、耐荷重は100kg程あるらしい。アルミ製で軽いから階段の上り下りは荷を積んだままでも数人で行えるだろう。
それに、いざとなればゾンビの足止めにも使えそうだ。
用意したカートの数を聞いたら、分隊に1台とのことだったので2台を用意して貰うことにした。結束バンドで連結すれば柵を簡単に作れる。
余分な装備をカートで運べるということで、クロスボウも苦労しないで運べるだろう。
エメルダさんと何度か雑談している内に、段々と性格が分かってきた。どうやらマリアンさんと似たところがあるらしい。
カミラさんの話では、これ以上階級は上がらないだろうとの事だけど、それは度重なる独断専行が原因のようだ。
あの夏の日に、撤退する部隊がまだあるにも関わらず橋を落としたそうだ。
「陸軍兵士なら車を降りて泳いで渡れ!」とトランシーバーで怒鳴り声をあげたらしい。
結果的には全員が無事に川を泳いできたらしいから、ゾンビに飲み込まれることは無かったらしい。
とはいえ、元々の命令が『ミシシッピー河に掛かる橋の防衛』だったらしいからなぁ。命令違反も良いところだ。
そんなことが2度あったらしいから、簡易軍法会議により少佐に落とされたらしいけど、人材不足というところで再び中佐に返り咲いたということだ。
とはいえ部下の命を救ったことは確かだ。上部からは煙たがられているようだけど、部下からの信頼は絶大だからね。
「こんな時勢ですから、命の重みを知る指揮官が一番に思えます」
「ありがとう。海兵隊の英雄にそういって貰えると、嬉しくなるわね。マリアン少将が気に入るわけね。強請ってみたんだけど、きっぱりと断られたわ。サイカ大尉がいないと作戦期間が2倍に伸びるとまで言っていたわよ」
「そこまで有能ではありませんよ。独断専行が度々ですからね。何度も叱られています」
「でも結果は残しているでしょう。独断専行は作戦遂行上では大きな外乱になるんだけど、それは事前にその対策がなされていないからじゃないかしら。作戦が順調で工程に大きな遅れが無いなら、その場で立ち止まり作戦の修正も可能なんでしょうけど。そんな余裕がないなら作戦指揮所はパニックよ。場合によっては前線が崩壊しかねないわ。その時に前線指揮官が咄嗟に取った最善の方法を独断専行と後から言われてもねぇ……」
そんな事態が出ないように、作戦は予想されるいくつもの外乱をシミュレーションに加えて評価しているはずなんだが、どうしても想定外ということが起こりえるのが戦場だ。
とりあえずその場での最善策を先ずは打って、作戦の修正時間を稼ぐということが中々出来ないんだよねぇ。
おかげで最前線の指揮官が自らの判断で動くことになるんだが、その結果いかんによっては軍法会議が待っている。
何故そのような行動をとったのかを議論せずに、結果で判断されるというのは軍の膠着に繋がりそうに思えるなぁ。
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2月15日。午前10時に基地の体育館に俺達は集合した。
兵士達が整列する前に士官達が並び、エメルダ中佐が壇上に上がる。
「諸君! 作戦決行日時が確定したぞ。3日後の18日0930時にドーバーを発って、バンクーバーに向かう。バンクーバー空港からは強襲揚陸艦で目的地であるウイドビー島北部の海軍航空基地へ移動する。先行部隊はヘリボーン、後続部隊は西岸の砂浜へホバークラフトで上陸する……」
最新型の強襲揚陸艦「アメリカ」を使うらしい。5万tもある大型艦だからなぁ。前に乗ったワスプ級よりも一回り大きいようだ。その艦内に収容された2つのLCACと呼ばれるエアクッション揚陸艇の搭載能力は50tを超えるらしいから、車両の多い後続部隊を一気に輸送できるだろう。
「ペンデルトンより、ベノムを2機借用した。海軍飛行場への第1陣は、ベノムを使って空港管制塔及び管制事務所を強襲することになる」
2機借りてきたということは、2個分隊のヘリボーンを行うという事だろう。
掃討部隊は、陸軍と海兵隊がそれぞれ2個分隊の筈だ。さて、どっちを使うもかな?
カミラさんが概要説明を終えたところで、解散になる。
出発の準備を整える為に、兵士達が足早に体育館を去っていく。
その後をゆっくりと歩いて行くのは、副官達だな。彼等で再度装備品のリストと現物を確認するとのことだ。やはり軍隊で一番仕事が多いのは副官に違いない。
「それで俺達も……、ですか?」
「作戦を何度も話し合って頭に入れておくことが大切よ。それで、サイカ大尉はヘリボーンの経験があるのよね」
「エアボーンも可能ですよ。偵察なら任せてください。最悪事態が生じたなら装備を捨てて海に飛び込みますから」
「それなら安心ね。でも海に飛び込む前に救助してあげるわ」
先行偵察部隊の状況を確認するヘリを近くで待機させてくれるということかな?
あまり近付かれても困るんだけどねぇ。ヘリのローター音やエンジン音はかなり大きいからなぁ。
先行部隊を下ろしたなら、直ぐに強襲揚陸艦に戻って待機して欲しいところだ。3kmほどの距離なら、救助要請を出して10分もせずにヘリがやってくるだろう。
本部の部屋に戻ると、直ぐに大型スクリーンに基地の衛星画像が映し出される。
エメルダさんが手元のタブレットを操作すると、画像にデフォルメされた強襲揚陸艦の姿が基地の西の海上に映し出された。
形が異なる船がもう1隻ある。イージス艦を護衛に付けてくれたのかな。
艦の縮尺は合っていないんだが、作戦開始時の位置は合っているようだ。
「これが作戦当日の我々の位置になるわ。フーチェ後はよろしく」
「エメルダ中佐の幕僚の1人、フーチェ大尉です。ずっと部屋に籠っていましたから、始めてお目に掛かります……」
確か何人か集めたと言っていたが、彼がその1人になるのか。フーチェねぇ……。名前はオスカーなのかな? 堀の深い顔とがっしりした体型は軍人そのものだ。前線にいても違和感が無いな。
「作戦は、0800時より開始されます。汎用ドローン3機を使ってジャックを基地周辺の3か所に設置。0830時よりジャックが鳴動し、0910時に鳴動を止め、0920時に炸裂します……」
集まったゾンビの声を聴く時間はあるということだな。
汎用ドローンからの映像だけでは、ゾンビの種類に見落としが出ないとも限らない。その確認時間を取って貰えるのはありがたい話だ。
「10分間ではありますが、サイカ大尉を始めとした日本人兵士に声を確認して貰います。危険なゾンビの存在をある程度知ることが出来るでしょう。状況確認が出来たところでいよいよ基地の掃討を始めます。エメルダ中佐の指令で、先行偵察を行うサイカ大尉を乗せたベノムを発進させます……」
搭乗する兵士は俺を含めて6名。管制事務棟近くにヘリボーンを行う。
直ぐに周囲の建物を外部から確認し状況報告を行う。
さすがにその場で撤退ということはないだろうけど、作戦が貴族可能かを此処で判断するわけだな。
俺達を乗せたベノムが強襲揚陸艦に戻り、今度は2個分隊と1班を乗せてやってくる。
2個分隊は周辺の監視に入り、1班は俺達と合流する。さらにもう1個分隊が合流したところで管制事務棟の掃討が始まる。
2時間程、作戦の推移を確認したところでコーヒーブレークとなる。
緊張して聞いていたからなぁ。タバコに火を点けて雑談が始まったが、ちょっとした疑問でも、直ぐにフーチェ大尉が即答してくれるんだよねぇ。
かなり細部まで詰めたに違いない。
少し硬い感じがする御仁だけど、深い思考の持ち主のようだ。
「監察官が同行するとのことでしたが?」
「彼らの事は気にしないで良いみたい。自分の身は自分で守るとは言っていたけど、さすがに見殺しには出来ないわね。イージスに搭載したヘリが彼等専用になるわ。でも撤退時に彼らを盾にするようなことはしないでね」
エメルダさんのブラックジョークに、俺達が笑い声を上げる。
盾にはしないけど、盾になる必要はありそうなんだよなぁ。出来れば離れた場所にいて欲しいんだけどねぇ。




