H-651 地下施設の数は思ったより多いらしい
こんな時代だからだろうか? 宗教施設への攻撃は手控える兵士もいるみたいだ。
十字架を掲げている建物に砲撃を行うのはキリスト教徒として恥ずべき行為ということになるんだろう。
そこまで信仰心を持っていることに感心してしまうけど、最後にマリアンさんが全責任は私が負うとデストロイ部隊に短い演説を行ったようだ。
元は宗教施設であっても、今そこにいるのはゾンビの大群だからなぁ。元信者であったかもしれないけど、俺達とは相いれない存在だ。ゾンビがキリスト教を理解しているとも思えないから、宗教施設を破壊してゾンビを駆逐するのはある意味聖戦と言えるかもしれない。
マリアンさんも『我等は十字軍の戦士として、宗教施設に巣くう悪しき存在であるゾンビを駆逐しなければならない……』なんて言っていたぐらいだ。
でもねぇ……。軍の中にはイスラム教徒だっているんじゃないかな。彼らに対する配慮はしっかりと行って欲しいところだ。
「今朝方橋を渡るストライカーの側面に、大きな十字が描かれていましたよ。それが1両だけではないんです」
「十字軍を気取っているのだろう。それで士気が高まるなら問題はない。私が見たホークアイの側面には赤い月が描かれていたぞ」
やはりイスラム教徒もいたみたいだな。仏教徒ならカギ十字を描くことになるんだろうけど、勘違いする連中が出てきそうだ。
「仏教徒もいるかもしれませんね。彼らは何を描くんでしょう?」
オルバンさんが俺に問い掛けてきた。
興味本位だろうから、こんなカギ十字だと教えたら、目を丸くして驚いているんだよなぁ。
「本当にこれなんですか?」
「そうですよ。日本の地図ではこれが仏教寺院の所在を示すシンボルになっているぐらいです。オルバンさんが驚いているのは、第三帝国のシンボルと似ているからでしょうね。でもよく見ると違うのが分かるはずなんですが……」
「カギの向きが逆という事か!」
「そうです。その違いで判断するしかないんですが、このシンボルの使用をやめろと俺達に向って言うことは出来ないでしょうね。1千年以上使われ続けているシンボルですし、それならキリスト教徒に十字のシンボルを使うなということに繋がりかねません」
陸上艦隊に日本人はかなりいるんだけど、そもそも日本人の宗教感覚は変わっているからなぁ。側面にカギ十字を描こうとはしないだろう。どちらかと言うと、日本の国旗を描きそうだ。
「側面に自分の信じる宗教のシンボルを描くことで、宗教施設の破壊は正当であると信じたいんでしょう。それで作戦遂行が可能なら問題は無さそうですね」
そんな俺の言葉を呆れた顔をしてシグさん達が眺めているんだよなぁ。
とりあえず待機状態だから、トランシーバーの電源を入れた状態でテントの下でのんびりしているんだけど、何度かバッグから電卓を取り出して計算をしている。
例の地下トレンチを水没させるための水量がどれぐらい必要かを軽く計算してみたら、1kmで9千㎥となってしまった。日本の学校に作られた25m標準プールに必要な水量はおよそ500㎥だから、プール18杯分だ。消防タンク車でも10㎥は無いだろうからなぁ。燃料輸送のタンク車だって30㎥ぐらいだろう。
水没させることが出来ないんじゃないか?
良いアイデアだと思った地下トレンチの対処法が、これほど現実離れしているとは思わなかったなぁ。
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陸上艦隊と合流して6日目。朝食を取っている俺達の所にマリアンさんが副官のリンダ少尉とリッツ中佐を伴って現れた。
慌てて食事を中断して立ち上がって敬礼をすると、笑みを浮かべて答礼してくれた。
シグさんがオルバンさんに視線を向けたからだろう。慌ててオルバンさんが椅子を用意してくれた。
テーブルの食器を片付けてとりあえず座って貰うことにしたのだが、今一ここに来た目的が分からない。
視察というわけでも無さそうだ。
「食事中だとは思わなかったわ。ごめんなさいね。私達は1時間も前に済ませたから……」
俺達の顔を見渡しながら、そんな言葉をかけてくる。
シグさん達は早起きなんだけど、俺達は朝が弱いからなぁ。エディ達は起こさない限り寝ているんだからね。
「申し訳ありません。少し気を緩め過ぎておりました」
俺の言葉にマリアンさんが笑みを浮かべ、リッツさんは呆れた顔をしているんだよなぁ。リンダさんがうんうんと頷いているのは、自覚しているならもっと早く起きなさいということなんだろうな。
「少し遅いと私も思うけど、そこまで卑下することではないわ。作戦行動時のサミー君達と普段のギャップが大きいのは、案外知られているみたいね。それが貴方達に親近感を沸かせるみたい」
「特別視されていないと?」
シグさんの言葉に、マリアンさんの笑みが深くなった。
「そういう事。部隊が大規模になるほど、それが問題化するのよ。サミー君の場合はカンザス市内の単独偵察もあったでしょう。レンジャーを超える部隊と噂も出たみたいだけど、普段のサミー君達を見たり話しを聞いたりして、畏怖が無くなったみたい。どちらかと言うと、兄や姉を困らせる問題児達という認識が広がっているわ」
「両親だけでなく、兄弟姉妹を失った兵士が大勢いますからね。サミー君達にかつての弟妹の面影を見ているようです」
少しの奇行は、笑って見ていて貰えるという事なのかな?
それで朝寝坊を大目に見て貰えるならニック達は大喜びするに違いない。
「だからシグが部隊に配属されて、厳しく躾けているといううわさが広がっているみたいね。かつてのシグの噂は結構知っているみたい。それで、1つシグに頼みがあるんだけど……」
どうやら、マーシャルアーツの指導をして欲しいらしい。
あちこちの軍の基地で訓練はしてきたんだろうけど、昔ほどの濃密な訓練には程遠いとのことだった。デストロイ部隊の待機部隊の新兵にマーシャルアーツの訓練を行いたいということなんだけど、シグさんはあまり乗り気じゃないんだよなぁ。
「ペンデルトンの許可は取れたわ。シグ中尉の判断でグリーンベルトまでを許可するそうよ」
「海兵隊マーシャルアーツプログラムは、格闘戦だけの評価ではないのですが……」
「現状では、そんなプログラムの実行は出来ないでしょう? 海兵隊内の評価では格闘以外の能力も加味されるのは私もグリーンを持っているから分かっているつもりよ」
海軍も取り入れていたのか! だけどマリアンさんがグリーンの保持者とはねぇ。旦那さんも持っているのかな?
「了解しました。ですが1つ条件があります。隣のサミー大尉はタンベルトを付けておらず、未だに新兵のベルトのままです。力量は私を超える可能性がある人物に対してこのまま新兵のベルトを付けさせるのは偲びないのです……」
「今朝早く輸送機が資材を運んで来たんだけど、タンベルトの中に、これが1つ入っていたわ。これで新兵のベルトを卒業できるでしょうし、マーシャルアーツと同等の技量を持つという説明も出来るでしょう」
リンダさんが、そっとテーブルに乗せたのは暗紅色のベルトだった。端に黒く縁取られた真紅の線が1本付いている。
「赤はタンベルトには無いんだが……、これなら理由も付くか。野戦で目立たないのも都合が良い。配慮に感謝します。……サミ―大尉、これを付けて欲しい。模擬戦では私と同等、真剣なら私を超えるだろうからなぁ。これで自分のベルトを気にせずに済む」
「良いんですか? マーシャルアーツは技量をベルトの色で表していると思っていたんですが」
「マーシャルアーツの資格に、そのベルトの色は無い。ある意味名誉資格という意味付けと推測できる。グリーンベルト越えのブラウンに似ているから、名誉資格と言えど力量が分からぬという事にもならんだろう」
それならありがたく頂いておくか。
ニックやエディ達はグレイベルトを持っているからなぁ。これで俺も色付きベルトの保持者になるってことだろう。
「訓練はシグ中尉の任務に支障がない範囲で行って欲しいわ。詳細はリッツ中佐と調整して頂戴。必要な品があるなら直ぐに手配するわよ」
「広場があれば問題はありません。とはいえ下土の小石は除去して欲しいです。それと訓練兵士の数は1個分隊を超えないようにして頂きたい」
「了解だ。2日で準備する。最初の訓練は3日後の1300時から1600時までの3時間で良いかな?」
リッツ中佐の問いに、しっかりとシグさんが頷いている。
その間、俺達は少し自由に過ごせそうだな。
「これで、1つ課題が無くなったわね。もう1つあるんだけど、サミー君には私と一緒に統合作戦本部に同行して貰いたいの」
思わず目を大きく開いて、マリアンさんに顔を向けてしまった。
季節外れに統合作戦本部に出頭するということは、今後の作戦遂行に大きな課題が出たということになるのだろう。
「各作戦部隊の指揮官も集まるのでしょうか?」
「その通り。まったく困った話になってきたわ。使わなくなったなら、後始末ぐらいは出来ると思うんだけど……。親の躾の問題なのかもしれないわね。まったく子育てに甘い家庭の出身者ばかりだったのかしら」
自分の事は棚上げしているように思えるんだけどなぁ。リンダさんも疑いの目でマリアンさんを見ているようだ。
「予想外に地下施設が多かったと?」
「その通りなの。しっかりと閉じてあるなら問題は無さそうだけど、古い施設についてはその確認さえ出来ない始末みたい。それに軍用インフラのトレンチもかなり面倒なことになっているわ。民間施設や地下鉄のトンネルを利用している個所もあるみたい。そうなると、出入り口を特定するだけでも時間が掛かりそうだし、存在全てを確認する手段も無さそうね」
専属のチームを作るような話をしていたんだけど、どうやら想像をはるかに超えていたってことかな?
「航空宇宙軍の方からも専門家を出してくれるとの話よ。サミー君の召喚は軍だけではなく生物学研究所からの意向でもあるの」
博士達は俺を軍との窓口だと思っているのかもしれない。興味本位で色々と動いて来たけど、少しは自重しないといけないんだろうな。
ジュリーさんが皆に配ってくれたコーヒーを飲みながら、少し考えこんでいた時だった。
テントの中に、オリーさんが入ってきた。
直ぐに俺の隣に腰を下ろそうとしているから、少しシグさんの方に体を動かして場所を開けてあげる。
「ドーバーに向かうんでしょう? 私の所にも知らせが届いたわ。地下トレンチをどのように攻略するかで、皆が頭を捻っているようだけど……。簡単に思えても、実行性に難があると言っていたわよ」
オリーさんの言葉にマリアンさんは微笑んでいるだけだけど、リッツさんとリンダさんんは厳しい表情で頷いている。
かなりの水量が必要な事にすぐ気が付いたみたいだな。
「所長は上手い方法だと絶賛していたみたいだけど、さてそれを行うとなると案外難しいみたいね」
1kmのトレンチを水没させるために必要な水量がプール18杯だからねぇ。
アイデアの具現化がこれほど難しいとは思わなかったんだよなぁ。




