騎士と黒竜と白兎2
夢の跡エリアへは空を飛んで向かうことになった。アリスは背中に純白の翼を顕現させ、秋斗はアッシュの背に騎乗している。ちなみにアッシュのご機嫌取りに使ったのはドリアン。意外と悪食なのかと思ってしまったのは秘密だ。
向かうだけなら、アリスに頼んで空間跳躍することもできた。その場合、秋斗はアリスにお姫さま抱っこされることになるが、些末な問題である。その手を使えば移動時間を大幅に圧縮できたはずだが、そうしなかったのにはもちろん(秋斗の羞恥心以外の)理由がある。
考慮したのは逃げるときのこと。秋斗一人であればダイブアウトしてしまえば良い。だが今回はアリスがいる。夢の跡エリアに入れば、彼女はデバフの影響で極端に弱体化する。秋斗が撤退しなければならない状況で、そんな彼女を一人残していったらどうなるか。今度こそ吊されるだろう。
『オレ一人で突入するっていうのは?』
『おぬし一人に任せるワケにもいくまい。これは我の問題ゆえな。それに弱体化するとは言っても、無力化されるわけでない』
考えてみれば、アリスは吊されそうになった状況から、しかし遁走を成功させたのだ。つまり弱体化するとはいえ、それだけの力はある。そう言ってアリスは秋斗に同行することを認めさせた。
とは言え、万が一の時のことは考えておかなければならない。撤退する時には足が必要だろう。つまりアッシュだ。それにアッシュがいれば馬鹿正直にエリアを突っ切る必要はなくなる。空を飛んでそのまま城に突入できるだろう。
そんなわけで秋斗はアッシュに騎乗している。空の旅は快適だ。近づいてくるモンスターは、全てアリスが撃退している。秋斗は手綱を握る以外にやることがない。アッシュも快足を発揮して、およそ一時間後には夢の跡エリアが見えてきた。
「あそこじゃ」
そう言ってアリスが指さした先は、ドーム状の結界のようなものに覆われていた。アレが彼女を弱体化させたというフィールドだろう。それを確認すると、秋斗は一つ頷いてから手綱を引き、一度地上に降りた。
短い休憩を挟んでから、秋斗はストレージから空のコンテナを取り出し、その中で強化服に着替えた。腰に吊すのは麒麟丸。本気モードだ。着替えを終えてコンテナの外に出ると、アリスが何やら険しい顔をして夢の跡エリアの方を見ていた。
「アリス、どした?」
「イレギュラーじゃ」
そう言ってアリスは顎をしゃくってみせる。秋斗がそちらを見てみると、夢の跡エリアの上空、ドーム状のフィールドのさらに上を一体の黒い竜が旋回していた。いや、アレは竜なのだろうか。皮膜の付いた翼で飛んでいるように見えるが、脚が六本あるせいか、どことなく昆虫のようにも見えた。
「前はあんなの、いなかったんじゃがのぅ」
アリスが困惑気味にそう呟く。ああして上空を旋回しているということは、あのモンスターも夢の跡エリアに関係している可能性が高い。だが秋斗はもちろんアリスも知らないモンスターで、どう関係しているのかは不明だ。いつもなら気にもしないのだろうが、アリスが弱体化してしまうことを考えると、迂闊に突撃するわけにもいかない。
「ここから攻撃できないのか?」
六本脚の黒竜に鋭い視線を向けながら、秋斗はアリスにそう尋ねた。彼女はまだ弱体化していないし、黒竜は例のフィールドの外にいる。少し距離はあるものの、あの黒竜からはバハムートのような圧は感じない。だとすればここからでもやれるのではないか。
「ふむ……」
アリスは少し考え込み、それから小さく頷いた。倒せてしまえるのであればそれで良し。倒せなかったとしても、どうして倒せないのかは知っておく必要がある。特別リスクがあるわけではなく、やって損はないだろう。そう結論し、アリスは腕を伸ばして手のひらを六本脚の黒竜へ向けた。そして幾筋もの白い閃光を放つ。
空を切り裂いて襲い来るそれら白い閃光を、しかし六本脚の黒竜はかいくぐるようにして避ける。それを見て秋斗は驚いた。確かに距離があったとはいえ、そう簡単に回避できるようなものではなかったはずだ。
ということはやはり減衰するなりして攻撃自体が弱くなっていたのか、それとも単純にあの六本脚の黒竜の回避能力がそれだけ高いのか。秋斗は険しい顔をしたが、彼の表情はすぐに困惑へと変わる。黒竜はそのままどこかへ逃げてしまったのだ。
「逃げたな」
「逃げたの」
秋斗とアリスもそれぞれ困惑を顔に浮かべる。モンスターが逃げるのはかなりイレギュラーだ。ということはあの六本脚の黒竜はやはり特別なモンスターなのだろうか。逃げてしまってもう姿は見えないのだが。
「……まあ、追い払ったと思えばいいか」
黒竜のいなくなった空を見上げること数秒。秋斗はひとまずそう前向きに考える事にした。アリスも「そうじゃな」と言って頷く。狙いはあくまでも夢の跡エリアの騎士王が持つ王笏。黒竜を倒せなかったことは残念だが、邪魔者を追い払えたことを良しとするべきだろう。
アッシュに次元迷宮産のニンジンを食べさせてから、秋斗はいよいよその背に跨がった。彼が合図を出すと、アッシュは軽やかに宙を駆け上る。その隣をアリスが並んで飛んだ。彼女は適当なところでアッシュの背、秋斗の後ろに乗る予定なのだが、どうやらギリギリまで自力で空にいるつもりらしい。
二人はドーム状のフィールドのさらに上を飛び、多数の尖塔を持つ城へ向かう。フィールドの上空でもアリスはまだ弱体化しない。どうやら内側には入らなければセーフのようだ。ということは先ほどの彼女の攻撃も減衰していなかった可能性が高い。つまりあの六本脚の黒竜はそれを避けてみせたのだ。
(強いってことだよなぁ)
秋斗は声に出さずにそう呟いた。バハムートのような圧は感じなかったとはいえ、それは比較対象が悪いのであって、決して弱いということではない。むしろ強いと思っておいた方が良いだろう。まあ、もうすでに逃げてしまった後なわけだが。そして秋斗がそんなことを考えていると、シキが彼にこう告げる。
[アキ、ボスクラスの反応だ]
「どこ?」
[城の正面バルコニー]
シキに教えてもらったその場所を、秋斗は目をすがめて確認する。望遠も使って確認すると、確かにそこにはフルフェイス・フルプレートの人型モンスターの姿が。左手には短い棒のようなモノを持っている。きっとアレが王笏だろう。
秋斗はゴクリと生唾を呑み込んだ。アリスの方を見ると、彼女も同じモノを確認したのだろう、はっきりと頷いた。ということはやはり、アイツが今回のターゲットである騎士王で間違いない。
何にしても、姿を見せてくれたのならありがたい。秋斗は上から強襲してやろうと思い、アッシュの手綱をギュッと握りしめた。そしてアリスに後ろに乗るよう告げるため、彼女の方へ顔を向ける。その視線が外れた一瞬、奇しくもその同じタイミングで、騎士王も動いていた。
[アキ!]
シキの鋭い声が秋斗の頭の中に響く。彼は反射的に視線を戻して騎士王の様子を確認。そして息を呑んだ。騎士王は彼らの方へ王笏を差し向けていたのだ。何が起こるのかは分からない。秋斗は咄嗟にアリスの名前を呼んだ。
「アリスッ!」
次の瞬間、秋斗は内臓がせり上がってくるのを感じた。つまり落ちている。アリスも翼を失って落下している。秋斗は手を伸ばしてなんとか彼女を引き寄せると、身体の前で横抱きにした。
そうしている間にも地面が迫ってくる。ドーム状のフィールドを突き抜け、彼らは夢の跡エリアへ放り込まれるようにして侵入した。アッシュから伝わってくるのは力強い拍動。秋斗はグッと手綱を引いた。
「アッシュ!」
「ヒィィン!」
アッシュの脚が力を取り戻してまた宙を蹴る。秋斗とアリスを乗せたアッシュの身体が水平に戻り、近くの足場、建物の屋根に着地した。ともかく墜落を免れて秋斗は「ふう」と安堵の息を吐く。そしてアリスに声をかけようとして絶句した。
「……っ!?」
「ふむ……。あの王笏にあんな力があったとはのぅ」
横抱きにされたまま、アリスが思案顔でそう呟いている。だが秋斗が絶句していることには気付いていない。そして気付かないままさらにこう続ける。
「どうやら一時的にフィールド内と同じデバフをかけられたようじゃな。アッシュの飛行能力にも影響があったということは、ここは飛行禁止エリアになっておるのかもしれんの。アキトはどうであった?」
「……」
「ん、アキトよ、どうした?」
「アリス、お前、耳どうした?」
「耳? どうもしておらぬが……」
そう言ってアリスは自分の耳を触る。なんてことのない、いつもの普通の耳だ。だが見上げた秋斗は驚いた顔のまま首を横に振る。ワケが分からず、アリスがコテンと首をかしげると、彼は頭を抱えた。そしてストレージから鏡を取り出して彼女に突きつける。それをのぞき込んでアリスは驚愕の声を上げた。
「なんじゃこりゃぁぁぁああ!?」
彼女の頭には、なんと白いウサギの耳が生えていたのである。さらにアリスが叫び声を上げたそのタイミングで、彼女の身体が無数の白い泡のような光に覆われる。そしてその光が弾けたとき、彼女が身につける衣服はなんとバニースーツに替わっていた。
「にゃ!? にゃ、にゃ、にゃあ!?」
あまりの衝撃に言語能力を喪失するアリス。そんなウサ耳を生やしたバニースーツ姿の彼女を横抱きにしながら、秋斗は頭を抱えて天を仰ぐのだった。
秋斗「尊死……!」




