モンスター召喚用魔法陣2
前川昇はスマホに映るその名前を見て、思わず一瞬息を止めた。スマホに映る名前は「宗方秋斗」。かつてゲート簡易封印魔法を日本政府に持ち込んだ男である。あれ以来連絡はなく、この電話も数年ぶりだ。だが前回の例を思えば、軽く考えることはできない。昇は一度深呼吸をしてから電話に出た。
「はい、前川です」
「宗方です。お久しぶりです、前川さん」
「はい、お久しぶりです。それで、今日はどうされましたか?」
「実は先日、50階層まで行ってきまして。そこで面白いモノを見つけたんです」
秋斗のその言葉に、昇は身構えていたのだが衝撃を受けた。50階層まで行った? 日本の最前線は45階層前後だとされているのに。一般人はたった5階層と思うかも知れないが、昇のような立場にいれば、その5階層がどれだけ果てしない距離なのか、容易に想像がつく。だがいま重要なのはそちらではない。
「……っ、その、面白いモノ、とは?」
「モンスター召喚用魔法陣、です」
「……っ」
「詳しいことは、会ってお話しませんか?」
その提案に、昇は「分かりました」と答えるしかなかった。そして待ち合わせの喫茶店。静かな店内の奥まった席で、二人はテーブルを挟んで座った。昇はコーヒーだけ頼んだが、秋斗はクリームブリュレも注文して美味しそうに匙を口元へ運んでいる。彼の甘党の一面を見て、昇は少し意外に思った。
「……それで宗方さん。電話でお話いただいた件ですが、もう少し詳しく教えていただいても?」
「ああ、はい。でもそんなに大した話じゃないですよ」
クリームブリュレを一匙食べてから、秋斗はその時のことを説明する。50階層がセーフティーエリアであることは分かっていた。実際に到達してみて、25階層と雰囲気がよく似ていたのですぐに確信もできた。次におこなったのはエリアの探索だ。
「水場なんかを探したんですけど、その時に魔法陣を見つけたんです。その近くに石版もありまして。使い方はそこに載っていました」
モンスター召喚用魔法陣の使い方としては、所定の位置に魔力を込めるだけ。すると魔法陣の中心にモンスターが一体召喚される。召喚が完了した時点で戦闘開始だ。討伐すると魔石やドロップなどが手に入る。
「……つまり魔力をモンスターに変換している?」
「個人的な感想ですが、違うと思います。使ってみた感じとしては、魔力はあくまで魔法陣を動作させるための燃料って感じでした」
「ではモンスターはどこから……?」
「いわゆる瘴気、迷宮内の瘴気を集めて形成している、ように思えましたね」
秋斗がそう答えると、昇は表情をもう一段階真剣なものにした。「瘴気を集めてモンスターを形成する」ということは、別の見方をすれば「モンスターという形で瘴気を消費する、もしくは取り除く」と言えるのではないか。彼はゴクリと唾を飲み込んでから、さらに秋斗にこう尋ねた。
「その、モンスター召喚用魔法陣を外へ持ち出すことはできませんか?」
「無理ですね。結構大きいですし。ただ写真は撮って来ましたよ。ついでにレポートもまとめてきました」
そう言って秋斗は鞄からクリアファイルを取り出した。そこに挟んであるのは秋斗がまとめたモンスター召喚用魔法陣に関するレポート。写真はそのレポートの中に載せられている。
受け取ったレポートを、昇は貪るように読んだ。特に写真は穴が空くほどに注視する。写真は全部で十枚以上。魔法陣というだけあって、その表面には文字なのか紋様なのか、ともかくそういうモノが刻まれている。全体像を移した写真もあるが、その写真では細部が見えない。細部をきちんと撮るために枚数が多くなったのだ。
「……この写真の、デジタルデータはありませんか?」
「ありますよ。要りますか?」
「提供していただければありがたいです」
昇がそう言うと、秋斗は「分かりました」と答えて鞄からUSBメモリーを取り出し、それを彼に渡した。昇はそれを受け取ると、心の中で大きく頷いた。そして秋斗にこう礼を言う。
「ありがとうございます。これでモンスター対策が大きく前進します」
「そのつもりで連絡しました。そのために使ってください」
秋斗の言葉に昇は大きく頷いた。ダークネス・カーテンが消えたあとも、次元迷宮外でのモンスターの出現は続いている。墨を塗りたくったような真っ黒なモンスターで、これらのどこであってもモンスターは突如として出現する。もしかしたら出現条件があるのかもしれないが、今のところそれは解明されていない。
すると懸念されるのはクリティカルな場所へのモンスターの出現である。確率論的に訪れる破局、と言い換えても良い。つまり出現してはいけない場所にモンスターが出現することで、社会が大きな損害を被ることが懸念されているのだ。
実際、世界に目を向ければそういう事故は幾つか起こっている。カナダでは水力発電所内部でモンスターが出現。発電所が停止して大都市がブラックアウトする事態に陥った。とはいえこの事例ですら胸をなで下ろした者は多い。これが原発であったなら、ブラックアウトではすまなかったかも知れないのだ。
そういう事態は何としても避けなければならない。だが実際問題として、モンスターが出現してからでなければ脅威を取り除けないのが現状だ。つまり「モンスターを出現させない」という対策のための、具体的な方策がこれまではなかったのである。
(だがこの魔法陣があれば……!)
モンスター対策は変えられる、と昇は確信している。つまり別の場所でモンスターを人為的に出現させることで、クリティカルな場所への出現を防ぐのだ。そのためにはモンスター召喚用魔法陣の実物が必要になるが、これだけの資料があるのだ、自力開発はともかくコピー品なら何とかなるだろう。
「それで宗方さん。公表の仕方についてなのですが……」
「私の名前は一切出さないでください。そこさえ守ってもらえれば、何か権利を主張する気はないので、どうぞお好きなように」
「分かりました。ありがとうございます」
「……ああ、つまらないウソはつかないでくださいね」
「それは、もちろん」
秋斗が付け加えた要求に、昇は苦笑しながらそう答えた。つまらないウソをつくとすれば、「自力開発に成功した」とかだろうか。今後、他国の次元迷宮の50階層から同じモノが見つかれば、確かに日本は大恥をかくだろう。
「……というか、国の方では何か情報は掴んでないんですか? この魔法陣については」
「私の知る限りでは、なにも」
「アメリカからも?」
「はい」
「ふぅん……。行ってそうですけどねぇ、50階層まで。アメリカなら」
クリームブリュレの残りを食べながら、秋斗はそう呟いた。彼の口調は完全に他人事だったが、昇は「確かに」と心の中で同意する。アメリカは日本よりも早く45階層に到達したのだ。なら50階層にも先に到達していてもおかしくない。
(一応確認しておくか……)
コーヒーを飲みながら、昇は心の中でそう呟いた。仮にアメリカ政府がモンスター召喚用魔法陣のことを把握していて、その上で公表を控えているのだとしたら、それを日本政府が暴露することを彼らは快く思わないだろう。
もちろんアメリカ政府が把握していない可能性もある。だがどのみち、アメリカには配慮しなければならないのだ。事前に、他国より少し早く教えるくらいのことは良いだろう。なんならゲート簡易封印魔法の時のような扱いにできるかも知れない。そんなことを考えながら、昇はコーヒーを飲み干した。
喫茶店の会計を終えて職場に戻ると、昇は早速上司を通じてアメリカ側に確認を取った。結果は当たり。つまりアメリカ政府はモンスター召喚用魔法陣のことをすでに把握していた。そして日本政府が勝手に公表することに「待った」をかけたのである。
アメリカ政府としては、ゲート簡易封印魔法の際に「日本政府に後れをとった」と感じている。だから今回のモンスター召喚用魔法陣については、自分たちがイニシアティブを握りたい。それが彼らの腹の内だ。少なくとも昇はそう推察する。
(あの一件で日本の国際的な影響力はかなり強まったからな)
あの一件で日本政府はかなりの綺麗事を口にした。もちろん綺麗事なんてどの国の政府も頻繁に発信している。だがあの一件で日本政府が口にした綺麗事には行動が伴った。その結果、日本政府が口にする綺麗事は一定の説得力を持つようになったのである。また「攻略先進国」というイメージが定着した。それがつまり「国際的な影響力」だ。
アメリカ政府としては、当然口惜しい気持ちはあっただろう。次は自分たちが、と思ったはずだ。そんな時に見つけたのがモンスター召喚用魔法陣。大げさな言い方をすれば、アメリカはそこに国家の威信をかけていた。それを、またしても日本にかっ攫われるというのは、絶対に受け入れられない。
アメリカ側が出した条件は、「公表は待って欲しい。その代わり、これまでの実験結果の一部を開示する」というもの。そして日本政府はこれを受け入れた。アメリカに不快感をもたれるよりは、実験データをもらって実用化を早める道を選んだのだ。
そして秋斗と昇が喫茶店で会ってから半月後。アメリカ政府がモンスター召喚用魔法陣について公表。こうして世界のモンスター対策は新たな段階に進むことになったのだった。
昇「私もなにか甘味を頼めば良かったか」




