レベルアップと道場とアイドル2
サクラと約束した日曜日。秋斗は朝早くから自宅近くの次元迷宮へ向かった。なんと朝の六時前である。秋斗が最初に考えていた予定だとこんなに早くなかったのだが、サクラの希望でこの時間になった。むしろ遅くしてもらってこの時間になった。
『アイドルがアイドルでいられる時間は短いの!』
そう言われてしまうと、アイドルではない秋斗は反論しづらい。また探索者は自由裁量労働で、つまり日曜日に休めなくても月曜日に休みをずらせる。それを合せて考えると秋斗も自分の都合は主張しづらい。学生でアイドルなサクラが忙しいのは知っているわけだし。
日曜日の朝の早い時間とあって、ゲートの周囲に人影は少ない。秋斗はすぐにサクラの姿を見つけた。初心者用の、しかしスライム・ハント用ではない装備を身につけている。ちなみに武器は持っていない。持ってこなくていい、と秋斗が言ったのだ。
「姫川」
秋斗が声をかけると、サクラも彼に気付いた。そして小走りになって彼に近づく。秋斗が「待った?」と聞くと、彼女は「今来たところです」と答え、それからイタズラっぽく笑ってこう言った。
「デートみたいですね」
「アイドルがデートしてるところを見られたらまずいんじゃないのか?」
「おっとそうですね。早く行きましょう」
サクラがそう言い、二人は足早に手続きを済ませてゲートを潜った。ちなみに現在、ゲートの前には自動改札のような機械が設置されており、スマホなどで事前登録しておくか、専用のICカードを使うことで通過できるようになっている。
次元迷宮の中に入ると、二人は1階層を足早に通り抜ける。今日の目的はスライム・ハントではないからだ。そして2階層に到着すると、秋斗は一旦足を止めて、サクラにこう尋ねた。
「姫川はここの迷宮は初めてだよな? 1階層の転移石は?」
「持ってないです」
「じゃコレね」
そう言って秋斗はサクラに1階層の転移石を手渡した。サクラは眼を丸くすると、ワリとマジな口調でこう尋ねた。
「わっ、後で換金して良いですか?」
「姫川の命の値段が十数万なら、別に良いよ」
「…………」
「オレとはぐれたら躊躇わずにソレを使うこと。じゃないと死ぬからね」
秋斗がそう言うと、サクラはガクガクと何度も頷いた。そして大事そうに転移石をしまう。それを確認してから、秋斗は「じゃあ行こうか」と声をかけてまた歩き出した。二人が目指すのは4階層。そこで食材を調達するのが秋斗の用事だった。相変わらず季節感を無視した作物を収穫しながら、秋斗はサクラの方を見てこう呟いた。
「手慣れてるな。もしかして姫川の実家って農家?」
「畑はやってましたけど、家で食べたり近所に配ったりする分だけですよ。……両親が共働きだったから、おばあちゃんの手伝いで少しやったことがあるだけです」
おかげで虫に動じないJKでした、とサクラは少し自嘲気味に笑った。世の中の男的にはカエル一匹できゃーきゃー言ってる女の子のほうが可愛いのだろうか。秋斗的にはうるさく感じるだけなのだが。
「姫川が図太いのも、そういう経験のおかげってことか」
「アイドルに図太いとか言わない。あたしよりおばあちゃんの方がスゴいですよ。鎌でモンスター倒してましたもん」
「スゴいけど、それは図太いのとは違う気がするなぁ」
そんな会話をしながら、二人は収穫作業を続けた。思いのほかサクラが手慣れていたこともあり、想定していたよりも作業時間は短くてすんだ。それで収穫し、泥を落とした作物をマジックポーチにしまうと、秋斗はサクラにこう尋ねた。
「そういえば姫川は戦えるアイドルを目指しているわけだけど……」
「歌って踊って戦えるアイドル、です」
「……歌って踊って戦えるアイドルを目指しているわけだけど、スライム以外のモンスターを倒したことはある?」
「いえ、まだない、です。今日のトレントが初めてですね」
「じゃ、それ以外も少し試して見るか」
そう言って、秋斗はナイフをサクラに渡した。そして自分は鉄パイプを手に歩き始める。サクラは慌てて彼の後を追った。ナイフでモンスターと戦わされると思ったのか、彼女の顔は不安げだ。もっともそこまでやらせるつもりは秋斗にもない。
5階層へ向かいつつ、秋斗は手頃な獲物を探す。そしてちょうど襲いかかってきたジャイアントラットを鉄パイプで叩き落とし、さらに足で踏みつけて動きを封じた。それから彼はサクラにこう促す。
「トドメ、さしてみ」
サクラは思わず息を呑んだ。ジャイアントラットがモンスターだと、彼女も分かってはいる。だがキーキーと喚くジャイアントラットは生き物にしか見えない。つまり彼女の主観だと「生き物を殺せ」と言われたに等しいのだ。躊躇うサクラに、秋斗はさらにこう言った。
「人型のモンスターとかだと、たぶんもっとキツいぞ。無理だと思うならスライムだけにしておいた方が良い」
「いえ、やり、ます」
サクラはそう言ってナイフを鞘から抜いた。そして膝をつき、深呼吸してからジャイアントラットの首もとにナイフを突き刺す。その瞬間、目を閉じていたことに秋斗は気付かないふりをした。
ジャイアントラットが黒い光の粒子になって消えていく。サクラはそれをやや呆然として見送った。ジャイアントラットを刺した感触はまだ手に残っている。生々しい感触だ。それでもサクラは自分が「歌って踊って戦えるアイドル」になれる自信を得た気がした。
さてその後も小動物系のモンスターを何体かサクラに倒させながら移動し、二人は5階層の森に到着した。トレントが出現する森である。森に入ると、秋斗はナイフの代わりに斧をサクラに手渡した。彼女は「重い」と文句を言っていたが、そこは「頑張れ」と受け流す。トレントにはコレが一番効くのだ(秋斗調べ)。
「じゃ、やろうか」
秋斗がそう言うと、サクラは斧を手に硬い表情で頷いた。そして秋斗が指さす木を斧で攻撃する。トレントが擬態を止めて反撃するが、それには秋斗が対処する。サクラは一心不乱に斧を振るってトレントを伐採した。
「やったー!」
サクラが歓声を上げる。トレントは見た目が木なので、倒してもストレスがない。彼女の表情は晴ればれとしていた。そんな彼女に秋斗は「お疲れ」と声をかけ、またすぐに次のトレントを探す。「はい!」と答えるサクラの声はやる気十分だった。
その後、サクラが20体ほどのトレントを伐採すると、二人は一旦休憩した。手頃な岩に座るサクラに、秋斗はトレントの実を渡す。「経験値が得られる」と教えてやると、彼女は二つも食べた。
「トレントの実って、もっとドロップしてましたよね?」
「回収してある。お土産にするといいよ」
秋斗がそう言うと、サクラはまた歓声を上げた。休憩を終えると、二人はまたトレントの伐採を再開する。サクラの口数は徐々に減っていったが、彼女は弱音を吐かずに黙々と斧を振るい続けた。
伐採総数が50を超えたところで、秋斗はサクラに「昼メシにしよう」と言った。そしてマジックポーチから道具と食材を取り出して昼食の準備を始める。サクラは最初「何やってんだコイツ」という目をしていたが、彼が塊のドロップ肉を取り出したところで目の色が変わる。
「アキさん、付け合わせなんていいですから! 肉、早く肉焼いて!」
そうサクラに急かされ、秋斗は分厚いステーキを焼いた。味付けは塩コショウだけなのだが、溢れる肉汁が暴力的に美味い。空腹も食欲に拍車をかけて、サクラは無言で分厚い肉を貪った。ちなみに付け合わせはトレントの実で済ませたのだが、口の中がさっぱりしてかえって都合が良かった。
昼食を終え、お腹が落ち着くまで身体を休めてから、二人はパワーレベリングを再開する。サクラはまた黙々と斧を振るった。午前中の分も合せて結構なハードワークのはずだが、彼女は文句一つこぼさない。
彼女はこれまでに3000体ほどはスライムを狩っているということだから、その分の経験値の蓄積はあるだろう。だがいま彼女を支えているのはやはり根性だろう。こういう頑張りを見ていると、「報われて欲しい」と秋斗も素直に思えた。
(白鳥みたいだな。アイドルも大変だ)
[うむ。相変わらず努力の方向は斜め上な気がするが]
(そいつは言わないお約束だぜ)
シキとそんな話をしながら、秋斗は次のトレントへサクラを案内した。この日、彼女が伐採したトレントはなんと100体以上。さすがに彼女の腕が上がらなくなってきたところでパワーレベリングは終わりになった。
サクラが「お肉食べたい」と言うので、秋斗はまたドロップ肉を焼いてやる。それを食べ終わってから、彼はサクラに回収しておいたトレントの実を麻袋に詰めて持たせ、さらに彼女に転移石を使わせて帰した。
秋斗自身は期待通り出現したトレント・キングを討伐し、大型魔石を手に入れてからのんびりと1階層へ戻る。次元迷宮の外に出るとすでにサクラの姿はなく、家に帰ってからスマホを確認すると感謝のメッセージが入っていた。
「またお願いします」の一言は、一体どこまで本気なのか。「かなり本気のはず」と、シキと意見が一致して秋斗は苦笑を浮かべるのだった。
さてその後のことだ。姫川サクラは結局、地下アイドルグループとしてはそれほど売れなかった。しかしその当時に得た縁で、派手な殺陣が魅力の2.5次元舞台に呼ばれる。その舞台で「刀を振るう姿が凜々しくて美しい」と評判になり、そこから徐々に仕事が増えていくようになった。
「いつかライブもやりたいですね。そうしたら本当に歌って踊って戦えるアイドルです!」
道場で会ったとき、サクラは秋斗にそう言っていた。まあ今の彼女の路線がアイドルなのかはともかくとして。テレビに映る彼女は楚々とした大和撫子で、「剣を持つ姿は凜とした百合の花」と例えられている。もっとも彼女の別の面を知る秋斗は、それを見る度に「女って怖ぇな」と苦笑せずにはいられないのだった。
サクラ「どんな業界も、生き残るためには戦う術が必要なんですね!」
秋斗「少なくとも古武術は必ずしも必要じゃないと思うぞ」




